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WFP 国連世界食糧計画オフィシャルサポーター 知花 くらら さん

今回ご紹介するのは、2007年にWFPのオフィシャルサポーターに任命された知花くららさんです。ザンビアでの視察を経験され、芸能活動と国際協力の仕事を両立するという葛藤と面白さについて、素直に語っている知花さんのインタビュ-をお楽しみ下さい。

un_interview_photoプロフィール

2007年よりWFPオフィシャルサポーターを務めている知花くららさんは、沖縄県那覇市出身。上智大学文学部教育学科卒業。1982年3月27日生まれ。2006ミス・ユニバース世界大会で第2位に輝き、同大会後、各メディアで活躍。現在は小学館「Domani」の表紙(専属モデル)、NHK教育「テレビでフランス語」、BS12「グローバルビジョン」にナビゲーター役でレギュラー出演、他多数のCMに出演。国内外に活躍の場を広げている。2008年4月には南部アフリカのザンビア共和国、2009年12月にはフィリピンへ行き、WFPの支援現場を視察。今後もWFPオフィシャルサポーターとしての活動に意欲的に参加していきたいと語っている。

 

― 知花さんはどのようなきっかけでWFPのサポーターに任命されたのですか。

もう3年前になります。当初私はWFPのことを全く知りませんでしたが、色々な方からWFPに関するお話をうかがい、情報をいただくようになりました。そして、WFPの食糧支援、中でも学校で給食を配るという活動と教育が密に関わっていることを、そこで初めて知りました。学校でWFPが給食を配ることで、生徒の就学率や出席率が上がるというのです。私自身は教育というテーマにとても関心があり、お話を伺ううちに、非常に興味を持つようになりました。縁があって、WFPの関係の方に、「是非活動に参加させていただけたら嬉しいです」という話をする機会があり、そこからですね。

― 知花さんは以前から国際協力などのボランティア活動にご関心があるとお聞きしましたが、WFPの活動を通じて、そのお考えはどのように変わりましたか。

学生の頃、ボランティアと言うと、やはり一個人というイメージでした。例えば、大学のサークルに所属して、募金活動をやるというような、本当に草の根的な活動だと考えていました。もちろん個人でやれることもたくさんありますが、私にとってはミス・ユニバースに応募したことが大きな転機となりました。まずは、入口としてミス・ユニバース世界大会第2位という肩書きを持ってチャリティや、WFPの活動などをさせていただくことには、大きな影響力があると考えていました。2008年からWFPの活動視察やTVの取材で開発途上国に旅をし始めて、もう2年経ちます。その間、色々な国を取材させていただき、多くのことを学ばせていただいている最中です。例えば、現地の方々がどういう思いで日々暮らしているのか、飢餓の現状がどのようなものなのか、干ばつによってどういう病気が起こるのか、病気の予防の仕方を知らないと人はこんなにも若くして亡くなっていくのかということを、取材で学びました。このような現状を見るうちに、もっと自分にも協力できることがあるはずという思いに駆られ取材に当たりました。2008年にはザンビアの貧しい農村、2009年にはフィリピンの洪水被災地の視察をしまして、そこで見たもの、感じたことをできるだけ多くの皆さんに伝えていくこと、それがWFPのオフィシャルサポーターとしての私の責任だと思っています。

― 知花さんが取材や視察などの活動で、必ず現地の人々が食べているもの、やっていることを試されるとお聞きしました。その理由は何ですか。

現地の人に薦められるからです。いろいろなところでこの話をしているんですけど、私はこの前タランチュラを食べたんです。現地のマーケットに行って、タランチュラを売っているおばあちゃんに「おいしいから、食べていきなよ」と言われました。びっくりするくらい大きいなタランチュラで、油で揚げただけのものでした。さすがにあれはどきどきしましたね。でも、それを食べている現地の方がいて、そういう生活があるわけじゃないですか。やっぱり同じものを食することで、「ね、おいしいでしょう」とか、笑いが共有できるんですね。言葉は通じないかもしれないけれど、食事や、音楽という文化を通じて人はつながることができるんです。現地に行って、現地の方のルールや生活に私も入っていくように努力をして、できるだけ現地の方の目線で物事を見ていけたら良いなと思っています。

「過ぎ去った瞬間は戻ってこない、また同じことは二度と起こらない。そこで自分はどういう目を持って、どのような行動を起こしていくかというのが、本当に瞬間、瞬間ごとに、問われているんだなと感じた」

― WFPのオフィシャルサポーターとして、最初に視察したザンビアで飢えに苦しんでいる人々と出会ったときに、知花さんが励まそうと思っても言葉を失ったとお聞きしました。今の時点で、もし当時の人々ともう一度会えるなら、お伝えしたいことや、お話したいことはありますか。

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© WFP/Rein Skullerud

目の前に苦しんでいる人がいても、自分にはどうすることもできない状況でした。もちろんその場で、食べ物をあげたり、持っているものを分けたりすることはできるかもしれないけれど、それはたくさんの人を救うことにはつながらないと思ったんです。そこで、自分には何ができるのだろうというのが分からなくなったんです。無力感というか。でも、これが現実なんだと思い知らされた瞬間でした。取材中にあるおばあちゃんと出会って、洪水の時のいろいろな話を聞かせていただきました。その帰り際、おばあちゃんに「神のご加護がありますように」と言われました。「私は、お金もないし、すごく貧しいし、食べ物もないし、あなたにあげるもの何もないけど、でも、お祈りだけはできます」と言って、私のためにお祈りをしてくれたんです。「おばあちゃん、ありがと、じゃ、またね」と私が言うと、「いや、それは違う。だって、あなたはここに戻ってこないでしょう」と言われたんです。彼女の言葉は、今でもすごく心に残っています。旅で一期一会と言いますけど、過ぎ去った瞬間は戻ってこない、また同じことは二度と起こらない。そこで自分はどういう視点を持って、どのような行動を起こしていくかというのが、本当に瞬間、瞬間ごとに、問われているんだなと感じました。そういう風に考える、感じる機会を下さったおばあちゃんに、また会ったら、「ありがとう、また戻ってきた」と言いたいですね。そういう出会いはすごく、ありがたいですね。

― 知花さんが初めてアフリカに視察に行き、最も衝撃を感じたことはなんですか。

たくさんありましたね。私たちが普段、当たり前に存在していると思っているものがないんですよ。病院も水道もそうだし、水道がなければ、お手洗いもないんですよね。本当にいろんなベーシックなもの、人が人として生活していくうえで、必要だと私たちが思っているものがほとんどないということに、とても驚きましたね。一度、井戸を開発援助で作ってもらった村を取材しに行きました。井戸ができる前に、どうやって水を汲んでいたのかを、あるお母さんが見せてくれたんです。本当にびっくりしました。泥池に雨水がたまっていて、虫とか泳いでいるんですよ。本当に汚い茶色の水を容器に汲んで、沸かして料理したり、飲んだりしていました。下の泥土をかき混ぜないように、上澄みだけすくっていたけど、それでも、中には虫が混じっているんです。本当にこんな水を以前は飲んでいたのかと驚きました。そのお母さんに井戸ができたことで「何か変わりましたか」と聞くと、「子どもが病気しなくなりました」と話してくれました。それはそうですよね、あのお水を飲んでいたら、子どももおなかを壊すし、悪い菌ももらうだろうし。でも、今はきれいなお水が汲めることで、生活もより良い方向に向かっていました。あれは、本当に衝撃でした。

「完璧じゃなくてもいい。100できなくても、0でやらないよりは、3やるのがいいわけじゃないですか、きっと。」

― 知花さんは取材やWFPの活動を通して、アフリカなどで貧困の現実をご覧になってきましたが、どのようにその現実を、いまの若い人々の心に伝えようとしていますか。

un_interview_photo02私はひょんなことから、開発途上国を旅するという機会をいただいて、自分自身が恵まれた立場に置かれていると日々実感しています。現地に行って、そこに住む人々と話をし、そこで私が感じたことや見てきた現実をそのまま私の言葉を使って、再現するように伝えていけたらいいなと思っています。架け橋になるというか。やっぱり遠いところにいると、想像もつかないわけです。少しでも想像するときのヒントにしていただけたらいいなと思うので、できるだけ多くの人と話して、いろんなものを見て、それを自分からどんどん発信していくことでつながっていけばと思っています。私も普段は東京で仕事をしているので、正直なところ毎秒毎分そういうアフリカの子どもたちのことや、アジアのスラムに住む人達のことなどを考えていられるわけではありません。でも、完璧じゃなくてもいい。100できなくても、0でやらないよりは、3やるのがいいわけじゃないですか、きっと。だから、日本にいる方、特に同年代の方にはいろんなことを考えて、感じていただけると嬉しいです。撮ってきた写真を実際に見ていただいて、この時どういうエピソードがあったのかを伝えるのは一つの手だと思うんですね。やっぱり関心を持ってもらうことがすごく大切だと今は実感しています。関心を持っていただけたら、もっともっと周りから入ってくる情報も自分の中で消化しやすくなると思います。例えば、私の場合は女性問題、子どもの問題や教育の問題にすごく興味があります。世界で何が起こっているのかをまずは自分で興味を持って、新聞を読んでそれに関する記事があったら切り取って、あとからまた読み直してみるとか、そういうことでも良いですよね。私たちは永遠に生きているわけじゃないし、限られた時間の中で、やっぱり人とつながっていたいという想いもあります。自分のことばかり考えるのではなく、自分が持っているもので、手段として利用できることがあれば、どんどんやっていきたい。そういう風に、人と人との協力の輪がつながっていくといいな、今はそんな想いです。

― 知花さんが女性に関わる問題にも注目されているとお聞きしましたが、日本の女性の地位や役割について、どのようにお考えですか。

日本に関して言えば、もちろん2、30年前より変わってきていると思いますが、ただやっぱり女性が働きにくい環境や、昇進しにくい環境というのがいまだにあると思います。そういう意味では、まだまだアンフェアじゃないかなと感じますね。女性のリーダーがもっともっと出てきてほしいなとすごく思うんです。例えば、女性総理大臣というリーダーが日本に誕生すれば、随分変わると思うんです。私が旅をしている間、いろんな海外の方に会いました。印象的だった会話は「日本に女性の総理大臣が出てきたらきっと変わるよね」と言われたこと。今まで、すごく閉塞感があったし、そういう意味で、すごくパワフルな女性のエネルギーで、良い方向に向けばいいなとは思います。自分から発信して、人を巻き込んじゃう、バイタリティあふれる女性のリーダーはたくさんいらっしゃいます。自分の目標でもあります。まだまだ、勉強も経験も足りないし、自分の今やっていることで、すごく自分にピタッと来るものを少しずつ積み重ねていって、もっともっと勢力的に活動を続けられたらいいなと思っています。日本だけじゃなくて、日本と外国の架け橋になれるような女性になれたらすごく素敵だなと思います。

「その世界の違いに、やっぱり最初戸惑ったりもしていました。自分に一本筋が通っていないんじゃないかっていう風に思った時期もありました。でも、やっぱり一人ひとりの立場でできることは違うと思うので、自分のできることを探していけたらいいなと思います。」

― 国際協力を通じてご覧になった貧困などの問題に苦しんでいる世界と、モデルや芸能人として活躍されている世界、一見全く違うとも言えるこの二つの世界を、知花さんはどのように両立されていますか。

難しいですね。もちろん葛藤する、混乱することはありますよ。例えば、アフリカの国に行って、ぼろぼろの洋服を着て、お尻とか出ている男の子達と、おっかけっこして遊んで、日本に帰ってきて、毛皮を身につけて、秋冬ものの撮影とかというのも普通にあるんですね。その世界の違いに、やっぱり戸惑ったりもします。自分に一本筋が通っていないんじゃないかって思った時期もありましたね。もちろん、その現地で活動をするNGOや国連の機関もたくさんあるし、そういう機関にどっぷり浸かって活動することもできるけれど、私は私の状況があって、ミス・ユニバースというきっかけがあり、今の仕事をいただいています。私にできることが、そこにもやっぱりあるんです。そこで現地の活動にフィードバックして、還元していけることがあると思う。例えば、オフィシャルサポーターという肩書きをいただいて、トークショーをすることは、私が一個人としてはできないことです。だから私の中で今は、キャリアとしてベースを作りながら、一方で勉強をしつつWFPの活動もしていくという二本立てを考えています。私がモデルとしてのキャリアで培ったものを使って、WFPの活動にも生かしていきたい。逆に、活動で得たものをモデル業にもフィードバックしていきたいと思っています。一人ひとりの立場でできることは違うと思うので、自分のできることを探していけたらいいなと思います。黒柳徹子さんは憧れの存在で、とても尊敬しています。

― 現在欧米では、ファッション業界関係者や、セレブの中でもチャリティや、ボランティア活動に熱心な人が増えています。その傾向について、どのようにお考えですか。

そういう傾向は良いと思います。なぜなら、世界で起こっていることを知った人々がそれについて考えるということはとても大切なことだと思うからです。例えば養子を迎えることにしても、それは良いことなのか、悪いことなのか、いろいろ考えるじゃないですか。善悪の問題は別にしても、その影響は限りなく大きいのは確かだし、それをきっかけに人が考えるようになるっていうのは、すごいことだと思います。例えば、エコの問題や開発途上国の問題というのは、以前よりずっと自然に人々の頭の中に入るようになったんじゃないかなと思っていますが、それには彼らが少なからぬ役割を果たしていると思います。

 

© WFP/Rein Skullerud

© WFP/Rein Skullerud

― 栄養学を勉強されているということで、WFPとのつながりがあって、栄養学をお選びになったのですか。

WFPも理由のうちの一つです。以前はハラペコの状態を自分で全然想像できなかったけれど、去年アフリカに行って、食べ物がなくて、ものすごくおなかをすかせて瀕死の状態の子どもを目の前にした時に、「食べ物がないと、身体がこんな状態になってしまうんだ」と本当に悲しくなりました。やっぱり食べ物は体にとって大切なんだなと思いました。日本だと、食べ物が溢れていますから、実感しにくかったりしますけど、口の中に入れたものって必ず何かの反応を起こしているし、必ず自分の体のどこかに現れてきます。そういう意味で、食に興味を持ったというのもありますね。

「限られた時間の中で、思い立った時に、心が熱く動かせる時に、どんどんアクションを起こしていく、私自身へのメッセージでもあります」

― 最後に、国際協力・社会貢献に興味を持つ日本の方々へ一言メッセージをいただけますか。

現実を知ることが第一のステップです。興味のあるテーマがあるのなら、そこから入るのが一番身近だと思うんですよね。その次、どういう風にアクションを起こしていくのかも、やっぱり大切だと思うんです。東京だと、いろんなイベントが開催されているので、そういうところに足を運んでみるとか。実際に見てみる、NGOなどの方と会ってみるっていうのは、とても刺激的だと思いますね。チャリティとか、ちょっとした募金もあるし、自分から行動していけたら良いんじゃないかなと思います。やっぱり興味を持つことと、大げさに聞こえるけれど、そういう活動をする上で人を想う気持ちが大切なんだなと感じるようになりました。同じ人間ですから。自分ならこうしたいなっていう想いで一生懸命追求していくと良いかなと思います。私も修業中です。取材をする時もやっぱりその現地の方に愚痴を言われることとかもあるんです。「外から取材しに来て、全然分かっていない」と。確かにそうだな、すごい勝手で申し訳ないと思ったことも何度もあります。だから、できるだけその現地の状況に自分の身を置いて考えられるようにはなりたいと思うんです。限られた時間の中で、思い立った時に、心が熱く動かせる時に、どんどんアクションを起こしていくというのが、私自身へのメッセージでもあります。

(インタビュアー:李 夢鈺/写真:山口 裕朗)un_interview_photo04

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