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キプロス出典「国連の基礎知識」

国連キプロス平和維持軍(United Nations Peacekeeping Force in Cyprus:UNFICYP)(https://unficyp.unmissions.org/)は、ギリシャ系住民とトルコ系住民との間の戦闘の再発を防止し、法と秩序の回復と維持、平常な状態への復帰に貢献するために1964年に設置された。1974年、ギリシャ系住民とギリシャ人分子がギリシャとキプロスの連合を支持してクーデターを実行してトルコの軍事干渉を招き、キプロス島は事実上二つの地区に分割された。その以来、UNFICYP は、1974年8月16日に発効した事実上の停戦を監視し、キプロス国家警備隊とギリシャ軍を南に、トルコ軍、トルコ系住民軍を北に、両者間の緩衝地帯を維持してきた。

UNFICYP が平和を維持している一方で、安全保障理事会は問題の解決を進める調停官を指名した。その任務はニコシアに所在する「事務総長キプロス担当特別顧問室」(Office of the Special Adviser to the Secretary‒General on Cyprus)(https://dppa.un.org/en/mission/special-adviser-cyprus)を通して現在も続けられている。1974年以来、キプロス問題は、統治や権限分割の問題から財産、領土、治安の問題を含むまでに発展した。1977年と1979年、2度にわたるハイレベルの合意によって包括的解決の概要が明らかになったものの、政治的平等、単一の主権、国際的人格を有する二つの地区、二つの共同体からなる連邦制が現在の交渉の目標として残っている。

1999年、キプロス共和国のEU 加盟の可能性が同島を再統合する努力を倍加させることになった。事務総長は、1999年、2000年、2002年と周旋を行って和平プロセスを可能にしたが、合意に達するまでには至らず、会談は2003年に停止した。2004年、交渉が再開され、事務総長が詳細な提案を行うまでになり、「キプロス問題の包括的解決」案を提出した。それは、ギリシャ系およびトルコ系構成国家からなる二地帯の、二共同体のキプロス連合共和国の樹立を提案したものであった。このプロセスを通してギリシャ系、トルコ系の両指導者は、ギリシャ、トルコ、イギリスの保証国とともに、初めて会談した。ギリシャ系住民の国民投票では、投票者の76パーセントが計画に反対し、トルコ系住民の場合は、投票者の65パーセントがそれを支持した。両住民の承認がないまま、計画は失敗に終わり、キプロスは分割された軍事国家としてEU に加盟した。

国連の主催のもとに本格的な交渉を再開させるとのギリシャ系、トルコ系両住民指導者による2008年3月の合意を受けて、事務総長はその周旋を改め、アレクサンダー・ダウナー(オーストラリア)を特別顧問に任命した。続いて2014年8月に任命されたエスペン・バース・アイデ(ノルウェー)キプロス担当特別顧問は、指導者主導の、キプロス自身による会談を進める(www.uncyprustalks.org)。8年に及ぶ努力の後の2016年9月、現職のギリシャ系、トルコ系両住民指導者は、2014年2月11日の共同声明に記載されているように、進行中の会談において包括的な解決に2016年中に到達できるように最善を尽くすとの決意を繰り返した。

こうしたことを背景に、ある種の正常化とともに、2004年以来初めてより良好な治安状態が広がった。トルコ系住民当局は、国連がパトロールする緩衝地帯沿いの検問所を開き、その結果、何千人ものギリシャ系、トルコ系の住民が、30年後に初めて、往来できるようになった。現在も180キロの緩衝地帯に設けられた7か所の検問所を通って両住民間の往来が続いている。国連は広範にわたって地雷除去の活動を行い、これまで2万7000個以上の地雷を除去した。失踪者委員会はこれまで1,200人の遺骨を掘り起こし、DNA 鑑定に基づいて650人以上の遺骨を家族のもとへ返した。

こうした明るい発展にもかかわらず、和平プロセス以外の両当局間の直接の接触は依然限られている。政治的解決がないことから、UNFICYPのプレゼンスや仲裁の役割は、対立する部隊から生じる日常の問題、法と秩序に関する問題、市民に関連する問題に対処するためには不可欠である。解決が実現した場合は、平和維持活動は、合意の実施に関して両サイドを支援することになっている。