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過去の国連ピース・メッセンジャー

Former United nations Messengers of peace

エリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel)

ホロコーストの生存者であり、ノーベル賞受賞者、作家、そして人権活動家でもあるエリ・ヴィーゼル氏は、1998年に国連ピース・メッセンジャーに任命されました。長年にわたるその思いやりに溢れた言葉によって、貧困撲滅やスーダンのダルフール地方での残虐行為の根絶に関して国連が行う様々な活動に対し、人々の関心を喚起しました。初めての「ホロコーストの犠牲者を想起する国際デー」など、国連の様々な場に常に立ち会っていました。

トランシルバニアの町、シゲト(ルーマニア)に生まれたエリ・ヴィーゼル氏は、15歳で家族と共にアウシュビッツの強制収容所に送られました。1986年にノーベル平和賞を授与され、その後すぐに夫人のマリオン・ヴィーゼルと共に、不寛容および不正と闘うため「エリ・ヴィーゼル・ヒューマニティー財団」を設立しました。

2016年7月2日に死去したヴィーゼル氏は、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長により「寛容と平和の世界で最も重要な証人、そして最も雄弁な擁護者の一人」として記憶されました。

ビジャイ・アムリトラジ(Vijay Amritraj)

国際的なテニス選手として活躍したビジャイ・アムリトラジ氏(インド)は、2001年2月9日に国連ピース・メッセンジャーに任命されました。アムリトラジ氏は、苦境にある人々の擁護に務め、麻薬やHIV/エイズ問題の認識を高めることに尽力してきました。世界各地の慈善イベントへの参加や企画を通して、エイズのまん延と闘うための資金調達を行うなど、数多くのインド系アメリカ人の慈善団体やコミュニティーとも連携しています。

アンナ・カタルディ(Anna Cataldi)

作家でジャーナリストのアンナ・カタルディ氏(イタリア)は、1998年に国連ピース・メッセンジャーに任命されました。カタルディ氏は、戦争がボスニアの子どもたちに与える影響を記録した『サラエボからの手紙(Letters from Sarajevo)』の著者です。世界人権宣言50周年を記念して、カタルディ氏は世界人権宣言のパスポート版を作成し、子どもたちに配付するプロジェクトに携わりました。また、人権運動家として、国連が活動を行っている多数の紛争地域(バルカン諸国、中央アフリカ、アフガニスタンなど)を訪問しています。

ジョージ・クルーニー(George Clooney)

俳優、映画監督、脚本家、そしてプロデューサーのジョージ・クルーニー氏は、熱心な人権活動家として、そのグローバルな人気を活かし、国連が全世界で展開する平和維持への取り組みに対する世論の関心と支持を集めました。

クルーニー氏は2006年9月、国連安全保障理事会の非公式会合で発言し、ダルフールでの暴力への政治的対応の実現に協力するよう理事国に訴えました。

2007年4月、クルーニー氏は、世界各地で起きている大規模な残虐行為と闘うために世界の関心と資金を集めることを目指すNPO法人「Not On Our Watch」を共同で設立しました。ダルフール危機の解決に助力することが、その最初の優先課題です。

ワンガリ・マータイ(Wangari Maathai)

ワンガリ・マータイ氏は数十年にわたり、国連の理念と目標の推進に貢献しました。人権と女性のエンパワーメントにおける世界的な推進者として知られるマータイ氏は、人権、貧困、環境保護、そして安全保障の各分野を結びつけるパイオニアとなり、その功績により、2004年にノーベル平和賞を受賞しました。

マータイ氏は1940年、ケニアのニエリで、ケニア山高地の農家に生まれました。東・中央アフリカの女性として初めて博士号を取得した後、1977年、ナイロビ大学で獣医解剖学の准教授に就任しました。また同年、グリーン・ベルト・ムーブメント(Green Belt Movement)という草の根の環境団体も立ち上げています。この団体は、環境を保護し、持続可能な暮らしを促進するため植林活動を行う女性とその家族を支援し、これまでにケニア全土で4,000万本以上の植林をサポートしています。

その深い献身に対し、事務総長は2009年12月、マータイ氏を環境と気候変動に関する国連ピース・メッセンジャーに任命。2011年9月25日に生涯を終えるまで、その役割を的確かつ情熱的に務めました。

エンリコ・マシアス(Enrico Macias)

1997年に国連ピース・メッセンジャーに任命された歌手で作曲家のエンリコ・マシアス氏(フランス)は、人権擁護活動家として数多くの非政府組織(NGO)や人権に関する草の根運動を支援しています。マシアス氏の音楽は、人権、平和、寛容の推進に対する強いコミットメントを反映しており、世界各地の難民の窮状に注目を集める作品となっています。アルジェリアで生まれ、自身も難民として30年以上前に祖国を離れフランスへ移住した経験を持つことから、難民が国や家族、友人を失う痛みをよく理解しています。エジプトとイスラエルが歴史的な平和条約に調印した直後の1979年に、アンワル・サダト エジプト大統領の招待によって、エジプトの平和コンサートで演奏を披露しました。

ウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis)

ジャズ・ミュージシャンのウィントン・マルサリス氏は、2001年3月20日に国連ピース・メッセンジャーに任命されました。マルサリス氏は、プロの音楽家としてのキャリアの大部分を音楽の指導と教育の推奨に注ぐと共に、楽器の寄付や奨学金制度を通して、恵まれない境遇にある若い音楽家を支援してきました。ジャズ・アット・リンカーン・センターの芸術監督を務めるマルサリス氏は、近年のヨーロッパ・ツアーではリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラと共にグジャラート(インド西部)大地震による被災者への義援金を募る活動に貢献しました。

ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)

国際的に有名なオペラ歌手であるルチアーノ・パヴァロッティ氏は、2007年9月6日にモデナ(イタリア)で71歳の生涯を終えるまで、10年近く国連ピース・メッセンジャーとして活躍しました。パヴァロッティ氏は、紛争で疲弊した国における子どもたちの苦しみを軽減することに熱心に関わり、何百万ドルもの人道援助を行いました。数多くのコンサートを開催し、才能ある友人たちに資金調達への協力を促すと共に、世界各地の人権や難民の保護を促進するため、国連に快くその名声を貸してくれました。パヴァロッティ氏による支援を受けた人々、そして数多くのファンや崇拝者と共に、国連事務総長も彼の貢献を心から感謝しています。