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国際女性の日特集シリーズ
女性職員から見た、職場としての国連
~第4回 国連地域開発センター(UNCRD) 高瀬千賀子(たかせ ちかこ)所長~

「経済・社会開発」「環境」「防災管理計画」の視点から、開発途上国の地域開発を後押しする国連地域開発センター(UNCRD)の高瀬千賀子所長に以下の質問をしました。

(1) 貴機関の所長になるまでのキャリアについて教えて下さい。

国連での最初の仕事は国連工業開発機関(UNIDO)のインドネシアで行われていた中規模企業育成を目的としたプロジェクト付きのアソシエート・エキスパート(AE、JPOとも言う。外務省が、将来的に国際機関で正規職員として勤務することを志望する若手邦人を対象に、一定期間各国際機関で職員として勤務する機会を提供する制度)です。サセックス大学大学院修士課程を終えてから半年後、1983年6月に赴任しました。その3ヶ月後に東京で行われた国連の国際競争試験を受け、結果が判るまで一年程掛かりましたが、ニューヨーク国連本部の国際経済社会局(現、経済社会局)のポストの提示があったので、インドネシアでの仕事は1年2ヶ月で終え、1984年10月にニューヨークへ赴任致しました。

最初の仕事は現在でも続いている経済予測のプロジェクトLINKに関わっていましたが、次に現状分析の仕事に移り世界経済分析という刊行物の執筆に携わり、また、国連総会へ提出する総長報告書のうち所属部署が管轄しているものの執筆も担当しました。ご存知のように国連は1992年にブラジルのリオデジャネイロで地球サミットを開催しましたが、その後この会議で採択されたAgenda 21の実施を推進する為に持続可能な開発委員会を設置し、その担当部署として持続可能な開発部というものを国際経済社会局内に新たに設置しました。私は第3回持続可能な委員会の頃より持続可能な開発部へ移りました。1995年のことです。

その後縁あって、生物多様性条約の事務局がモントリオールに設置されるに当たり、国連組織の事を良く知っている人材を探していたので、エコノミストとして出向することにしました。1996年11月から1999年7月まで、この条約の事務局におり、様々な会議に携わり、コロンビアのカルタヘナで行われたカルタヘナプロトコール採択に向けた会議も担当しました。残念ながらプロトコールはこの会議では採択されませんでしたが、最後の会議になる筈だった開催地に敬意を表して、プロトコールの名前はカルタヘナが使われています。

その後、国連本部の持続可能な開発部に戻り、消費生産行動の変更という課題の中、主に消費行動の変更を担当しました。中でも、持続可能な政府購入という課題に注目し、専門家会議を開き、ネットワークを構築しました。リオでの会議からから10年後の2002年にヨハネスブルグで開かれた持続可能な開発に関する世界サミットでは、準備会合から決議文作成を事務方から補佐しました。その後のヨハネスブルグ・サミット実施計画の推進においては、計画の中で謳われている持続可能な消費と生産に関わる10年枠組みを第一回マラケシュ会議から担当し、いわゆるマラケシュプロセスを主に持続可能な消費の観点から推進し、持続可能な政府購入の課題も引き続き進めました。

ソマリア難民キャンプにてプロジェクト進捗状況の視察(ケニア・ダダーブ)

ミレニアムサミットから5年後、2005年に開催された世界サミットの頃、経済社会分野の総括母体である経済社会理事会担当の経済社会理事会支援・政策調整部に移り、正に経済社会理事会、特にハイレベル会期の担当として、議題策定、資料作成など、その活動の内容面を補佐し、また、決議文の採択に向けての補佐、議長・副議長に対する議事の補佐などを行いました。総会第二委員会の議長・副議長の補佐もこの部署の仕事の一部でした。国連での経験も27年も経ち、そろそろ日本で母の傍にいる時間を長くしたいと思っていた矢先に、現在の仕事の機会が廻ってきて、この仕事はもとの古巣の持続可能な開発部が管轄していると言う関係もあり、最初は短期のつもりで赴任しましたが、早、3年が経とうとしています。

(2) ワーク・ライフ・バランスはどのように保っていますか?

現在の仕事では、あまりバランスが良いとは言えません。というのも、日本は本部のあるアメリカ東海岸と時差が13~14時間ということもあり、夜になるとニューヨークが起きてきます。急ぎの用などがあるとどうしてもメールを通して、または、スカイプを使って連絡することになりますので、夜はかなりいつも遅くまで起きています。ニュ-ヨークへ出張した時はこれが解決されるかというと、今度は反対に、ニュ-ヨークの夜に日本が起きてきて、いろいろ確認事項などがあるとかなり遅くまで起きていることになります。コミュニケーション機器の発達により、便利になった反面、どこにでも仕事が付いて来る様な状況になっていると思います。ある程度の所で一線を引かないと体がもたないと思います。

とはいえ、時間ができれば美術館に行ったりしますし、良い展覧会がある時は時間を作ります。また、友人と時間が合えば、少し遠出をします。大学時代からの友人が豊橋にいるので、彼女と時間が合えば近隣の日帰り旅行を企画しますし、東京から奈良や京都に出かける人があれば付いて行ったりします。名古屋はそういう意味で歴史的に興味深い場所が近隣にありますので、是非そういう場所を訪れて見たいと思っています。この部署に着てからの最大の出来事は正倉院展に行くことができたことです。ニューヨークにいた時は、この為に日本に帰ってくる訳にも行かず、特に、秋で総会の一番忙しい時期ですので、正倉院展は定年後に見るものと決めていました。ところが、友人で毎年行っている人がいて、彼女が声を掛けてくれたので、赴任の最初の年から行くことができました。以来、毎年行くことができています。

ニューヨークにいた時は、お料理することも楽しみの一つでした。どんなに遅く帰っても、冷蔵庫の中にあるものから何か作ったり、週末などに多めに作った一品に毎日少しずつ品数を足していったり、お料理することで気分転換ができていました。また、機会があれば週末に人を呼んで食卓を囲みながら皆で自由に語り合い、笑い、そしてまた、それぞれの家に呼び合ったりでとても楽しい時間を過ごしていました。残念ながら、日本では時間もないし、家もまだ片付いていないし、恐らく片付いてもそれ程人を呼べるようなスペースはないし、ということで、この点では、たまに自分でお料理ができればそれで良しというところです。

(3) 国連で働く中で、女性であることが活かせた経験はありますか?反対に、女性であることが障害となった経験はありますか?

UNCRD開催のグリーン経済に向けた上級政策セミナーにて(ベトナム)

あまり女性である事を意識して仕事をしたことがないので、この点に関してはあまり書けることがないのですが、例えば、上に立つ立場になってみて、女性の部下がいる場合、彼女達のアプローチしやすい上司になっているのではないかという気がしています。女性の地位向上の為の指針の中に、女性を地位の高い役につけるという項目があって、最初はその価値があまり判らなかったのですが、確かに目の前に高い地位に女性が就いていれば、それが目標になったり、普通ととられるようになったり、次に続く人にとって、そうなることが身近に考えられるようになることに気が付きました。私自身、何人かその様な女性の上司や目標となる女性に出会っています。

私はまだ、それ程高い地位にいる訳ではないですが、ある程度長い職歴があり、こういう立場にいるという事で、後に続く方々が普通の事として、この様な職を考えることができるようになったのなら、そういう意味で、私が女性であるということは、女性の方々に対してある程度影響を与えることができたかと思っています。女性であることが障害になったという経験は特にありません。

(4) 貴機関では、世界各地で起きている女性をとりまく問題に対してどのようにアプローチしていますか?また、その活動を通して目指している、女性の社会でのあり方とは何ですか?

TICAD V 公式サイドイベントにて「アフリカ持続可能な交通(EST)フォーラム構想」について説明(横浜)

過去の仕事の例としては、ジェンダーに配慮するコミュニティベースの防災というテーマを都市化とジェンダーに対応するコミュニティ防災を焦点に、4カ国でジェンダーの視点を取り入れたワークショップやトレーニングを開催し、政策の開発や評価の為の関係者の能力向上などに努めたというものがあります。

また、現在の仕事の中では、例えば環境的に持続可能な交通の中でジェンダーに配慮した交通機関などのテーマがあります。また、アフリカ事務所が行っている難民の代替生計創出のプロジェクトは特に女性と若者に焦点を当て、女性には小規模ビジネスに関する能力向上と裁縫業の知識向上を目的としたワークショップを開いています。また、エネルギー効率の高いコンロの配布は環境への影響を低減する他、調理時間の短縮により、女性に賃金を得る仕事に就く時間を与えたり、燃料となる小枝を取りに行く回数の低減により、暴行などの被害に受けるリスクを減らすという様々な好影響をもたらしています。

様々な形で女性が直面する問題を扱っていますが、どれに付いても共通に言える事は、社会的に弱い立場にありがちな女性に、能力向上を図り、経済力をつけてもらおうということだと思います。持続可能な交通でジェンダーに配慮するというのも、そうすることにより女性が公共交通機関を使いやすくなり、学校や仕事に出かけやすくなるという効果をもたらします。いろいろな側面から女性の社会進出・地位向上を応援しているということができると思います。

国連ミレニアム開発目標(MDGs)の達成を訴える世界的キャンペーンに会場も一体となってスタンド・アップ!(名古屋)
名古屋で、開発途上国における
「生物多様性と地域開発」についての関心を高める
イベントを開催

(5) 貴機関の女性に関する人事政策について特徴的な点があれば、挙げてください。

特に当センターで特別な人事政策があるわけではなく、国連の人事政策を継承していますが、小さなオフィスであるということが影響しているのか、結果的に女性の比率は多くなっています。地域に密着しているという点で女性が働き易い環境にあると思います。

(6) 国際舞台で活躍したいと思っている女性に一言お願いします。

私は自然体でいることが好きで、そういう意味で女性であることを意識したことがあまり無いまま30年近くも仕事をしてくることができたことは大変幸せなことだと思います。これは、国連と言う職場が可能にしてくれたと思っています。私の30年の職業経験は全て国連組織の中で積み上げられました。大分前に日本人職員の会合で、「男性を代表して一言」、「女性を代表して一言」、という場面があり、女性を代表するようご指名を受けた当時高い地位にいた方が、「『女性を代表して』という紹介をしないで済むようになった時に本当に男女平等になったと言えるのだと思います」と仰った時、大変感銘を受けた事を思い出します。

女性であろうと、男性であろうと、各個人の能力と力量で仕事をする。その様な場を国連は提供してくれると思います。ご自身の専門性を磨き、その能力を充分発揮できるような職に就かれる事を期待します。たくさんの女性がどんどん国際舞台へ進出し活躍なされるよう微力ながら応援したいと思います。