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国連平和維持活動の50年

UNITED NATIONS PEACE KEEPING 1948-2001

 

国連休戦監視機構
UNTSO(UN Truce Supervision Organization)

1948年6月-現在
安全保障理事会は、アラブ・イスラエル戦争の停止を呼びかけ、初の国連平和維持活動を創設した。UNTSOの軍事監視団は、停戦及び休戦協定履行の監督、偶発事件の拡大防止のために当地域に滞在し、また、その後実施された平和維持活動の支援を行ってきた。

国連インド・パキスタン軍事監視団
UNMOGIP(UN Military Observer Group in India and Pakistan)

1949年1月-現在
ジャム・カシミール州をめぐるインド、パキスタン間の紛争に関し、安全保障理事会はインド・パキスタン委員会を設置し、合意された停戦ラインの監視のため、軍事監視団を派遣した。1971年に両国間の緊張が再発して以来、UNMOGIPは、安全保障理事会の要請に基づき停戦監視任務にあたっている。

第1次国連緊急軍
UNEF I(First UN Emergency Force)

1956年11月-1967年6月
エジプトが、スエズ運河を国有化した際、イスラエル、フランス、イギリスが介入した。フランス、イギリス両国の拒否権により、安全保障理事会の活動は妨げられたが、緊急総会によって、初の国連平和維持軍となるUNEF Iが創設された。UNEF Iは、侵入軍の撤退を監督し、エジプト軍とイスラエル軍の間で、緩衝の役割を果たした。1967年5月、エジプトの強い要求によりUNEF Iは撤退した。

国連レバノン監視団
UNOGIL(UN Observation Group in Lebanon)

1958年6月―1958年12月
憲法改正の動きをめぐってレバノン国内で武力紛争が発生し、それへのシリアの干渉に対して非難がなされた。安全保障理事会はUNOGILを設立し、レバノン国境内へ向けての軍事要員、兵器、その他の軍事物資の移送が行われないよう監視することとした。紛争沈静化後の緊張状態の緩和によりUNOGILは撤退した。

国連コンゴ活動
ONUC(UN Operation in the Congo)

1960年7月―1964年6月
独立を果たしたコンゴは、武力反乱、ベルギー軍の介入、悪化を辿る社会混乱といった危機に直面していた。コンゴ政府は、国連に軍事的支援を要請した。安全保障理事会によりONUCが創設されたが、カタンガ州が分離したことにより、ONUCは、コンゴ共和国の領土的統一、及び、政治的独立の維持、内戦の抑止、そして国外よりの軍事活動分子の排除、といった任務の遂行を余儀なくされることなった。ONUCの軍事要員数は、最盛時には19,000人に達するものとなった。

国連西ニューギニア(西イリアン)保安隊
UNSF(UN Security Force in West New Guinea –West Irian-)

1962年10月―1963年4月
西イリアンをめぐって、インドネシアとオランダの間に紛争が発生した。インドネシアへの移管期間中は、国連暫定行政機構 (UNTEA)が、その地域における行政上の責任を遂行することで合意が成立した。UNTEA/UNSFは、総会により創設され、UNSFは、移行の期間中、停戦監視と、法と秩序の維持において、UNTEAを支援する任務を担った。

国連イエメン監視団
UNYOM(UN Yemen Observation Mission)

1963年7月―1964年9月
イエメン内戦において、エジプトとサウジ・アラビアが、それぞれ相対する勢力を支援しており、紛争の拡大が懸念された。国連事務総長の主導により、兵力引き離し合意が成立し、合意履行の監視のために、安全保障理事会はUNYOMを創設した。

国連キプロス平和維持軍
UNFICYP(UN Peacekeeping Force in Cyprus)

1964年3月―現在
1964年、安全保障理事会は、ギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人の両コミュニティ間の戦闘の拡大を防ぐと共に、法と秩序を維持し、事態の平常化を促すため、UNIFCYPを設立した。1974年、ギリシャ系キプロス人のキプロス国家警備隊のメンバーによるクーデターと、それに引き続いたトルコの軍事介入によって、島は分断状態に置かれたままとなった。UNFICYPは、停戦ラインの監督、緩衝地帯の維持、そして、人道的活動への従事のため、現地に展開を続けている。

ドミニカ事務総長代表使節団
DOMREP(Mission of the Representative of the S-G in the Dominican Republic)

1965年5月―1966年10月
ドミニカ共和国は、対立する二つの政府の出現により争乱状態に陥った。これをうけて、米州機構は、米州平和軍 (IAPF)を派遣した。国連事務総長は、安全保障理事会の要請に基づき、状況を報告させるべく、軍事監視要員にサポートされた特別代表を派遣した。その後、新政府の樹立に関して合意が成立したのを見て、IAPFは撤退し、DOMREPもそれに続いた。

国連インド・パキスタン監視団
UNIPOM(UN India-Pakistan Observation Mission)

1965年9月―1966年3月
インドとパキスタン間の戦闘再発後、国境地帯における停戦を確実なものとし、また、両軍の撤退を監督するため(カシミール地方の停戦ライン沿いでのこの任務は、UNMOGIPが担った)、安全保障理事会によりUNIPOMが創設された。

第2次国連緊急軍
UNEF II(Second UN Emergency Force)

1973年10月―1979年7月
エジプトとシリアがイスラエル側の陣地を攻撃した。エジプトとイスラエルの間の戦闘が深刻な段階に達したのを見て、安全保障理事会は、停戦を要求し、第二次緊急軍を設立した。UNEF IIは、スエズ運河周辺とシナイ半島地域の安定化、両軍の引き離し状況の監督、及び、両者間の緩衝地帯の設立のために活動した。

国連兵力引き離し監視軍
UNDOF(UN Disengagement Observer Force)

1974年6月―現在
1973年の戦争後より続いた、ゴラン高原における不安定な休戦状態は、イスラエル、シリア両国の合意に基づく、双方の兵力引き離しにより解消を見た。安全保障理事会は、合意の履行状況監督と停戦維持に当たらせるためUNDOFを創設した。

国連レバノン暫定軍
UNIFIL(UN Interim Force in Lebanon)

1978年3月―現在
レバノン領内から行われたパレスチナ解放機構(PLO)による襲撃への報復として、イスラエルは、南部レバノンへ侵攻した。安全保障理事会は、イスラエル軍のレバノンよりの撤退を確認し、国際的平和と安全を回復し、また、レバノン政府が当地域での実効的権威を回復するのを支援するため、UNIFILを創設した。

国連アフガニスタン・パキスタン仲介ミッション
UNGOMAP(UN Good Offices Mission in Afghanistan and Pakistan)

1988年5月―1990年3月
1979年、ソ連がアフガニスタンに軍事介入した。安全保障理事会において結論を見ない議論が継続した後、事務総長と彼の個人代表の努力により、1988年に、ジュネーブ協定が成立し、アフガニスタンとパキスタン両国の相互不干渉と難民の自発的帰還の約束がなされると共に、ソヴィエトの撤退が要求された。安全保障理事会はUNGOMAPに協定履行の監視任務を与えた。

国連イラン・イラク軍事監視団
UNIIMOG(UN Iran-Iraq Military Observer Group)

1988年8月―1991年2月
約8年に及ぶ戦闘と、それに伴っての国連事務総長の主導による外交交渉の結果、イランとイラクは停戦と直接交渉を行うことに合意した。UNIIMOGは、停戦の履行を監視する任務を担ったが、国際的に承認されている国境線までの両国兵力の撤退が確認されるに至って、1991年、国連監視団はその任務を完了した。

第1次国連アンゴラ検証団
UNAVEM I(UN Angola Verification Mission I)

1989年1月―1991年6月
重ねられた交渉の結果、アンゴラからのキューバ軍の段階的撤退が合意され、国連軍事監視団がその検証にあたり、ナミビア独立に向けた国連の計画実施の一歩とした。国連監視団は、1991年5月にアンゴラからの最後のキューバ軍の撤退を報告した。

国連ナミビア独立移行支援グループ
UNTAG(UN Transition Assistance Group)

1989年4月―1990年3月
1978年、安全保障理事会は、国連の監視下での、自由で公平な選挙を通じた、ナミビアの独立への移行のための具体的計画を採択した。しかし、計画への抵抗を克服するためには約10年間に及ぶ更なる交渉を要することとなった。1989年、国連は120カ国から参加した8,000人の軍事要員と文民から成るUNTAGを展開した。UNTAGの任務は、1990年4月のナミビアの国連加盟により完了した。

国連中米監視団
ONUCA(UN Observer Group in Central America)

1989年11月-1992年1月
中央アメリカにおける和平プロセスの一環として、1989年、安全保障理事会は、中央アメリカの5カ国の政府による安全保障問題に関する合意の遵守の検証に当たらせるためONUCAを創設した。エスキプラスII協定の下で、後に、ONUCAは、ニカラグアにおける対立勢力間の停戦監視と兵力引き離し、及び、ニカラグア反政府勢力の動員解除に関して、支援活動を行った。

国連イラク・クウェート監視団
UNIKOM(UN Iraq-Kuwait Observation Mission)

1991年4月-現在
イラクによるクゥエート侵入を頓挫し、この地域での平和と安寧を回復するための国連加盟国の連携によって、停戦が達せられた後、安全保障理事会は、1991年、イラク・クゥエート国境沿いの非軍事化地帯を監視するとともに、国境侵犯を防ぎ、いかなる敵対行為をも報告させるためにUNIKOMを創設した。

第2次国連アンゴラ検証団
UNAVEM II(UN Angola Verification Mission II)

1991年6月-1995年2月
UNAVEM IIにおいては、16年間にわたる内戦に終結をもたらす、アンゴラ政府とアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)の間の和平合意達成を支援するために、軍事要員と文民警察官が派遣展開された。国連は更に、選挙を監視・検証したが、UNITAは結果に異議を唱えた。戦闘が再開された後、UNAVEM II は、両者を停戦に導き、平和プロセスの完成に関する合意達成を支援した。その後、アンゴラ政府とUNITAは、ルサカ議定書に調印した。UNAVEM IIは和平合意の第一段階の検証にあたった。

国連エルサルバドル監視団
ONUSAL(UN Observer Mission in El Salvador)

1991年7月-1995年4月
統合的活動としてのONUSALは、エルサルバドル政府とファラブンド・マルチ民族解放戦線の間での10年間に及ぶ内戦の終結に関する合意実施の検証にあたった。その合意事項は、停戦、軍事力の削減及び機構改革、新たな警察組織の創設、司法及び選挙制度改革、人権問題、土地保有制度、その他の経済社会問題にわたるものであった。ONUSALはまた、1993年3月と4月の選挙の検証にも従事した。

国連西サハラ住民投票ミッション
MINURSO(UN Mission for the Referendum in Western Sahara)

1991年4月-現在
1988年、モロッコ政府とポリサリオ戦線は、西サハラ地域の政治的将来の決定を地域住民に委ねるための住民投票実施に向けた計画に関して合意を見た。MINURSOは、停戦を実施し、住民投票を計画・実行するために展開された。両者間の重要点においての相違は、計画の実施を遅らせたが、停戦は維持された。国連は、1994年8月に選挙権保持者の確認作業を開始していたが、1996年5月にそれは一時中止された。1997年10月、事務総長特使の支援の下に行われた両者間の交渉に引き続き、MINURSOは、選挙権保持者確認の作業を続行した。

国連カンボジア先遣隊
UNAMIC(UN Advance Mission in Cambodia)

1991年10月-1992年3月
先遣隊としてのUNAMICは、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)実施に向けた基盤固めのために活動した。

国連保護軍
UNPROFOR(UN Protection Force )

1992年2月―1995年12月
国連保護軍は、当初、クロアチアにおける国連指定地域の非武装化を確実にするために設置された。その後、その任務はボスニア・ヘルツェゴビナにおいての、人道援助物資の輸送支援や、飛行禁止区域や安全地域の監視へと拡大された。後日になって、UNPROFORは、国境地域における予防的監視の任務を帯びて、旧ユーゴスラヴィアのマケドニア共和国にも展開された(FYROM)。1995年3月、UNPROFORは、クロアチアにおけるUNCRO (国連クロアチア信頼回復活動)と、ボスニア・ヘルツェゴビナにおいてのUNPROFOR ( 国連保護軍 )、そしてUNPREDEP (国連予防展開軍)の3組織に再編成された。

国連カンボジア暫定統治機構
UNTAC(UN Transitional Authority in Cambodia)

1992年3月―1993年9月
カンボジアの4派は、1991年10月にパリ協定に調印した。UNTACは、武装解除、兵力の動員解除、警察組織の監督、行政組織の管理、人権状況の向上、難民帰還、選挙の実施といった作業を行い、国家の建て直しに着手した。民主カンボジア党は、選挙に参加しなかったが、選挙は1993年5月に成功裏に行われた。UNTACは、憲法の発布を見た後、撤退した。

第1次国連ソマリア活動
UNOSOMⅠ(UN Operation in Somalia I)

1992年4月-1993年3月
1991年、ソマリアにおける軍閥間の抗争は、飢饉と政府機能の崩壊を導いた。UNOSOM Iは、1992年の停戦の監視、人道援助活動の調整、援助物資の安全確保などに携わった。その後の状況悪化に際して、安全保障理事会は、人道援助物質の安全な輸送の確保のために、加盟国が、統一任務部隊(UNITAF)を組織することを承認した。

国連モザンビーク活動
ONUMOZ(UN Operation in Mozambique)

1992年12月-1994年12月
1992年10月、モザンビーク政府とモザンビーク民族抵抗運動は、14年間にわたる内戦の停戦に合意した。ONUMOZは、平和協定履行の監視、及び、停戦、兵力の動員解除、警察の中立性、選挙といった事柄の検証作業に当たると共に、地雷の除去作業を含む人道援助に携わった。新政府は、1994年12月に樹立された。

第2次国連ソマリア活動
UNOSOM II(UN Operation in Somalia II)

1993年3月-1995年3月
UNOSOMⅡは、UNITAFの後を引き継いだ。その任務は、強制的措置の行使も含めての、停戦監視、無認可兵器の回収、港湾の安全維持、地雷除去、難民の帰還支援といった活動を通じて、人道的支援のための安全な環境を確立することであった。UNOSOMは、また、警察と政治システムの再創設のためにも活動した。1994年に、安全保障理事会が、任務から強制的手段を除いた後は、UNOSOM IIは、様々な交渉や人道的活動の支援に従事した。

国連ウガンダ・ルワンダ監視団
UNOMUR(UN Observer Mission Uganda-Rwanda)

1993年6月―1994年9月
幾度かの停戦にも関わらず、1993年には、ルワンダ政府とルワンダ愛国戦線の間で、ウガンダ国境を跨いでの戦闘が再開した。新たな停戦に引き続き、安全保障理事会は、国境を越えての軍事援助が一切行われぬよう検証するため、UNOMURをウガンダに展開した。

国連グルジア監視団
UNOMIG(UN Observer Mission in Georgia)

1993年8月-現在
アブハジアの分離主義者は、グルジアからの離脱を試みた。1992年、政府軍が鉄道と運輸通信網を確保しようとした時に、戦闘が勃発した。UNOMIGが、1993年の停戦協定の検証のため設立されたが、停戦協定が破られたため展開を一時停止した。1994年5月、独立国家共同体(CIS)が、平和維持軍を展開した後、拡大されたUNOMIGは、CIS軍の活動及び停戦履行の監視にあたっている。

国連リベリア監視団
UNOMIL(UN Observer Mission in Liberia)

1993年9月-1997年9月
1990年、リベリアで内戦が勃発した。そこで西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、平和維持軍としてのECOMOGを派遣するとともに、一連の協定成立を調停した。UNOMILはECOMOGと共に、停戦の遵守や、武器の輸入禁止、動員解除の監視を行った。UNOMILは、また人権の侵害行為の調査も行った。多くの深刻な挫折や戦闘を経験しつつも、1997年、各派は、ECOWASが提案したタイムテーブルに関して同意した。UNOMILは、ECOWASやアフリカ統一機構(OAU)と協議しつつ、選挙監視にあたった。

国連ハイチ・ミッション
UNMIH(UN Mission in Haiti)

1993年9月-1996年6月
1991年9月、民主的に選ばれた初の大統領が政権を追われた。憲法に基づく政権を回復するという合意に従い、UNMIHが、軍隊を近代的なものとし、新しい警察機構を設立する支援を行うために創設された。しかし、クーデターの指導者達により、UNMIHの展開は妨げられ、先遣隊も撤退した。1994年には、多国籍軍により、正当な政権が回復された。UNMIHは、その後を引き継ぎ、安全な環境の保持と、新しい警察機構の設立支援、そして、自由で公平な選挙の実施に向けた条件醸成のために活動した。

国連ルワンダ支援団
UNAMIR(UN Assistance Mission for Rwanda)

1993年10月-1996年3月
UNAMIRは、移行期間中の停戦並びに治安状況の監視を通じて、ルワンダ政府とルワンダ愛国戦線との間の合意履行を、支援する目的で実施された。ツチ族に対する虐殺が、1994年4月に発生した後、その任務は縮小され、UNAMIRは、停戦維持のために活動した。しかし状況が悪化の一途を辿ったので、安全保障理事会は、援助活動の護衛のために、可能なかぎりUNAMIRを拡大させたが、その進展度は遅いものであった。ルワンダ愛国戦線による政権が樹立された後、UNAMIRは、和解への努力と人道援助をサポートし、人権の保障と国際法廷スタッフの安全のために尽力した。1995年12月以降、UNAMIRは、難民の安全な帰還の促進に重点を置いた活動を行った。

国連アオゾウ帯監視団
UNASOG(UN Aouzou Strip Observer Group)

1994年5月-1994年6月
1990年9月、チャドとリビアは、両国間の領土紛争を国際司法裁判所に付託した。裁判所の判断により、リビアは1994年の4月から5月の間にアオゾウ帯から撤退することとなった。安全保障理事会は、撤退の監視のためにUNASOGを展開した。両陣営から撤退完了の宣言がなされた後、UNASOGは活動を終了した。

国連タジキスタン監視団
UNMOT(UN Mission of Observers in Tajikistan)

1994年12月-2000年5月
内戦勃発により、タジキスタンは不安定化していた。1992年より、国連は、タジキスタン政府とタジク野党連合との間の仲介に従事した。一方、独立国家共同体(CIS)は、平和維持軍を配備した。UNMOTは、停戦の監視を行うとともに、CIS軍との連絡の維持を図った。両紛争当事勢力は、1997年6月に一般的和平合意に調印し、UNMOTは、合意履行の監視支援のために拡大された。

第3次国連アンゴラ検証団
UNAVEM III(UN Angola Verification Mission III)

1995年2月―1997年6月

国連アンゴラ監視団
MONUA(UN Observer Mission in Angola)

1997年7月―1999年2月
UNVEAM IIIは、停戦監視、武装解除、人道的活動支援、地雷除去などを通じて、アンゴラ政府とUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)が、和平合意とルサカ議定書に基づいて、平和の回復を図り、国民和解を達成するために派遣された。しかし、包括的なタイムテーブルが設定されていたにもかかわらず、両勢力は、UNITAの任務が終了するまでに、定められた全ての作業行程を完了しなかった。後続派遣団としてのMONUAは、平和と国民的和解を確固とするために、両勢力の支援にあたった。

国連クロアチア信頼回復活動
UNCRO(UN Confidence Restoration Operation in Croatia)

1995年3月―1996年1月
UNCROは停戦合意の履行支援と、プレブラカ半島の非軍事化監視に従事した。クロアチアは、1995年5月及び8月に、西スラボニア、クラジナをそれぞれ軍事力をもって再統合し、国連はそれらの地域より撤退した。東スラボニアのクロアチアへの平和的統合に関しての、クロアチア政府とクロアチア内セルビア人リーダー達の間での合意達成後、安全保障理事会は、当地域に新規の活動を創設し、UNCROの任務は終了した。

国連予防展開軍
UNPREDEP(UN Preventive Development Force)

1995年3月―1999年2月
UNPREDEPは、旧ユーゴスラビア内のマケドニア共和国におけるUNPROFOR(国連保護軍)の後継として実施された。ユーゴスラビア連邦、及び、アルバニアとの国境地帯において、同国の安定を損なう原因となりうるような事態の展開を監視すると共に、国内における民族間対話の促進を図っている。

国連ボスニア・ヘルツェゴビナ・ミッション
UNMIBH(UN Mission in Bosnia and Herzegovina)

1995年12月―現在
1995年12月、一般的枠組みに関する協定の調印がなされ、UNPROFORは撤退し、NATO主導による兵力(IFOR)が配置された。UNMIBHは、人道支援、地雷除去、人権、選挙、そして、インフラの再建といった国連の諸活動の調整にあたることにより、合意の履行を支援している。UNMIBHは、IFOR、及び、それを引き継いだSFORと協力して活動している。UNMIBHの警察タスクフォースは、法律の執行状況の監視にあたっている。

国連東スラボニア、バラニャおよび西スレム暫定機構
UNTAES(UN Transitional Administration for Eastern Slavonia, Baranja and Western Sirmium)

1996年1月―1998年1月
1995年11月の基本合意は、当該地域のクロアチアへの平和的統合を規定すると共に、国連に対し、移行期間中の地域の統治を行う行政機構を設置し、法秩序を維持するための国際部隊の派遣を承認するよう要請した。UNTAESは、非軍事化の監督、及び、難民の自発的帰還の監視を行い、1997年4月の選挙の実施と検証を行うと共に、基本合意に関連したその他様々の活動を請け負った。

国連プレヴラカ監視団
UNMOP(UN mission of Observers in Prevlaka)

1996年1月―現在
UNMOPは、ユーゴスラビア連邦と国境を接する南部クロアチアの戦略的要地であるプレブラカ半島の非軍事化の監視を継続している。この任務は、1992年10月、UNPROFORによって開始され、UNCROにより、1995年から1996年にかけて継続されてきたものである。

国連ハイチ支援団
UNSMIH(UN Support Mission in Haiti)

1996年7月―1997年7月

国連ハイチ移行ミッション
UNTMIH(UN Transition Mission in Haiti)

1997年8月―1997年11月

国連ハイチ文民警察ミッション
MIPONUH(UN Civilian Police Mission in Haiti)

1997年12月―2000年3月
これらの作戦は、ハイチ国家警察の専門機関としての職能の向上を継続的に支援した。

国連グアテマラ検証団
MINUGUA(UN Verification Mission in Guatemala)

1997年1月―1997年5月
1996年12月に、グアテマラ政府とグアテマラ民族革命連合(URNG)は、36年に及ぶ紛争に終止符を打つべく、和平協定に調印した。安全保障理事会は、人権に関する協定の履行検証の目的で、1994年、総会により創設されたMINUGUAに、軍事部門を設置した。この軍事部門は、停戦合意、兵力引き離し、URNGの戦闘要員の動員解除の検証にあたった。

国連文民警察支援団
UN CIVILIAN POLICE SUPPORT GROUP

1998年1月―1998年10月
UNTAESの撤退後、安全保障理事会は、ダヌブ地域におけるクロアチア警察の活動に関して、特に、強制移動させられた人々の帰還に関して、監視を継続するため、この支援団の派遣を行った。

国連中央アフリカ・ミッション
MINURCA(UN Mission in the Central African Republic)

1998年4月―2000年2月
1996年、中央アフリカ共和国は、国軍内の反乱により動揺した。1997年1月、アフリカ4ヶ国の大統領が、休戦の調停にあたった後、各派はバングイ合意に調印し、アフリカ諸国軍(MISAB)が、履行の監視のために展開された。MINURCAは、安全と安定の維持の支援、武装解除により回収された兵器の最終処理の監視、国家警察の再編と選挙実施計画に関しての助言提供といった活動を行うためにMISABの後を引き継いだ。

国連シエラレオネ監視団
UNOMSIL(UN Observer Mission In Sierra Leone)

1998年7月―1999年10月
継続的な同国の不安定状況は、1997年5月、軍事クーデターにより、民主的に選挙された政権が放逐されたことで頂点に達した。その後の西アフリカ諸国経済共同体と、その平和維持部隊の介入により、1998年3月には、選挙により選ばれた政権が回復された。UNOMSILは、同国の軍事並びに治安状況、武装解除、及び、安全地域での動員解除についての監視活動を行うために創設された。

国連コソボ暫定行政ミッション
UNMIK(UN Interim Administration Mission in Kosovo)

1999年6月―現在
1999年6月、安全保障理事会は、コソボを非軍事化し、法秩序を維持するために、NATO主導の安全保障駐留軍(KFOR)を承認すると共に、司法行政、地域再建、及び、選挙と最終的なユーゴスラビア連邦内での自治確立に向けた準備といった事柄を含めた、行政並びに立法権遂行のために、国連平和維持活動としてのUNMIKを創設した。

国連シエラレオネ・ミッション
UNAMSIL(UN Mission in Siera Leone)

1999年10月―現在
安全保障理事会は、紛争当事者による和平合意の履行、重要拠点の安全保障、政府による武装及び動員の解除計画遂行の支援、シエラレオネの法執行諸機関による職務遂行の調整・支援といった任務遂行のためにUNMSILを設立した。

国連東ティモール暫定行政機構
UNTAET(UN Transitional Administration in East Timor)

1999年10月―現在
1999年8月、国連は選挙を実施し、それにおいて、東チモール住民はインドネシアからの分離を選択した。反独立派の兵力は、恐怖による威迫作戦を開始した。安全保障理事会は、秩序回復のための国際部隊(INTERFET)を承認した。10月、理事会は、東チモール住民の独立への移行支援、地域の統治、独自政府樹立の能力育成、選挙の立案、そして法と人権に基づく統治に向けた体制構築のためにUNTAETを設立した。

国連コンゴ民主共和国ミッション
MONUC(UN Organization Mission in Democratic Republic of the Congo)

1999年11月―現在
1999年半ば、当該地域の六カ国と二つのコンゴ人反体制運動組織が、コンゴ民主共和国内にて交戦中の各派軍の戦闘停止に関する停戦合意に調印した。MONUCは、各派間の調整を行うために設立された。2000年2月、MONUCは、停戦実施の監視、合意の包括的履行のための行動計画策定、そして、兵力引き離しと各派軍隊の移動を検証するために拡大された。

 

*国連の公式訳ではありません

原文 UN Department of Public Information (DPI/2149-00-09347-2.5M)


謝辞:原文翻訳にあたっては、ボランティアの遠藤哲也さんのご協力をいただきました。この場を借りて、感謝申し上げます。