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国連平和維持活動(PKO)局 政策・評価・訓練部長 中満 泉 さん

今回ご紹介するのは、国連平和維持活動(PKO)局で政策・評価・訓練部長としてご活躍されている中満泉さんです。PKOが誕生した1960年代から冷戦期を経て、いま「21世紀型のPKO」を目指した強化・改善の取り組みが行われています。PKOの変遷、日本に対する期待、さらに女性のキャリアや仕事と家庭のバランスなどについて、公私にわたり長いお付き合いのある山下真理 国連広報センター所長がお話を伺いました。

プロフィール

2008年9月より国際連合平和維持局 政策・評価・訓練部 部長。早稲田大学法学部卒業。米国ジョージタウン大学大学院修士課程修了(国際関係論)。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) 法務官、人事政策担当官、旧ユーゴ・サラエボ、モスタル事務所長、旧ユーゴスラビア国連事務総長特別代表上級補佐官、UNHCR副高等弁務官特別補佐官、国連本部事務総長室国連改革チームファースト・オフィサー、International IDEA(国際民主化支援機構)官房長、企画調整局長などを経て、2005年から2008年8月まで一橋大学 法学部、国際・公共政策大学院教授。同期間に国際協力機構(JICA) 平和構築 客員専門員(シニア・アドヴァイザー) 、外務省海外交流審議会委員などを兼任。既婚、2女の母。

 

山下: PKO局の役割、幹部としてのお仕事について、教えてください。
中満: 国連が設立された一番大きな理由は、国際社会の安全と平和を維持するということです。PKOはその一環で出てきました。実は国連憲章にはPKOという言葉はないんです。ハマーショルド元事務総長が提唱し、国際社会が作った最も創造的な安全保障のツールがPKOであり、それを計画・運営しているのがPKO局です。私の担当はPKOの政策、評価、訓練。加えて、肩書にはありませんが、国連内外の機関とPKOのパートナーシップにまつわる様々な交渉なども担っています。
 
山下: PKOができた60年代から冷戦時代を経て、21世紀へ。節目ごとに世界が変わり、それに対応する形で国連も変容を遂げてきました。中満さんも私も、90年代のバルカン紛争ではPKOに身を置きましたが、PKOの変遷をどうとらえていらっしゃいますか?
中満: パラダイムシフトがあったと思います。もともとPKOというのは、主に国と国との紛争があって、停戦合意ができて、その停戦を監視するという、動と静で言ったら静の役割でした。ですが90年代中盤以降、内戦という紛争の形が主流になってきた。その結果、内戦がおさまりかけているときに政治の和平交渉を手伝うためのスペースづくりをやったり、内戦が終結した後で和平合意を実施するお手伝いをしたりと、役割が変わっていった。つまり、不安定な状況の中で国づくりや平和構築をする、その過程で一番弱い立場にいる人たちを保護することが任務に加わり、日本が言うところの「人間の安全保障」を担保するためにPKOが派遣される例が非常に多くなりました。これは、長くPKOを見ている人、特に現場で活動しているPKOの要員にとっては、非常に難しいパラダイムシフトなんですね。役割が複雑化した結果、私の率いる政策部門が作られたという背景があります。
 
山下: PKOへの要員提供をめぐっては、日本の自衛隊派遣がいつも話題になります。去年はハイチ大地震の緊急支援で派遣されましたが、さらに南スーダンにも、との希望も出ています。日本に対するこうした期待をどう受け止めていらっしゃいますか?
中満: 日本に対する期待は非常に大きいです。というのも、いまPKOをグローバルに見たときに、質の向上が大きな優先事項になってきているからです。数の上では、軍、警察、文民で大体12万人くらい出ているわけですが、各国の財政難が続く現状を考えると、今後は数を増やすよりも、むしろ質の高い人や部隊に来てもらいたいと考えています。日本の場合、ハイチに行きますと手を挙げて2週間で現場に入った。普通は平均で半年はかかるのが国連の常識なので、前代未聞だと衝撃を持って受け止められ、いろんなところで評判になりました。実際に出て行った後も、やりません、できませんという国が多い中で、日本の施設部隊はなんでもやるし、自分でやることを探してくれる。こんなにレベルの高い部隊が国連のPKOにいることってほとんどないんですね。ハイチでいい仕事をしていただいているからこそ、南スーダンにも施設部隊を派遣していただけることを望んでいます。
 
山下: 施設部隊というのは具体的にどのような活動をしているのでしょうか。
中満: いわゆる工兵隊です。ブルドーザーなどの重機を持ち込んで壊れた橋を架けたり、道路や学校を補修したり。ハイチの場合は、人道援助物資がドミニカ共和国から陸路で入ってくるんですが、その道路を補修してメンテナンスをしたのが日本の施設部隊です。つまり施設部隊がいないと、人道援助活動も本格的にできないし、平和構築活動も立ち上がっていかない。南スーダンの場合、道路がほとんどなくて物資の輸送がヘリ頼みなので、きちんと機能するヘリポート、空港施設や幹線道路を作るためにも施設部隊のサポートが必要です。
 
山下: とはいえ、危険なところに人を出すというところが、各国、特に日本の気になるところだと思います。特に南スーダンではスーダンからの独立後も一部では部族紛争など、まだまだ問題が続いています。
中満: PKOが出る地域というのは、完全に安定した状況にはありません。文民ではなく、軍隊を出すというのに、「危険はない」というのは無責任なので、私はこのことははっきり言うようにしています。ただ、国連のPKOというのは、たとえばアフガニスタンのように多国籍軍の入っていく状況とは異なります。つまり、ある程度状況が安定していて和平合意があるか、少なくとも和平プロセスが存在しているところに派遣されるのが国連のPKOです。南スーダンに関しては、もちろん部族間の紛争はまだ続いていますが、現在の首都であるジュバの近郊はほぼ状況は完全に安定していて、このエリアに自衛隊が宿営するということであれば、安全面での問題はほとんどないと言えます。
 
山下: 施設部隊に関連して、特にダルフールも含めたスーダンのPKOで話題になることのひとつに、大規模な国連PKOが入ることによる環境に対する影響の問題があります。例えば水のないところで多くの部隊をサポートしなければいけない場合、工兵隊が井戸などをいろいろと作りますが、そうした行為が周りにどう影響するのか、またPKOが去った後どうするのかについて、環境面で気をつけていることを教えてください。
中満: 環境への配慮は最近特に注目されている問題です。実はPKOにはきちんと環境政策があって、例えば二酸化炭素の問題でいえば、なるべくソーラーパネルを持ち込んで、太陽光発電をするなど大変気をつけています。これには、オペレーション上の理由もあるんです。スーダンなどでは燃料を入れるのがロジスティック的に大変で、政府が燃料の供給パイプをギュッと閉めることでPKOに対してプレッシャーをかけることができる。これはたとえばコートジボワールでもありました。それを避け、PKOの独立性を高めるためにもソーラーパネルを持っていくのはいいことで、電力に関してはなるべく再生可能エネルギーに変換していっている段階です。水に関しては、PKOは自分たちのための井戸だけなく、現地の国内避難民(IDP)キャンプや、付近の住民も使えるような井戸を掘っています。ダルフールはサハラ砂漠に位置しますが、すぐ下にはウォーターベッドのようにふんだんに水があるそうです。だからPKOがいろんなところに井戸を掘ることで、現地の人にも使ってもらえるような努力をしています。
 
山下: まさにそういうところが21世紀のPKOですね。新しい技術というと、日本企業も様々なノウハウを持っていると思うんですが、国連の大きなPKOが調達を行う際にあまり入ってきていない気がします。
中満: 確かにそうですね。競争入札で入ってきているのはやはり西欧の会社が多いです。ただ、新しい形のPKOの調達を考えるに当たって、もっと現地の企業を使おうと、入札のための手順の説明会なんかをかなり丁寧にやるようになってはきています。PKOは大きな予算を使いますから、そういったところに日本企業が食い込めるようになれば、かなりのビジネスチャンスが出てくるかもしれないですね。
 
山下: それもひとつの貢献の形ですよね。さて、ここで少し話題を変えて、女性のキャリア、仕事と家庭という視点からお話を伺いたいと思います。私も20年以上国連で働いていますが、女性だからと差別を受けたこともなく、女性にとって働きやすい場だなといつも思ってきました。ただ、私のいた政治局(DPA)もそうでしたけれども、上に行けばいくほどやはり女性は少ない。さらにPKO局というのは、軍や警察関係の人が多くて、硬派な中でも硬派な職場というイメージがあります。女性でかつ幹部職に就いていらっしゃる立場から、女性として国連で働くことのメリットとデメリット、あるいはやりやすさ、やりにくさがあれば教えてください。
中満: 私は根本的に楽観的な人間で、いままで仕事をしてきた中で差別されたという意識は一切ありません。むしろメリットばっかりです。女性の幹部職の割合については、確かにこれまで男性並みとはいかなかったものの、PKO局においてはここ2、3年、かなり努力して増やしています。これには先ほど申し上げたパラダイムシフトが大きく関連しています。つまり、女性など弱い立場にいる市民を保護するために派遣されているPKOを担当するのに、男性ばかりでは何が必要なのか理解できない、という発想です。単にジェンダーの平等のためだけではなく、女性が増えた方がオペレーションもうまくいくという認識ができつつあります。私も部署の責任者として、女性が働きやすい職場づくりには積極的に取り組んでいます。男性にも育児休暇を取るように勧めていますし、子供がいる二人の女性が、一つのポストを分け合うワークシェアも、国連で初めて試験的に導入しました。その結果すごく有能な女性が集まってくるようになった。有能な人が集まれば集まるほど、部門全体のパフォーマンスが上がるわけですから、その方が得なんです。ほかの部署にも同様のやり方を勧めています。
 
山下: 国連にはワークライフバランスの指針がきちんとあって、私も10年前に子供が生まれたときは、DPAで初めて在宅勤務制度を活用しました。
中満: 在宅勤務でもなんでも、新しい試みをするときに大事なのは、結果で判断すること。我々は時間で雇われているのではなくて、結果で雇われているわけなので、いい結果を出せば、自宅でやろうが、オフィスでやろうが特に関係ないんですね。ただ、やはりPKO局というのは、危機管理を担当する部門なので、どうしても出てこなきゃいけない状況というのもあるんですね。ハイチ大地震の直後には、スタッフで24時間態勢のシフトを組んだこともあったし、たった1日前の予告でハイチに人を出したりもした。女性で、母親で、家庭を持ってやっていきたいという人は、そういう状況になった時にどう対応できるのかということはきちっと考えておいた方がいい。私は子供がいるからできません、と常に主張するようだと、危機管理部門にはちょっと向かないかなというのはありますね。
 
山下: 娘さんが二人いらっしゃいますが、どういう風に仕事と家庭のバランスをとっていらっしゃるんですか?幹部職になるとどうしても外せない夜の仕事や出張がたくさんあると思うんですが。
中満: 娘はいま11歳と7歳なので、出張はしますけれども、少なくとも今の時期はなるべく夜の会合には出ないようにしています。それは初めから周囲に伝えてあるので、基本的にお招きを受けるときはランチが多い。もちろんどうしてもというときは人に頼んででも夜も出ます。通常は子供の通学に合わせる形で、なるべく早く朝7時台には出勤するようにして、夜もどんなに遅くても7時には職場を出るようにしています。おかげですっかり朝方人間になりました。
 
山下: 最後に、若い世代へのアドバイスやメッセージがあればお願いします。
中満: よく、「国連に入るためには何を勉強したらいいですか」と聞かれるんですが、実は国連にはすごく多様な職種があるんです。自分が勉強したいことを追求すれば、必ずその先に国連なり、国際社会でのキャリアが見えてくる。国連に入るために何かを変える必要はないんだということを理解してほしいですね。2つ目に伝えたいのは、パッションを持ってほしいということ。私が国連で一番やりがいを感じるのは、国際平和、人権、開発といったテーマで、情熱を持って、理想を追求したいと思って入ってくる人がたくさんいることです。何か心に強く感じるところがあって入って来なければやっぱりダメなんですね。様々な現実的な制約の中で、知恵を絞って、工夫をし、理想を追求していくためのベストな方法を考えていくのが国連の仕事です。そのためにはいろんなスキルが必要で、コミュニケーション能力は非常に重要ですし、交渉力も大切です。そういったことを一生懸命若いうちに身につけておけば、国連に入ってきてもかなり仕事はやりやすくなります。

よく日本人は国際社会では損をするという言い方をする人がいるんですが、そんなことは全くありません。もし、「日本人はあまり自己主張をしないし、損をする」と言う人がいれば、それは単にその人のコミュニケーション能力が足りてないだけであって、個人の問題。むしろ、日本人であることはプラスです。教育のレベルが非常に高くて、物事をバランスよく見ることができる。黒と白の間のグレーゾーンで物事を整理していく能力は、国際社会で非常に重宝されるんですけれども、日本人にはその調整能力がある。日本人であることは国際社会ではプラスだってことを覚えていてほしいですね。

 

(インタビュアー:山下真理 国連広報センター所長/写真:松下佳世)

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