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キプロス出典「国連の基礎知識」

国連キプロス平和維持軍(United Nations Peacekeeping Force in Cyprus:UNFICYP)は、ギリシャ系住民とトルコ系住民との間の戦闘を防止し、法と秩序の維持と回復、平常な状態への復帰に貢献するために1964年に設置された。1974年、ギリシャ系住民とギリシャ人分子がギリシャとキプロスの連合を支持してクーデターを実行してトルコの軍事干渉を招き、キプロス島は事実上2つの地区に分割された。その年以来、UNFICYPは、1974年8月16日に発効した事実上の停戦を監視し、キプロス国家警備隊とトルコ軍、トルコ系住民軍との間の緩衝地帯を維持してきた。政治的解決が見られないことから、UNFICYPは現在も同島に駐留を続けている。

事務総長は包括的な解決を求めてあっせんを行い、1999年と2000年に両指導者間の近接会談を主催した。それに続き、2002年からは集中的な直接会談が行われた。11月、両住民間の相違を埋める目的で包括的な提案が提出された。しかし、再統一キプロスとして期限内(4月16日)に欧州連合加入条約に署名できるように、双方の側で住民投票を行うとの提案を提出することについて、両指導者の合意を得ることはできなかった。会談は2003年に停止した。その年の4月、トルコ系住民当局が検問所を開き、30年ぶりにギリシャ系住民が北へ、トルコ系住民が南へと公に旅行できるようになった。国連の技師が道路の補修工事を行ったことから、安全保障理事会は、UNFICYPの文民警察部門を増やし、住民や車両が安全かつ秩序正しく通行できるようにした。7カ月後、およそ200万人の往来が見られた。

事務総長は新しいイニシアチブを歓迎する一方で、それは包括的解決に代わるものではないと強調した。2004年、ギリシャ系、トルコ系の両指導者は、ギリシャ、トルコ、イギリスの保証国とともに、事務総長の詳細な提案に基づいてニューヨークで交渉を再開した。6週間に及ぶ交渉の後、合意も間近だったので、事務総長は「キプロス問題の包括的解決」を図ることに乗り出した。それは、連邦政府によって結ばれたギリシャ系キプロス人構成国家とトルコ系キプロス人構成国家から構成される統一キプロス共和国の樹立を呼びかけたものであった。ギリシャ系住民の投票では76パーセントがその計画に反対し、トルコ系住民の投票では65パーセントがそれを支持した。両住民の承認が得られず、計画は挫折した。そして5月1日、キプロスは分割され、軍隊を持つ島として欧州連合に加入した。

2006年、ギリシャ系、トルコ系の両指導者は、国連政務担当事務次長とともに、直接会談を行った。その結果生まれた「原則セット」と「決定」の中で、両指導者は、これまでの安全保障理事会決議に規定されているように、2つの地帯、2つの共同体の連邦と政治的平等に基づいてキプロスを統一することに合意した。また、それを達成するためのプロセスにも合意した。彼らはまた、2007年にも、事務総長キプロス特別代表のキプロスの公邸で会談し、そのプロセスをできるだけ早く開始する必要に合意した。

ギリシャ系、トルコ系両住民指導者による2008年の合意に基づいて最終ラウンドの交渉が始まった。両指導者はまた、旧市ニコシアの中心部にあるレドラ街に検問所を開くことも決定した。ニコシアは長年の間キプロス分割の象徴であった。その年のうちに交渉は始まり、両指導者、その代表、専門家による共同文書が作成され、異なる問題について双方の側の立場や意見の一致点や相違点を提示された。これらの交渉は2011年にも続けられた。