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インドとパキスタン出典「国連の基礎知識」

国連は、インドとパキスタンの友好関係を促進することに積極的に係ってきた。両国はカシミールをめぐって何十年もの間紛争を続けてきた。問題の発端は1940年代にまで遡る。当時、ジャンム・カシミール州は藩王国の一つであったが、分割計画と1947年のインド独立法とによって、インドまたはパキスタンへの帰属を自由に決めることができるようになった。ジャンム・カシミールの住民のほとんどはイスラム教徒であるが、藩王自身はヒンズー教であることから、インドへの帰属を決めた文書に署名した。

安全保障理事会は、パキスタンの支援と参加を得た部族民、その他がカシミールへ侵攻し、戦闘が続いているとの苦情をインドから受け、1948年に初めてこの問題を取り上げた。パキスタンはその申し立てを否定し、ジャンム・カシミールのインド帰属は違法であると宣言した。理事会は、国連軍事監視団の利用も含め、戦闘を中止させる措置を勧告した。理事会は国連インド・パキスタン委員会を設置した。委員会は停戦と部隊の撤退に関する提案を行い、かつ住民投票によって問題の解決をはかるよう勧告した。印パ双方が提案を受け入れたが、住民投票の方式について合意に達することができなかった。1949年以来、両当事国によって署名された停戦協定に基づいて、国連インド・パキスタン軍事監視団(United Nations Military Observer Group in India and Pakistan: UNMOGIP)がジャム・カシミールで停戦ラインを監視している。1972年の協定を受けて、両国は問題を平和的に解決すると約束したが、緊張はそのまま続いた。2003年、インド首相とパキスタン大統領は、2国間の関係を改善する目的で一連の相互措置をとった。事務総長は、双方によって進められている外交関係の正常化、鉄道、道路、航空網の連結、その他の信頼醸成措置が、持続する対話の再開につながるようにとの希望を表明した。11月、パキスタンは、ジャンム・カシミールの管理ライン(停戦ライン)にそって一方的な停戦を実施すると申し出た。インドはそれに積極的に応じた。ついには、これらの措置は、1月初めにパキスタンのイスラマバードで開かれたアタル・ビラリ・バジパイ・インド首相とペルベズ・ムシャラフ・パキスタン大統領、ザハルラ・カーン・ジャマリ・パキスタン首相との首脳会談へと発展するまでになった。平和の強力な表示として、60年近くも引き裂かれてきた家族を再び結びつける機会として、停戦ラインを超える画期的なバスの運行が2005年に開始した。しかし、2007年2月、デーリ・ラホール間の「フレンドシップ・エクスプレス」に対する攻撃によって、67人が死亡、20人が負傷した。事務総長は、安全保障理事会も同調した声明の中で、テロリストによる爆撃を厳しく非難し、犯人の司法の裁きを訴えた。事務総長はまた、インド、パキスタン両国の指導者が、爆撃に続いて、対話の道を続けるとの決意を再確認したことに満足の意を表明した。

2008年11月、インドの金融都市、ムンバイで組織テロ攻撃が行われた。パキスタンに拠点をおくテロリスト・グループ、ラシュカレタイバ過激主義者による攻撃であった。世界中から非難を浴びたこの攻撃は3日間続いた。少なくとも173人が死亡し、300人以上が負傷した。インドの武装部隊の作戦によって攻撃者はタジマハール・ホテルで殺された。1人だけ生きたまま捕えられた。パキスタンは攻撃を非難したが、テロリストが行った残虐行為は、2つの隣接国の関係を再び損なわせた。安全保障理事会と事務総長は攻撃を非難し、これらのテロ行為の犯人、組織者、財政支援者、賛助者に法の裁きを下すためにインドと協力するようすべての国に訴えた。

2010年9月、事務総長は、6月以来カシミールで何十人もの人々が殺されていることを示す報道の後に、そこでの暴力を直ちに中止するよう要請した。翌月、事務総長は、「暴力的な過激主義の課題に取り組み、自国の民主的変革を進めるパキスタンを国連は支持する」と述べた。