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米州出典「国連の基礎知識」

国連は中米に平和をもたらした。それは、もっとも複雑かつ成功した平和創造、平和維持の活動の1つであった。

国連が中米に関与するようになったのは1989年のことであった。コスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアの5カ国は、地域を苦しめてきた紛争を終わらせ、民主的な選挙を行い、民主化と対話を進めるための支援を国連に求めてきた。安全保障理事会は、「国連中米監視グループ(United Nations Observer Group in Central America: ONUCA)」を設立した。任務は、これらの国が不正規軍や反政府勢力への援助を止め、自国領土を他国の攻撃のために利用させないとのコミットメントが順守されているかを検証することであった。

ニカラグア

中米5カ国はまた、ニカラグア反政府勢力の動員解除計画を作成することにも合意した。ニカラグア政府は、国際および国連の監視のもとに選挙を行うと発表した。「国連ニカラグア選挙検証監視団(United Nations Observation Mission for the Verification of Elections in Nicaragua: ONUVEN)」は、1990年選挙の準備と実施のすべてを監視した。これは国連が独立国家で監視する最初の選挙であった。その成功によって「コントラ」による自発的な動員解除の条件が作り出された。動員解除は1990年、ONUCAの監視の下に行われた。

エルサルバドル

エルサルバドルでは、事務総長と事務総長個人代表が仲介した交渉が、1992年に和平合意という形で実を結んだ。これによって12年に及び、7万5,000人の命を奪った紛争に終止符が打たれた。「国連エルサルバドル監視団(United Nations Observer Mission in El Salvador:ONUSAL)」が、戦闘員の動員解除、両当事者による人権に関するコミットメントの順守など、合意の実施を監視した。ONUSALはまた、内戦の真の原因を取り除くための改革、たとえば、司法改革や新しい文民警察の樹立などを実現できるように支援した。政府の要請を受けて、ONUSALは1994年の選挙も監視した。ONUSALの任務は1995年に終了した。

グアテマラ

政府とグアテマラ民族革命連合(URNG)の要請を受けて、国連は1991年に内戦を終わらせる会談の支援を始めた。内戦は30年も続き、20万人以上の人々が殺され、または行方不明となった。1994年、当事者は合意に達した。それは、行われたすべての合意を国連が検証し、かつ人権使節団を設立すると規定したものであった。これを受けて、総会は「国連グアテマラ人権検証ミッション」United Nations Human Rights Verification Mission in Guatemala: MINUGUA)」を設置した。1996年12月、停戦が実現し、当事者が和平合意に署名した。これによって中米の最後の、もっとも長かった内戦が終わった。地域には36年ぶりに平和が訪れた。MINUGUAは合意の順守を検証するために2004年11月まで駐留を続けた。他方、国連の各種機関は、地域全体の紛争の社会的、経済的原因を取り除く活動を続けた。

ハイチ

ジャン=クロード・デュバリエ「終身大統領」が出国し、一連の短命な政権が続いた後の1990年、ハイチの暫定政府は、その年に予定された選挙の監視を国連に要請した。「国連ハイチ選挙検証監視団(United Nations Observer Group for the Verification of the Elections in Haiti: ONUVEH)」が選挙の準備と実施を監視した。選挙ではジャン=ベルトラン・アリスティドが大統領に選出された。しかし、1991年の軍事クーデターによって民主的支配は終わり、選ばれた大統領は亡命した。国連と米州機構(OAS)の合同ミッション「国際ハイチ文民ミッション(International Civilian Mission in Haiti: MICIVIH)」が1993年にハイチへ展開された。任務は人権状況を監視し、かつ人権侵害を調査することであった。憲法による支配を回復させるため、安全保障理事会は1993年にハイチに対する石油と武器の輸出を禁止し、1994年には貿易の禁止を決めた。続いて、理事会は民主政治の回復を助ける多国籍軍の設立を承認した。多国籍軍が介入を始めようとしていたときに、米国とハイチの軍指導者はより以上の暴力を回避することで合意に達し、米国主導の多国籍軍が平和裏にハイチに展開された。アリスティド大統領が1994年10月に帰国し、禁輸措置は解除された。1995年、国連平和維持活動が多国籍軍の任務を引き継ぎ、政府が治安の安定を維持し、最初の文民警察を創設するのを支援した。

ハイチは2004年1月1日、建国200周年を祝った。しかし深刻な政治的行き詰まりによってハイチの安定が脅かされた。親政府民兵と反政府民兵との間に激しい衝突が生じ、暴力の激化が始まった。その結果、2001年以来2期目を務めていたアリスティド大統領辞任し、ハイチから出国した。安全保障理事会は、新しく就任したボニファース・アレクサンドル大統領の支援要請を受けて多国籍暫定軍(Multinational Interim Force: MIF)の即時展開を承認した。アメリカ主導の多国籍軍は直ちにハイチへ展開された。2004年4月、理事会は国連ハイチ安定化ミッション(United Nations Stabilization Mission in Haiti: MINUSTAH)を設立した。安全かつ安定した環境の中で平和的な、立憲政治プロセスが続けられるよう支援することになった。それに続く数年の間に、政治、治安、経済社会情勢によって変化する現地の状況や新たに出てくる要請に応えることができるように、MINUSTAHの任務、活動のコンセプト、承認された兵力は数回にわたって理事会の調整を受けた。2006年2月、ハイチ国民はレネ・プレバル元大統領を新大統領に選出した。

2010年1月の壊滅的な地震後、理事会はMINUSTAHの総合的な兵力のレベルを増強し、復興、再建、安定の努力を支援することにした。MINUSTAHは、国連人道問題調整官事務所(OCHA)や国連国別チームとともに、2010年を通して人道的支援や復興活動を行った。また、政府の避難民の再定住戦略について政府を支援した。国連は、また、米州機構(OAS)など、他の国際的な利害関係者との協力で、ハイチに対する国際的選挙支援の調整を図っている。