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西アフリカ出典「国連の基礎知識」

2001年、事務総長は、西アフリカ事務総長特別代表事務所(Office of the Special Representative of the Secretary‒General for West Africa: UNOWA)(www.un.org/unowa)を設置することを決めた。西アフリカ諸国が直面する重大かつ相互の関連する政治的、経済的、社会的問題に取り組むために、国連とそのパートナーが参加する統合された小地域戦略を進めることがその任務である。事務所はセネガルのダカールにおかれ、2002年9月に活動を開始した。

UNOWAは国連史上初の地域平和構築事務所である。事務所は、西アフリカ諸国において周旋の役割や特別の任務を果たし、小地域機関との連絡を行い、重要な開発問題について国連本部へ報告する。特別代表は、コートジボアールやリベリアなど、この地域の紛争の国際的解決に深くかかわった。UNOWAは、国境を越える問題、たとえば、傭兵、子供の兵士、小型武器の拡散、治安部門の改革、民主化、経済統合、若者の失業、多国籍企業などの問題に取り組んでいる。また、元戦闘員の武装解除、動員解除、社会復帰に関する事業の調和を図るために地域会議も開催した。

特別代表はまた、カメルーン・ナイジェリア混成委員会(Cameroon‒Nigeria Mixed Commission)の議長も兼ねる。これは、ナイジェリア、カメルーン両国大統領の要請を受けて事務総長が設置した委員会で、両国間の国境画定に関して国際司法裁判所が行った判決を実施する際に生じるさまざまな問題を取り上げることになっている。カメルーンとナイジェリアの間には、チャド湖からバカシ湾に伸びる全長1,600キロの陸上境界線に関する問題でしばらくの間緊張が高まっていた。海上境界線はギニア湾を通っている。2006年、事務総長の精力的な調停のもとに、両国の大統領がバカシ半島に関する国境紛争を終わらせる協定に署名した。8月半ばまでにナイジェリア部隊は完全に撤退し、地域に関する権限は正式にカメルーンへ移譲された。2007年、当事者は、両国間の海上境界線を明示することについて合意した。これによって司法裁判所の判決が求めた4項が解決した。陸上の境界線については混成委員会の監視のもとに引き続き画定作業が進められる。

コートジボアール

1999年12月、軍人グループがクーデターを起こして同国の北部を占拠した。その結果、国は事実上二分され、ローラン・バグボ大統領が支配する国土は南部のみとなった。戦闘によって大量の避難民が発生した。西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、政府と反政府勢力の1つが合意した停戦合意を監視する平和維持軍を設立した。2003年1月、政府と残りの反政府グループも停戦に合意した。国民和解政府の樹立を決めた和平合意が達成された。バグボ大統領は3月に国民和解政府を樹立した。その2カ月後、軍と「新勢力(Forces Nouvelles)」――3つの反政府勢力で構成――は停戦合意に署名した。それを受けて、安全保障理事会は、合意の実施を支援する「国連コートジボアール・ミッション(United Nations Mission in Cote d’Ivoire: MINUCI)」を設立した。しかし、9月に入って、「新勢力」は、バグボが任命した防衛相と国内治安担当相を拒否し、政府から引き上げた。また、バグボ大統領は十分な権限を首相や国民和解政府に与えていないと抗議した。

こうした状況に応えて、安全保障理事会は2004年初めに国連コートジボアール活動(United Nations Operation in Cote d’Ivoire: UNOCI)を設立し、MINUCIとECOWAS軍の権限をUNOCIに委譲するよう事務総長に要請した。フランス軍はUNOCIを支援するに当たっては、必要なあらゆる手段をとることが認められた。UNOCIの承認された最大兵力は、6,240人の軍事要員で、幅広い任務が求められた。

2005年4月、政府と反政府「新勢力」は両者間の前線から武器の撤去を開始した。この地帯はUNOCIの平和維持要員と国連承認のフランス軍の監視の下に置かれていた。6月、安全保障理事会はUNOCIを拡大し、同国の情勢悪化を防止する任務を与えた。バグボ大統領とギョーム・ソロ「新勢力」事務局長は2007年3月に「ワガドゥグ合意」に署名した。合意は、新暫定政府の樹立、自由かつ公正な大統領選挙、「新勢力」と国軍との統合、民兵の解隊、政府支配の南部と反政府勢力支配の北部を分断するいわゆる信頼地帯をUNOCIが監視するグリーン・ラインに代えることなどを求めた。

2010年11月、大統領選挙が行われた。独立選挙委員会は、アラサン・ウワタラの勝利を宣言した。しかし、憲法院議長は、結果は無効であるとして、ローラン・バグボの当選を宣言した。バグボとウワタラの両候補は共に勝利を主張し、それぞれが大統領就任の宣誓を行った。国際連合、アフリカ連合、ECOWAS, 欧州連合、それにほとんどの国家はウワタラ氏の大統領当選を認め、バグボ氏に辞任を要請した。バグボ氏はそれを拒否し、国連軍事要員の撤退を命じた。安全保障理事会はUNOCIの期限を2011年6月末まで延長し、同時に2,000人の追加平和維持要員を送ることに決めた。世界銀行は同国に対する貸付けを停止し、バグボ氏とその仲間たちには渡航を制限することが決まった。

2011年4月、ウワタラ大統領に忠実な軍隊とUNOCI、フランス部隊が行った軍事行動の結果、バグボ氏は逮捕され、政府の監視下に置かれた。憲法院は、選挙結果を拒否した2010年の決定を破棄してウワタラ氏の勝利を示した大統領選挙の結果を承認した。2011年5月、ウワタラ氏は大統領就任を宣誓した。11月、国際刑事裁判所(ICC)は人道に対する罪を犯したとしてバグボ氏に対する逮捕令状を発行した。バグボ氏はコートジボアール当局によってハーグのICC拘置所に移送された。

2012年6月、コートジボアールの南西部で偵察パトロール中のUNOCI平和維持要員が身元不明の武装集団から攻撃を受け、ニジェール派遣部隊の7人の兵士が死亡した。7月、安全保障理事会はUNOCIの任期を2013年7月31日まで延長し、その軍事要員の数を8,837人に増やした。

リベリア

8年に及ぶ内戦の後の1997年、民主的に選ばれた政府がリベリアに樹立され、国連リベリア平和構築支援事務所(United Nations Peacebuilding Support Office in Liberia: UNOL)が設置された。しかし、1999年、政府軍と「リベリア和解民主連合(Liberians United for Reconciliation and Democracy: LURD)」との間に戦闘が始まった。2003年早々には新たな武装勢力、「リベリア民主運動(Movement for Democracy in Liberia: MODEL)」が生まれた。5月までに、反政府勢力は国土の60パーセントを支配するまでになった。6月、ECOWAS主催の和平会談に出席するために当事者がガーナのアクラに集まった。その場で国連支援のシエラレオネ特別裁判所は、10年に及ぶ内戦中にシエラレオネで犯した戦争犯罪の罪でテイラー大統領を起訴したと発表した。テイラー大統領は和平プロセスから身を引いてもいいとのべた。2週間後、政府、LURD、MODELが停戦合意に署名した。それは、包括的和平合意に達するために30日以内に対話を始めることと、テイラー大統領を除く移行政府を樹立することを求めたものであった。そうした有望な発展にもかかわらず、戦闘は拡大し、ECOWASは先遣隊として1,000人以上の部隊を送ることに決めた。

テイラー大統領は8月半ばに辞任し、副大統領のモーゼス・ブラーが後を引き継ぎ、暫定政府の首班となった。数日後、事務総長特別代表は、人道援助がそれぞれの支配下にあるすべての地域へ自由かつ妨害なくアクセスできるようにし、かつ国際援助要員の安全を保証するとの合意を関係当事者から受け取った。彼らはまた、包括的和平合意にも署名した。

2003年9月、安全保障理事会は、国連リベリア・ミッション(United Nations Mission in Liberia: UNMIL)を設立した。最大1万5000人の軍事要員と1,000人以上の文民警察官で構成され、ECOWAS軍から任務を引き継ぎ、かつUNOLに取って代わる。その任務は、停戦を監視すること、すべての戦闘員のDDRR、すなわち武装解除、動員解除、社会復帰、帰還を支援すること、主要な政府施設や不可欠のインフラの安全を確保すること、国連スタッフ、施設、文民を保護すること、人道援助や人権を支援すること、などであった。UNMILはまた、移行政府がその組織を堅固にする戦略を進め、2005年10月までに自由かつ公正な選挙を実施できるように支援することもその任務とされた。予定通り、3,500人のECOWAS兵士は、帽子を国連のブルー・ヘルメットに替えた。2週間もたたないうちに、当事者はモンロビアを「武器のない地帯」と宣言した。10月、ジュデ・ブライアント議長が率いるリベリア移行政府が発足した。10月17日、ブラー元大統領は大量の武器を国連平和維持要員に引き渡した。

2004年遅く、リベリアの戦闘参加の民兵はモンロビアのUNMIL 本部で行われた式典で正式に解隊された。2005年10月、15年も続いた紛争の後、リベリア国民は国連の支援を受けて紛争後初めての選挙を行い、エレン・ジョンソン=サーリーフを大統領に選出した。2006年2月末までに30万人以上の避難民が自分たちの故郷の村々へ帰った。

2007年、リベリアは国連平和構築基金から援助を受ける資格を得た。この基金は平和を確立し、安定化を図り、国の幅広い開発を触媒するプロジェクトに割り当てられる。これらのプロジェクトに関する作業は2009年に始まった。

2012年9月、安全保障理事会はUNMILの任期を2013年9月30日まで延長した。理事会は、2015年7月までにUNMILの軍事要員を3,850人まで削減するとの事務総長の勧告を承認した。同時に、UNMILの警察要員を新たに3部隊増やして警察要員の新たな上限を1,795人とした。ミッションの将来の再編成は、政府軍がUNMILの治安の役割を随時引き継ぐとの見通しのもとに、情勢の変化や国民を保護する政府の能力がどの程度改善されたかによって判断することにした。

ギニアビサウ

2009年6月、「国連ギニアビサウ統合平和構築支援事務所(United Nations Integrated Peacebuilding Office in Guinea‒Bissau:UNIOGBIS)」が、まず2010年1月1日から12月31日までの1年間の予定で設立された。UNIOGBISは、内戦の時期を経て1999年3月に設立された国連ギニアビサウ平和構築支援事務所(United Nations PeacebuildingSupport Office in Guinea‒Bissau: UNOGBIS)の任務を引き継いだ。2010年4月、再び騒乱が発生し、カルロス・ゴメス・ジュニア首相は、陸軍参謀長とともに、兵士によって一時的に拘束された。そうした危機的文脈の中で、UNIOGBISは、ギニアビサウとの多次元的な取り組みを行う平和構築委員会を支援し、憲法秩序の維持と法の支配の尊重を維持する国内機関の能力を向上させ、効果的かつ効率的な法の執行と刑事司法制度の確立を支援し、治安部門改革戦略の実施を助け、その調整をはかり、人権一般、とくに女性の権利を促進する。そのためにUNIOGBISは、アフリカ連合、ポルトガル語国共同体(CPLP)、ECOWAS, 欧州連合、その他のパートナーと協力する。

2012年4月12日、ギニアビサウ軍の一部がクーデターを起こし、ライムンド・ペレイラ暫定大統領とアントニオ・インジャイ首相兼陸軍参謀長が逮捕され、拘束された。クーデターの背景となったのは、3月に行われた最初の総選挙の結果の9人の大統領候補者の内5人が拒否されたことによって生じた緊張の結果であった。安全保障理事会はクーデターを非難し、関係者の無条件釈放を要求した。4月27日、軍事政権とECOWASとの話し合いに続き、軍事政権はECOWAS部隊の展開に合意し、ペレイラ暫定大統領と首相を釈放した。2人はECOWAS代表団とコートジボアールのアビジャンへ行った。

2013年2月、安全保障理事会はUNIOGBISの任期を2013年5月31日まで延長した。

シエラレオネ

1991年、革命統一戦線(RUF)が、シエラレオネ政府の打倒を目指して戦いをしかけたが、1992年にシエラレオネの軍隊が政府を倒してしまった。1995年、事務総長は特使を任命した。事務総長特使は、OAUと西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)と共同歩調を取りながら、民政への復帰について交渉した。1996年に大統領選挙が行われ、軍は勝者であるアフマド・テジャン・カバーへ権力を委譲した。RUFはこの選挙に参加しなかった。事務総長特使は、政府とRUFとの間の1996年アビジャン和平合意の交渉に力を貸した。しかし、1997年の軍事クーデター後に、軍隊はRUFに参加して軍事政権を樹立した。カバー大統領は亡命した。安全保障理事会は石油と武器の禁輸を課し、同時にECOWAS監視団(ECOMOG)の部隊を利用してその実施を確保する権限をECOWASに与えた。

1998年2月、ECOMOGは反政府・軍事政権軍から攻撃を受け、軍事作戦を実施した。それによって軍事政権は崩壊した。カバー大統領は復権し、安全保障理事会は禁輸措置を解除した。6月、理事会は、治安と戦闘員の武装解除、治安部隊の再編成を監視する「国連シエラレオネ監視団(United Nations Observer Mission in Sierra Leone: UNOMSIL)」を設立した。UNOMSILは非武装であったがECOMOG の保護を受けて活動し、一般市民に対する残虐行為や人権侵害があったことが実証した。

しかし、間もなく反政府同盟は国土の半分以上を支配下に収め、1999年1月には、首都フリータウンのほとんどを制圧した。その月の後半、ECOMOG部隊がフリータウンを再び奪還し、政府が再度樹立された。この戦闘によって70万人の国内避難民と45万人の難民が生まれた。特別代表は、西アフリカ諸国との協議のもとに、反政府勢力との対話を求め一の政府樹立を決めたロメ和平合意が7月に成立した。

安全保障理事会は10月に、UNOMSILをもっと規模の大きな平和維持活動、「国連シエラレオネ・ミッション(United Nations Mission in Sierra Leone: UNAMSIL)」に代えるとともに、合意の実施とおよそ4万5000人の戦闘員の武装解除、動員解除、社会復帰を支援させることにした。2000年2月、ECOMOG部隊の撤退が発表されたことを受けて、理事会はUNAMSILの兵力を1万1000人に増強した。しかし、4月になってRUFが国連部隊を攻撃し、その結果4人の国連平和維持要員が殺され、500人近くの国連要員がRUFの人質となった。5月、英国部隊は、シエラレオネ政府との2国間協定に基づいて駐留していたが、首都と空港を確保し、RUF指導者のフォデー・サンコウの逮捕に手を貸した。その月の終わりまでに国連の人質のおよそ半数が釈放された。安全保障理事会は、平和の回復を支援する目的でUNAMSILの兵力を1万3000人に増強した。7月、UNAMSILは残りの人質を救出した。8月、安全保障理事会は、戦争犯罪の容疑者を裁く特別裁判所の設置についての作業を開始した。

UNAMSILは2001年11月には全国的な展開を完了し、2002年1月には武装解除も完了した。2002年5月の大統領選挙と議会選挙に続いて、UNAMSILは、政府が平和を確実なものにすることができるように、政府の権限を全国土に拡大し、元戦闘員の社会復帰を容易にし、国内の避難民や帰還難民が定住できるように支援した。国内避難民の再定住は2002年12月に終了し、およそ28万人のシエラレオネ難民の帰還は2004年7月に終了した。真実和解委員会とシエラレオネ特別裁判所は、2002年半ばに活動を開始した。

UNAMSILが2005年12月に撤退したとき、国内には安定しているとの認識が強く、また基本サービスも改善されていた。2006年1月、UNAMSILに代わって国連シエラレオネ統合事務所(UN Integrated Office in Sierra Leone: UNIOSIL)が設立された。これは平和強化プロセスを支援するために設立された最初の統合事務所であった。(unipsil.unmissions.orgを参照)

シエラレオネの開発努力は、新しく設立された平和構築委員会がその最初の活動報告で指摘しているように、ブルンジとともに大躍進を遂げた。2007年3月1日、同委員会の勧告に基づいて、潘基文事務総長は国連平和構築基金か3,500万ドルをシエラレオネに提供した。同基金は、紛争から立ち直った国が平和を構築し、流血の再発を回避できるように支援することを目的に、前年の10月に設立されたものである。

2007年7月、シエラレオネの大統領選挙と議会選挙の選挙運動が始まった。UNIOSILは投票や集計手続きに関する49人の地区担当官を対象に研修を実施した。そこで学んだことは3万7000人の投票担当官に伝えられた。8月11日、選挙が行われ、投票率も高かった。大統領選挙の決選投票で、全人民会議党のアーネスト・バイ・コロマが54.6パーセントの得票で大統領に選出された。2007年11月、大統領に就任した。

2008年8月、安全保障理事会は、国連シエラレオネ統合平和構築事務所(United Nations Integrated Peacebuilding Office in Sierra Leone: UNIPSIL)を設置した。これはUNIOSILに取って代わるものである。およそ70人のスタッフとともに、UNIPSILは平和の促進について助言し、国の警察や治安部隊に支援と訓練を提供する。また、良い統治の強化と人権促進のために民主制度の構築をも支援する。

UNIPSILは2012年11月17日に行われた大統領、議会、地方の選挙の準備を助けた。選挙は内戦終結以来3度目の選挙にあたるもので、シエラレオネの国民や制度にとって成功だとみなされた。コロマ大統領が当選を果たし、2013年2月に就任した。3月、安全保障理事会はUNIPSILの任期を2014年3月31日まで延長し、政府の見解と現地の実情とを考慮に入れて、UNIPSILをその日までに全面的に撤退させることに決定した。

マリ

2012年、マリは大きな国際的懸念の対象となった。1月半ば、トゥアレグ族の「アザワド開放民族運動(MNLA)」は「アンサル・ディーン(AD)」、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」、それに「西アフリカ統一聖戦運動(MUJAO)」などのイスラム武装グループやマリ軍の脱走兵とともに、北部の政府軍を攻撃した。3月、敗北した政府軍の兵士から不満が生まれ、それが犯行となって軍事クーデターが行われた。軍事政権が権力を握り、憲法を停止し、政府を解散させた。3月27日、ECOWASはブルキナファソのブレーズ・コンポレ大統領に危機の仲裁を要請した。4月6日、軍事政権とECOWASは、アマドゥ・トウマニ・トゥーレ大統領が4月8日付で辞職し、ディオンクオンダ・トラオレが4月12日に暫定大統領に就任するとの枠組み合意に署名した。4月17日、シェイック・モディボ・ディアラが暫定首相に任命された。

MNLAはキダル州、ガオ州、トンブクトゥ州で政府軍を制圧し、4月に「アザワド国」の独立を宣言した。北部では武装組織の中ではイデオロギー上の緊張が高まり、アンサル・ディーンとMNJAOはキダル、ガオ、トンブクトゥの州の主な街からMNLAを排除した。これらの武装組織はマリ国土の3分の2を支配下に置いた。この危機によっておよそ43万人の避難民が発生した。国連はマリ当局や域内パートナーとともに、マリの憲法秩序と領土保全を取り戻すことができるように努めた。2012年12月、安全保障理事会は、当初1年間の期限で「アフリカ主導国際マリ支援ミッション(African‒led International Support Mission in Mali:AFISMA)」の展開を承認した。ミッションは、とくに、マリ防衛治安部隊を強化し、テロリストや過激集団、武装勢力の支配下にある地域の回復を図るマリ当局を支援すること、治安を維持し、国家の権限を強化すること、国民を保護し、人道援助実施や国内避難民や難民の帰還を可能にするための安全な環境を作り出すこと、などを任務とする。事務総長は、進行中の政治・治安プロセスを支援する統合的な国連事務所をマリに設置するよう求められた。

2013年1月初め、アンサル・ディーン、AQIM, MUJAOの勢力は南部へ前進した。コンナ町が占拠されたことから、暫定政権はマリの主権を守り、領土保全を回復させるようフランスに援助を求めた。フランスの軍事作戦は1月11日に始まり、AFISMAのアフリカ軍の展開が加速された。同月の終わりには北部のほとんどの主要都市が国家の管理下に置かれ、ほとんどのテロリストとその部隊が撤退した。1月29日、マリ議会は移行のためのロードマップを承認した。対話和解委員会が3月に設置された。暫定当局は7月7日に大統領選挙、7月21日に議会選挙を実施することを約束した。

国連マリ事務所(United Nations Office in Mali: UNOM)」が1月21日にマリの首都、ボマコに設置された。同事務所は、マリの国民を助け、国政選挙に導く広範にわたる国民の対話を実現し、テロ組織との関係を断ち切り、マリの領土保全を尊重する武装グループとの交渉を進めることができるようにする。安全保障理事会は4月に「国連マリ多面的統合安定化ミッション(United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in Mali: MINUSMA)」を設立した。ミッションは7月1日にAFISMAから権限を委譲された。MINUSMAは軍事要員1万1200人、警察要員1,440人で構成される。居住区の安定化、文民と国連要員の保護、人権の促進と保護などが任務となる。全国的に国家権限の立て直し、移行期のロードマップの実施、文化の保護、国内司法と国際司法、人道援助なども支援する。