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太湖地域出典「国連の基礎知識」

ブルンジ

ブルンジでは10年(1993年―2003年)に及ぶ内戦の結果、25万から30万の人々が死に、何十万という人々が避難民となった。2003年半ばまでに、3つの主要勢力グループとの停戦合意が署名された。アフリカ連合(AU)は、アフリカ・ブルンジ・ミッション(AMIB)の展開を承認し、3,500人の部隊が編成された。4月末までに、移行期の中ほど、フツ族大統領とツチ族副大統領は就任の宣誓を行った。しかしブルンジの首都ブジュンブラでは破壊的な攻撃が続き、国連は幹部以外のスタッフをブジュンブラから撤退させなければならなかった。

地域内の南アフリカや他の国々のたゆまぬ努力によって2003年11月に停戦合意が生まれた。ついに平和が生まれるであろうとの真の希望が生まれた。AMIBはこの実現に大きな役割を果たした。しかし、ミッションは資金と後方支援の欠如に苦しめられた。アフリカ連合は、AMIBに代わって国連がその任に就くよう要請した。2004年5月、国連憲章の強制規定のもとに、安全保障理事会は、国連ブルンジ活動(ONUB)の展開を承認した。ONUBは当初、駐留中のAMIB部隊で構成されることになった。2,000人以上のAMIB部隊が国連軍として再編成された。2005年、内戦後の憲法に関する住民投票が成功裏に行われ、それに続いて6月には自治体選挙、そして8月には内戦終結後初の大統領選挙が行われた。9月には停戦合意が署名され、国連がその実施を支援した。

2007年1月1日、ONUBに代わって小規模の「国連ブルンジ統合事務所(BINUB)」が設置された。平和の強化プロセスを支援し、また、国家機関の強化、警察官の養成、国家防衛隊の職業化、動員解除の終了と元戦闘員の社会復帰、人権の擁護、司法および法律部門の改革、経済成長の促進と貧困削減の分野で政府を支援することを目的とした。2011年1月、国連ブルンジ事務所(BNUB)がBINUBに取って代わった。2013年2月、安全保障理事会はBNUBの任期を2014年2月15日まで延長し、政府が、国内の主体間の対話を容易にし、国家機関の強化をはかり、刑事免責と闘い、人権を擁護促進し、女性や若者の経済社会開発を支援し、ブルンジ地域統合を増強できるように支援するようBNUBに要請した。

コンゴ民主共和国

1994年のルワンダにおける集団殺害と新政府の樹立に続いて、集団殺害に加わった分子も含め、およそ120万のフツ族系ルワンダ人難民が現在のコンゴ民主共和国(元ザイール)のキブ州へ逃げ込んだ。1996年、この地域で反乱が始まった。ローラン・デジレ・カビラを指導者とする軍隊が、モブツ・セセ・セコ大統領の軍隊に対して行った反乱であった。ルワンダとウガンダの援助を受けたカビラ軍は1997年に首都キンシャサを制圧し、国名をコンゴ民主共和国(DRC)に改称した。1998年、カビラ政府に対する反乱がキブ地域で始まった。反政府運動の「コンゴ民主主義運動(Congolese Rally for Democracy:RCD)」によるものであった。反乱軍はルワンダとウガンダの支援を受け、数週間のうちに国土の大部分を占拠した。アンゴラ、チャド、ナミビア、ジンバブエはカビラ大統領に軍事支援を約束したが、反政府勢力は東部地域の占拠を維持した。安全保障理事会は停戦と外国軍の撤退を求めた。1999年初め、DRCはアンゴラ、ナミビア、ルワンダ、ウガンダ、ジンバブエとともに、ルサカ停戦合意に署名した。同合意はコンゴ国民間の対話の開催も規定していた。RCDとコンゴ解放運動(Mouvement de Liberation du Congo)も8月にその合意に署名した。理事会は、合意の実施を助ける国連コンゴ民主共和国ミッション(United Nations Mission in the Democratic Republic of the Congo: MONUC)を設立した。

2001年1月、カビラ大統領が暗殺され、息子のジョセフ・カビラが新大統領に就任した。10月には長く待たれていたコンゴ人同士の対話がエチオピアのアジスアベバで始まった。2002年7月、コンゴ民主共和国からのルワンダ兵士の撤退に関する合意が、コンゴ民主共和国とルワンダの両国政府によって署名された。9月、同様の合意がコンゴ民主共和国とウガンダとの間にも結ばれた。しかし、10月までには、コンゴ民主共和国の東部で戦闘が再発し、全国土の安定が脅かされた。同年末までに、紛争当事者は、国連と南アフリカの調停のもとに、暫定政府を樹立させることについて合意した。安全保障理事会は、MONUCを拡大して軍事要員を8,700人に増やした。同時にその展開を東部にまで拡大した。しかし、間もなく南キブ地域でも戦闘が再発し、大量の難民が発生した。ついに2003年5月、当事者がイツリ地域の停戦合意に署名した。停戦を受けて、安全保障理事会は、事態の安定化を図る目的で暫定緊急多国籍軍(Interim Emergency Multinational Force: IEMF)をブニアに展開することを承認した。同年6月、政府と主要な反政府勢力は、軍事と治安の取り決めに関する合意に署名した。7月17日、カビラ大統領が率いる権力分担の国民統一暫定政府がキンシャサに樹立された。理事会はMONUCの兵力を1万800人まで増強した。理事会は、国連憲章第7章のもとに、イツリ地域と南北両キブ州で任務を果たすためには武力の使用も可能とする権限をミッションに与えた。9月、IEMFはその治安に関する責任をMONUCへ引き渡した。

46年の歴史の中で初めての自由かつ公平な選挙が2006年7月に行われた。500議席の国民議会の選出が行われた。10月に行われた大統領決選投票では、ジョセフ・カビラが当選した。選挙の全プロセスは、国連がこれまで支援してきた選挙の中で一番複雑な選挙の1つであった。国連はMONUCを通して積極的に関与して、国家軍と反政府勢力による北キブ州での対立を解決することを目指した。2008年10月、反乱勢力の圧力のもとに政府軍が撤退したことを受けて、RCD軍の市内侵攻を防ぐために国連の装甲車が利用された。平和維持要員はゴマから北キブへ展開された。11月、安全保障理事会は「人道的状況の悪化、とくに一般市民を目標にした攻撃、性的暴行、子供兵士の徴兵、即決の処刑に強い懸念」を表明し、全会一致でさらに3,085人の追加平和維持要員を現地へ派遣することに決めた。

2010年7月、国内で新たな段階に達したことを反映して、MONUCは「国連コンゴ民主共和国安定化ミッション(United Nations Organization Stabilization Mission in the Democratic Republic of the Congo: MONUSCO)」となった。理事会は、MONUSCOは、文民・司法部門に加え、最大1万9815人の軍事要員、760人の軍事顧問、391人の警察要員、1,050人編成の警察班から構成されることを決めた。MONUSCOの将来の構成は、南北両キブ州やオリエンターレ州における軍事作戦の終了、市民の保護に関する政府能力の改善、国内を通して国家権限の強化など、今後の状況に基づいて行うことにした。2012年6月、安全保障理事会は、ミッションが地方選挙の組織、実施に技術的支援や後方支援を行うことを決めた。

2012年11月20日、DRC国軍とMONUSCOを含む激しい戦闘の後に、旧「人民防衛国民会議(CNDP)」――のちに「3月23日運動(M23)として知られる――は、ゴマを占拠したが、12月2日に同市から撤退した。DRC東部の情勢は依然として不安定であった。M23は北キブのかなりの地域に対して支配をさらに強化した。

2013年2月、DRCと周辺地域のために「平和、安全保障、協力枠組み」がエチオピアのアジスアベバで署名された。地域の11カ国代表、アフリカ連合、太湖地域国際会議、南部アフリカ開発共同体、国連事務総長が出席した。3月、安全保障理事会はMONUSCOの期限を2014年3月1日まで延長し、平和維持活動を強化するために「介入部隊」を設立した。部隊は、ミッションの承認された部隊の上限を越えない範囲内で当初1年の期限内で設立されることになった。

中央アフリカ共和国

中央アフリカの紛争は、軍隊が1990年代半ばに一連の反乱を起こしたことによって発生した。国連は、1998年、「国連中央アフリカ共和国ミッション(United Nations Mission for the Central African Republic: MINURCA)」を設立した。首都バンギの治安を改善することが任務であった。国連は、また、1999年の大統領選挙も支援した。2000年2月、MINURCAを引き継ぐものとして、「国連中央アフリカ共和国平和構築事務所(United Nations Peacebuilding Office in the Central African Republic: BONUCA)」が設置された。

2003年3月、反政府軍グループが選挙によって選ばれた大統領を追い出し、権力の座に就いた。安全保障理事会はクーデターを非難し、バンギ当局は早期選挙のための日程を含め、国民対話の計画を作成しなければならない、と強調した。国民対話のプロセスを通して議会選挙と大統領選挙が2005年に行われた。最終的な決選投票でフランソワ・ボジゼ将軍が投票の64.6パーセントを獲得して大統領に選ばれた。新しい国民議会は最初の通常会期を2006年半ばに開催した。

2008年、政府と3つの主要な反政府グループとの間で「グローバル和平合意」の署名が行われた。BONUCAはそれを奨励することで重要な役割を果たした。また2008年12月、政府、反政府グループのリーダー、亡命中の反政府政治家、市民社会、その他の利害関係者による「包括的政治対話」の開催にも力を貸した。「政治対話」は、国民統一政府の樹立、市議会・議会・大統領選挙の実施、真実和解委員会の設立、元戦闘員の武装解除、動員解除および社会復帰計画の実施を求めた。

2009年、国連中央アフリカ統合平和構築事務所(United Nations Integrated Peace Building Office in the Central African Republic: BINUCA)がBONUCAの任務を引き継いだ。平和構築事務所は、安全保障理事会から与えられた任務のもとに、平和と国民和解を確立し、法の支配を促進するために民主主義制度を強化し、国家再建と経済復興のために国際的な政治的支援と資源とを動員する。また、人権問題について国民の認識を高める。

2012年遅く、セレカ(Seleka)として知られる反政府勢力の連合体が、国土の大部分を占拠した。2013年1月、ガボンの首都リーブルビルで中央アフリカ諸国経済共同体の後援のもとに危機を解決するための合意が署名された。BINUCAは、反政府勢力間の会談に後方支援を行った。1月24日、安全保障理事会は、BINUCAの任務を2014年1月31日まで延長した。