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紛争の司法的解決出典「国連の基礎知識」

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UN Photo/Frank van Beek

紛争の解決に責任を持つ国連の主要機関は、国際司法裁判所(International Court of Justice)である(www.icj-cij.org)。一般に世界法廷としても知られるこの裁判所は、1946年に創設された。その創設以来、司法裁判所はおよそ150件の事件を取り上げ、国家が提訴した紛争に対して数多くの判決を行い、国連機関からの要請に応えて勧告的意見を発表してきた。ほとんどの事件は本法廷で取り上げられたが、1981年以降、6件の事件が当事国の要請で特別裁判部(小法廷)へ付託された。

司法裁判所は、経済的権利、航行の権利、武力の不行使、国家の内政への不干渉、外交関係、人質、庇護の権利と国籍など、国際紛争に関する様々な事件を取り上げ、判決を下してきた。国家が、自国が関係する紛争を司法裁判所に持ちこむのは、法に基づく問題の公平な解決を求めるからである。裁判所は、国境や海洋境界線、領土権のような問題を平和的に解決し、それによってしばしば紛争の拡大防止に貢献した。

領土権に関する典型的な事件では、裁判所は2002年、石油資源の豊富なバカシ半島に関するカメルーン対ナイジェリアの主権をめぐる紛争を解決し、次いで両国間の国境と海洋境界線の問題も解決した。その年の初め、裁判所はセレベス海の2つの島に関するインドネシア対マレーシアの主権紛争を取り上げ、マレーシアの主権を認めてその紛争を解決した。2001年には、カタール対バーレーンの海事・領土紛争を終わらせた。それは両国間の緊張した関係の原因となっていた。

1999年、裁判所はボツワナ対ナミビアの微妙な国境紛争を双方に受け入れられるような形で解決した。1992年、裁判所はエルサルバドル対ホンジュラスの紛争を解決した。この紛争は一世紀近くも続いたもので、1969年には短期間であったが残虐な戦争にまで発展した紛争であった。1994年、裁判所は、リビアとチャドが共同で提訴した紛争を取り上げ、領土の分割はリビア、フランス間の1955年条約によって画定されものであるとの判決を行った。その結果、リビアはチャドとの南部国境線に沿った地帯から軍隊を撤退させた。

紛争や政治的動乱を背景に多くの事件が裁判所に付託された。1980年、アメリカは在テヘラン大使館の占拠と職員の抑留に関する事件を裁判所に訴えた。裁判所は、イランは人質を釈放し、大使館を返還し、損害を賠償しなければならないとの判決を行った。しかし、裁判所が賠償額を定める前に、両国間の合意によって訴えは撤回された。1989年、イランは、米軍艦によるイラン航空機の撃墜を非難し、アメリカがイランに賠償金を支払う責任があると認めるよう裁判所に要請した。両当事国間に賠償金に関する解決がみられ、1996年に本事件は終結した。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)」の適用に関してユーゴスラビア連邦共和国を裁判所に訴えた。それは、おもに1995年7月にスレブレニツァで起こった大虐殺に関するものであった。2007年の判決で、司法裁判所は、虐殺は連邦共和国の指示に基づいて、またはその実効的支配下のもとに、もしくは事前の知識を持って行われたことは立証されなかった、と述べた。したがって、国際法のもとでは連邦共和国はジェノサイド行為を行わなかった。

とはいえ、被告国の当局は、VRS部隊(スルプスカ共和国軍)がいったん「スレブレニツァ飛び地」の占有を決定した場合にはジェノサイド行為の危険があることに気づかないはずはなかった、との判断を示した。それにもかかわらず、被告国は、そうする権限がないと主張して、スレブレニツァの虐殺を防止する措置はなにも取らなかった。VRS部隊に対する影響力は周知の事実であり、連邦共和国の主張は認められない。従って、集団殺害の防止のためにいかなる措置も取るという条約の下の義務には違反した。

1996年、米戦艦によるイランの石油掘削用プラットフォームの破壊に関する事件で、裁判所には管轄権がないとするアメリカの主張を退けた。2003年11月、裁判所は、アメリカの行動は国家安全保障上必要であったとして正当化しうるものではないとの判決を行った。しかし、これらの行動は商業の自由に関する義務の違反を構成するものではないとして、イランの賠償要求は求められなかった。また、アメリカの同様の請求も認めなかった。

経済的権利に関する事件も多く提訴される。1995年、カナダと欧州連合との間の漁業管轄権に関する紛争との関連で、カナダが公海上でスペインのトロール船を拿捕したことから、スペインはカナダを訴えた。環境保全に関する事件は、ドナウ川の共同ダム建設に関して結ばれた1997年条約の有効性に関する紛争で、ハンガリーとスロバキアによって提訴された。1997年、裁判所は、双方が法的義務に違反しているとして、1997年条約を履行するよう両国に要請した。

1970年代以降、裁判所に提訴される司法事件の数は大幅に増えた。当時は裁判所の事件表には1、2件の事件しか載っていなかった。しかし、2011年初めには訴訟中の事件は16件を数えるまでになり、そのうちの3件については具体的な審理が行われている。領土及び海洋紛争に関するニカラグア対コロンビア、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」の適用に関する問題についてグルジア対ロシア連邦、両国の国境地帯でニカラグアが採ったある種の活動に関するコスタリカ対ニカラグアの事件である。

裁判所の勧告的意見は、たとえば、国連加盟の承認、国連勤務中に受けた損害の賠償、西サハラの領土的地位に関するものであった。総会と世界保健機関の要請で1996年に与えられた2つの勧告的意見は、核兵器による威嚇もしくはその使用の合法性に関するものであった。安全保障理事会の要請で出された1971年の勧告的意見の中で、裁判所は、南アフリカがナミビアに居座ることは違法で、南アフリカはその行政を引き上げ、同地域の占領を終わらせ、ナミビアの独立への道を整えなければならない、と述べた。ナミビアは1990年3月に独立を達成した。