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国際女性の日特集シリーズ
女性職員から見た、職場としての国連
~第1回 国際労働機関(ILO) 上岡恵子(かみおか けいこ)駐日代表~

同シリーズのトップバッターは、労働者の権利や男女平等、雇用の促進など、女性が働く上で欠かせない環境を創出する国際労働機関(ILO)の上岡恵子駐日代表です。

(1) 貴機関の代表になるまでのキャリアについて教えて下さい。

人間60年も生きていると色々な経験を積んで、リストが長くなりますがご辛抱の程を。まず日本で2年制の専門学校を卒業した後、科学技術庁の外郭団体の国際課で2年間事務員の職についたのが私のキャリアの始まりです。

次に英国系の銀行の東京支店で6年3ヶ月働きました。東京でOLをしていた時に、夜、色々な学校に通っていたのですが、その中でも特に興味を持ったのが、翻訳の学校で、いずれ銀行を辞めて洋画の翻訳士になりたいと思っていました。一級翻訳士の資格は取ったものの、英語の世界にどっぷりと漬からないと良い翻訳士にはなれないと思い、また、28歳になった頃、親が歳を取る前に、そしておとなしく平凡な結婚をする前に1~2年アメリカに留学をしてこようと思って、ノースカロライナの州立大学に入学しました。

そこで夫と出会ったことで、1~2年で日本に帰る予定も大幅に狂い、大学を卒業した後はニューヨークに移り、公認会計士事務所で働くことになりました。そこで「犬の3年」を過ごし(注:犬の1年は人間の5年に匹敵することから、1年で普通の人の5年分くらいの仕事をしました)、三種の神器である米国のCPA、米国の永住権、運転免許証を取得した後、会計士事務所を辞め、ひょんなきっかけで国連開発計画(UNDP)のニューヨーク本部に入ることができました。

UNDPでは経営管理部旅行課の会計士から始まり、旅行課課長、財務部会計報告課課長、財務部長付上級顧問などを歴任しました。本来の仕事のほかにUNDP、国連人口基金(UNFPA)、国連プロジェクトサービス機関(UNOPS)などその頃UNDPの傘下にあった組織の人事・財務関係の政策や施策を決めるさまざまな委員会やタスクフォースのメンバーとして、組織全体の経営管理に貢献できたことは貴重な経験だったと思います。

ケニアのナイロビにて。日本政府出資のILO技術協力プロジェクトのローンチ・セレモニーに出席して

9年間UNDPの本部に在籍した後、1998年春からILOジュネーブ本部に移りました。会計課長職を皮切りに、財務会計部長、内部監査室長などを務めました。UNDP時代同様、内部の人事や経営管理関係の委員会のメンバーとして組織全体の経営に参画させていただきました。また世銀その他の開発銀行や国連グループの会議にILOの代表として参加し、国連組織全体の会計や監査基準の選択などについて国連総会やILO理事会に提出する勧告の草案作りにも寄与できました。

14年間のILO本部勤務の後は、バンコクのILOアジア太平洋地域事務所で経営管理担当の次長として1年3か月勤務し、2012年4月現職に就きました。ちょっとだけアメリカ留学をする予定で日本を出て、気が付いたら30年経っていました。

(2) ワーク・ライフ・バランスはどのように保っていますか?

私の子ども達はニューヨークで生まれ、上の子が8歳、下の子が6歳の時にジュネーブに移りました。はじめのうちはニュージャージーに住んで、職場(夫UN、私UNDP)も、子ども達の保育園(UN保育園)もマンハッタンにあり、親子4人ニュージャージーとマンハッタンを片道1時間ずつ(雨が降ったり、事故がおきると2~3時間かかる)かけて通っていたのですが、途中からマンハッタンの国連ビルの近くにあるアパートを借り、通勤通学の時間を大幅に短縮しました。夫と私の働く時間をずらし、子どものアテンドに割ける時間を出来るだけ長くしたり、お手伝いを雇って家事を代行してもらったり、ありとあらゆることを試してみて、自分達にとって一番いいやり方を見つけていきました。

一般的に国連組織には、ワーク・ライフ・バランスが保ちやすい職場文化があると思います。もちろん上司によって、夕方予告なしに急ぎでもないミーティングを召集したりする人もいますが、大体は上司も部下も定刻に帰る人が多いです。日本のように定刻に職場を出るのを後ろめたいと思う職場文化はないです。大切なのは仕事の質と期限を守ること。我が家の場合、子どもが小さかった頃は、午後6時直前(保育園が閉まる直前)に子どもを向かえに行き、夕食、お風呂、宿題などを終わらせ、寝かしつけた後、やり残した仕事がある場合は再開するということをしていました。

今のようにインターネットで世界中が繋がれ、デスクに座って世界中からくるメールの返事をしていたら、きりがありません。私の場合はまず定刻には一区切りつけて、家に帰り家族との時間を持ち、やり残しの仕事はその後再開します。単身赴任をしている今もこのパターンは続けています。まず上司が率先して、必要のない残業を止め、定刻にオフィスを出る職場文化を作らないと、部下が働きにくい職場になってしまいます。

(3) 国連で働く中で、女性であることが活かせた経験はありますか?反対に、女性であることが障害となった経験はありますか?

ニュ-ヨークの会計士事務所やUNDP、ILOではあまりジェンダーを意識せずに働けたと思います。女性であることが活かせたとあえて言えば、男性では気が付かない細やかなことを仕事に、特に人事管理に反映できたことではないかと思います。たとえば家庭のある部下に、まだ制度として確立していなかったテレワークをさせたりして、家族への責任を果たしながら仕事も期日までに仕上げられるようにしたりしました。女性であることが障害となった経験は、日本で働いていた時には五万とありましたが、国連機関に入ってからはないです。

(4) 貴機関では、世界各地で起きている女性をとりまく問題に対してどのようにアプローチしていますか?また、その活動を通して目指している、女性の社会でのあり方とは何ですか?

ILOは労働問題を扱う専門機関ですから、職場における男女平等を目指しています。世界ではまだまだ採用時から女性であることで差別し、採用後も賃金格差やその他の労働条件も不利なものになっているケースが多々あります。男女が平等にあつかわれるような国際労働基準を定め、加盟国に批准とその実行などを促しています。労働者や経営者団体にも働きかけ、男女が平等にディーセントワーク(働き甲斐のある人間らしい仕事)につけるよう、さまざまな技術協力なども提供しています。

(5) 貴機関の女性に関する人事政策について特徴的な点があれば、挙げてください。

やはり他の国連機関同様、すべてのカテゴリーで、特に幹部レベルの男女のバランスを取るように努力し、毎年理事会に報告書を提出しています。理事会や年次総会に出席する代表団のジェンダーバランスについても報告したり、各ワークユニットごとのジェンダー監査なども実施しています。

2011年のILOの総会で、「家事労働者の適切な仕事に関する条約」の採択に歓声を上げる代表団ら

(6) 国際舞台で活躍したいと思っている女性に一言お願いします。

ケニアのエルドレットにて。ILOの技術協力プロジェクトで技術指導を受ける若者代表と

まず国際舞台といっても何処の舞台で何をしたいか、何が出来るのか把握しないと、自分を見失ってしまいます。私達一人一人が貢献できることは必ずあります。でもそれを探すのは難しい。まず自分の強みは何なのか、どこでどんなことのためにそれを活かせるのか、良く考えてみてください。
グローバル化が進む今、日本にいても世界を相手にして仕事をすることは可能です。でも、世界に一度飛び出してみないと見えないもの、体験できないこともたくさんあります。日本の女性の平均寿命はもうすぐ90歳になります。いろんな理由をくっつけてやらない悔いと一緒に生きるには長すぎます。思い切ってやって出した結果と生きたほうが楽しい。失敗しても、90歳まで何回もやり直しがききます。思い切って最初の一歩を踏み出してください。