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潘基文(パン・ギムン)事務総長の歴訪で振り返る激動の2011年 (その②)

2011年12月02日

2011年、世界は激動しました。アラブに押し寄せた民主化の波、東日本を襲った大震災、アフリカの角で発生した大飢饉、世界人口の70億人突破。潘基文(パン・ギムン)事務総長の歴訪から、この1年を振り返ります。(*なお、本文中の肩書きは訪問当時のものです)

英国、ケニアへ
~リビアとの対話を模索

◇3月29日-4月3日 英国、ケニア

リビアでは、国際社会の厳しい対応にもかかわらず、カダフィ政権と反政府勢力による衝突が続き、いまだ停戦は実現していませんでした。

民主化を求める国民に弾圧行為を続けるカダフィ政権に対し、国連は厳しい制裁を課し、さらには北大西洋条約機構(NATO)主導の多国籍軍による空爆が実行されました。英国・ロンドンで、英国政府主催のリビアに関する国際会議に出席した潘事務総長は、「国際社会の協調した取り組みによって多くの人命を救うことができた」と各国の協力に感謝を述べました。一方で、内戦の終結、リビアの人々の意向に沿った国づくりのためには空爆は解決策にはならず、対話の必要があるとして、アフリカ連合(AU)をはじめとした国際的な枠組みの協力を歓迎しました。また、潘事務総長および、元ヨルダン外相で事務総長特使を務めるハティーブ氏は、カダフィ政権および反政府勢力と密に連絡をとり、停戦を訴え続けていることを明らかにしました。さらに、近くハティーブ特使をリビアに戻し、両リーダーと停戦に向け協議させるほか、アラブ諸国連盟、アフリカ連合(AU)、欧州連合(EU)、イスラム諸国会議機構(OIC)などと協力し、あらゆる対話を模索すると述べました。

ケニア・ナイロビではHIV/エイズに関する報告書を発表しました。エイズに対する偏見と未知に怯えていた30年前と比べ、今日ではいまだ差別は残るものの、人々はよりこの病気を理解し、受け入れることができるようになりました。未然にエイズを防ぐ方法も知られ、また治療法やワクチンの開発も進んでいます。10年前、国連総会のHIV/エイズに関する特別会合で、2010年をゴールに目標を掲げました。そこで、潘事務総長はこれまでを振り返り、現在の状況、そして今後の目標を報告書にまとめました。

その後、事務総長はムワイ大統領、オディンガ首相らと、ソマリア、スーダン、コートジボアールやリビア情勢について協議しました。

米国、カタール、エジプト、東欧4カ国へ
~核の安全性をいかに強化するか

◇4月6日-7日 米国・ワシントン

ワシントンで上院・下院の外交委員会メンバー、そしてヒラリー・クリントン国務長官と会い、米国が重要な役割を果たす地域の情勢について協議しました。米国のこれまでの国連への協力に感謝するとともに、厳しい経済情勢、そしてコートジボワール、リビア、スーダン、ソマリア、アフガニスタン、ハイチなどでの難局が続く今日ほど、米政府の熱心な国連への支援が求められる時はないとして、引き続き米国の協力とリーダーシップを訴えました。

◇4月13日-23日 カタール、エジプト、チェコ、ハンガリー、ウクライナ、ロシア

カタールの首都・ドーハで開催された、第1回リビア・コンタクト・グループに出席しました。カタール、および英国政府が共同議長を務め、リビアに対する安保理決議1973(2011)が実行される中、次のステップについて関係諸国と協議しました。ハティーブ事務総長特使がトリポリに入り、カダフィ政権に繰り返し停戦を訴えるものの内戦は依然続いており、国内の情勢安定には長期化が予想されるとしました。危機が始まってからすでに49万人がリビアを脱出し、今後、国内の人道状況が悪化し続ければ、最悪の場合、360万人もの人が人道支援を求めて国外へ逃れるという試算を明らかにしました。

翌日はエジプトにおいて、アラブ諸国連盟と共にリビアに関するカイロ会議を開催。アラブ諸国連盟、アフリカ連合(AU)、EU、イスラム諸国会議の代表などが出席し、地域機構と結束してリビアの和平に向けて取り組むことに同意しました。

その後、潘事務総長はチェコ、ハンガリー、ウクライナ、ロシアの東欧4カ国を歴訪しました。ウクライナの首都キエフで、安全で革新的な原子力利用に関するサミットに出席した事務総長は、日本の福島第一原発の事故に触れながら、「原発事故には国境がなく、人類の健康、そして環境に脅威を、さらには農業、貿易などにも影響し、経済的な破綻をももたらします。今、いかに原発を平和的に利用しつつ、最大限の安全性を保てるか、熟考する時です。世界的に、この根本的な課題について再度考える必要があります」と述べ、核の安全確保に向けた5段階のプランを示しました。

翌日、事務総長はヘリコプターに乗り、事故から25周年を迎えたチェルノブイリ原発へと向かいました。チェルノブイリ原発事故は、福島第一原発の事故と共に人類社会に強烈なメッセージを投げかけ、私たちはこれらの悲劇から学ばなければならないと述べ、原子力の安全性基準を強化する必要性を語りました。

ロシアにおいては、ラブロフ外相およびメドベージェフ大統領と会談し、地域の、そして国際的な課題の解決のためにロシアの果たす役割は大きいとし、国連への継続的な支援を要請しました。

ブルガリア、トルコ、スイスへ
~東欧の経験、アラブと共有を

◇5月5日-11日 ブルガリア、トルコ、スイス

ブルガリアの首都ソフィアで講演し、1989年のベルリンの壁崩壊から20年、民主化への移行を成し遂げた東欧の経験が、エジプト、チュニジアに生かされる時だと語りました。また、1989年の革命がほぼ無血で成し遂げられたのに対し、アラブの春においては、対話よりも武力で政府が応戦している点を違いに挙げ、こうした人権侵害に対し、国連は強固に行動しなければならないと述べました。

トルコ・イスタンブールでは後発開発途上国(LDCs)に関する第4回国連会議に出席しました。48カ国の後発開発途上国には、世界人口の12パーセントに及ぶ9億人もの人が暮らし、その半数が1日2ドル以下で生活しており、ここ数十年、世界の難民の60パーセントがこれらの地域から生じています。潘事務総長は、「これら48カ国の国は未知なる可能性を秘めた巨大な宝庫だと考えましょう。後発国に投資することは、すべての人々にとってチャンスであり、後発国が成功を収めることがすべての人々の成功につながります」と述べ、後発国にチャリティよりも投資を、と訴えました。

その後、スイス・ジュネーブで開かれた第3回防災グローバル・プラットフォーム会合に出席。「豊かであろうと貧しかろうと、どんな国であれ災害を免れることはできないことを、私たちは繰り返し学んできました。…人々が行動することによって、災害を悪化させることも、最小限に抑えることもできるのです」と語り、日頃の備えや防災に向け協力し、持続可能な開発を成し遂げる努力が大切さだとしました。

コートジボワール、ナイジェリア、エチオピア、フランス
~中東和平プロセスを迅速に

◇5月21日-27日 コートジボワール、ナイジェリア、エチオピア、フランス

コートジボワールで、ワタラ大統領の就任式に出席しました。2000年のバグボ前大統領の就任以降、国内では混乱が続いていました。2010年11月の大統領選ではワタラ氏が勝利し、国際社会もワタラ氏を大統領と認めましたが、バグボ氏が不当に勝利宣言をし、大統領の座に居座り続けていました。両派は衝突し内戦が勃発、1,000人以上の国民が犠牲となる事態に陥りました。安保理はバグボ氏らの個人資産を凍結する制裁を決議、国連平和維持活動(PKO)部隊とフランス軍の介入によりバグボ前大統領が拘束され、事態は収束し、ようやくワタラ大統領の就任式を迎えることができました。

その後ナイジェリアのアビジャンを訪れ、病院を視察しました。妊娠や出産による合併症で、1日に1,000人の女性が命を落としていることを挙げ、こうした命を救うため、「女性と子どもの健康の実現に向けたグローバル戦略」を立ち上げたことを説明しました。

続いて、エチオピアで開催されたアフリカ連合(AU)のリビアに関する臨時会合に出席し、アフリカの平和と安全についてスピーチしました。コートジボワールの新政権発足、政権移行に向けたリビア両勢力との対話の模索など、AUの協力なくしては成し遂げられなかったとし、今後もこれらの地域の危機を打開するために緊密な協力を要請しました。

フランス・ドービルに飛んだ事務総長はG8サミットに出席、北アフリカそして中東の情勢について協議しました。中東については、国際社会が結束し、一貫性をもって協調的に行動しなければならないとし、中東和平プロセスを迅速に推し進めるよう促しました。

また、開発の問題については、女性と子どもの健康、気候変動とエネルギー、食料と栄養の安全保障、そして2012年6月に開催されるリオ+20と持続可能な開発の4つの課題を挙げました。

* *** *

事務総長の歴訪で振り返る激動の2011年(その③)へ続く。

その①はこちら

40カ国を超える国が出席し、ロンドンでリビアに関する国際会議が開催された。事務総長はリビアとの対話を模索していくとして、各国の協力を訴えた(2011年3月29日)© UN Photo/UK Foreign and Commonwealth Office
ケニアの首都ナイロビにてHIV/エイズに関する会合を前に、国連合同エイズ計画(UNAIDS)のミシェル・シディベ事務局長(中央)と会話を交わす。会合ではHIV/エイズに関する報告書について、現状と今後の目標を発表した(2011年3月31日)© UN Pho
カタールの首都ドーハで、リビアに関する国際コンタクト・グループの初の会合に参加し、対応を協議した。(2011年4月13日)© UN Photo/Paulo Filgueiras
ウクライナの首都キエフでは、安全で革新的な原子力利用に関するサミットに参加し、原子力の安全確保に向けた5段階のプランを示した(2011年4月19日)© UN Photo/Paulo Filgueiras
モスクワでメドベージェフ大統領と会談し、ロシアの国連に対する継続的な支援を要請した(2011年4月22日)© UN Photo/Paulo Filgueiras
イスタンブールで第4回国連LDC会議に出席し、開会挨拶を行った(2011年5月10日)© UN Photo/Evan Schneider
スイス・ジュネーブで開かれた、第3回防災グローバル・プラットフォーム会合にてアシャ=ローズ・ミギロ副事務総長と協議する(2011年5月10日)© UN Photo/Evan Schneider
コートジボワールの首都ヤムスクロにて、ワタラ大統領の就任式に出席(2011年5月21日)© UN Photo/Eskinder Debebe
ナイジェリア・アブジャの病院を視察、幼児にポリオワクチンを投与する(2011年5月22日)© UN Photo/Eskinder Debebe
フランス・ドービルで開催されたG8サミットで、オバマ米大統領と会場外で会話を交わす(2011年5月27日)© UN Photo/David Ohana