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潘基文(パン・ギムン)事務総長の歴訪で振り返る激動の2011年 (その③)

2011年12月12日

2011年、世界は激動しました。アラブに押し寄せた民主化の波、東日本を襲った大震災、アフリカの角で発生した大飢饉、世界人口の70億人突破。潘基文(パン・ギムン)事務総長の歴訪から、この1年を振り返ります。(*なお、本文中の肩書きは訪問当時のものです)

イタリア、中南米4カ国へ
~火山灰の影響で陸路700キロ、バスで迎えた誕生日

◇6月1日-4日 イタリア
 6月10日-18日 コロンビア、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル
 

ローマでイタリア統一150周年式典に出席した潘事務総長。ニューヨークの国連本部へ戻り、数日後に中南米4カ国歴訪をスタートしました。事務総長として初めてのコロンビア訪問。サントス大統領との会談では、地域情勢の安定化とハイチへの支援などに対し感謝を述べました。

続いて空路、アルゼンチン・ブエノスアイレスに向かった事務総長でしたが、チリの火山灰の影響で、到着地がコルドバに急きょ変更。夜を徹して陸路700キロ離れたブエノスアイレスに向かい、何とか翌日のキルチネル大統領との会談に間に合ったものの、バスの中で67回目の誕生日を迎えることとなりました。

かつての軍事独裁政権時代の収容所を見学した事務総長。1976年~83年にかけ、軍事政権によって行われた国民弾圧の悲惨な歴史を目の当たりにすると共に、子どもたちが消息不明となった母親たちと会い、非道で残虐な弾圧の話を聞きました。そして、軍事政権に対して勇気をもって闘った母親たちを称え、良識、正義、そして法が勝ることを証明したと語りました。

ウルグアイへ移動した事務総長は、モンテビデオにある平和維持活動訓練校を視察しました。ウルグアイは1951年以来、計21の平和維持活動(PKO)に参加し、人口比で換算すると世界最多となる25,000以上の人員を派遣しています。事務総長は演説に立ち、ダイナミックで多岐にわたる現在のPKO活動が、和平の実現、地雷の除去、法制度の強化、援助物資の支援など、何百万もの人々の助けとなっていると述べました。

中南米歴訪の旅をブラジルで締めくくり、事務総長はニューヨークの国連本部へと戻りました。

◇6月19日 米国・ボルチモア

全米1,200以上の市長で構成される市長会議の年次総会に出席。エネルギー、環境、犯罪、共存などの課題に国連と共に取り組む全米各地の市長を称えると共に、将来の平和な地域を築くために、気候変動や持続可能な経済への取り組みを訴えました。

スペイン、スイス、スーダン、南スーダンへ
~新たな国家・南スーダン共和国の誕生

◇7月6日-9日 スペイン、スイス、スーダンと南スーダン

6月21日、総会は安全保障理事会(安保理)の勧告に基づき、2011年末に任期切れを迎える潘事務総長の2期目再任を正式に決定しました。潘氏の2期目は2012年1月1日からの5年間です。

バレンシアを訪れた事務総長は、フェリペ皇太子と共に、国連サポート・ベースの落成式に出席しました。平和維持活動(PKO)に必要な装備を備蓄し、災害時にも対応できる強い情報通信技術(ICT)ネットワーク機能を果たす拠点として期待されます。

サパテロ首相主催の食料安全保障、持続可能な開発、ミレニアム開発目標(MDGs)をテーマにした会議に出席しました。MDGsとは、貧困の撲滅、男女平等と女性の地位向上、環境の持続可能性の確保など、2015年までに世界が達成すべきものとして掲げられた8つの目標です。事務総長はMDGsを達成する上で、食料安全保障の解決がきわめて重要だと強調しました。

続いてスイス・ジュネーブへと飛んだ事務総長は、キプロス問題について、ギリシャ系住民およびトルコ系住民の両リーダーと話し合いました。2010年11月のニューヨーク、今年1月のジュネーブに次いで3度目の機会です。トルコ系住民の北部とギリシャ系住民の南部に分断されたキプロス島の再統合に向け、国連を介した協議は断続的に開かれており、両リーダーによる話し合いは2008年の初回以来、通算100回を超えました。両リーダーは主要な問題の解決に向け集中的に協議することに合意し、潘事務総長は10月までに両者が同意に達するよう期待すると述べました。

またこの日、事務総長は「ミレニアム開発目標(MDGs)報告2011」発表も行いました。

翌日、カイロ経由でスーダンに向かった事務総長は、ハルツームでスーダン大統領と、そしてジュバで南スーダン大統領と会談。明くる日には南スーダン共和国の独立式典にダイス総会議長と共に出席しました。この日、スーダンから分離・独立した南スーダン共和国はアフリカ54番目の国家となりました。事務総長は、「今日は新たな第一章の幕開けです。南スーダンの人々が、自由と、尊厳と、そして当然与えられるべき権利を要求する日を迎えました」と祝意を述べると共に、今後、新国家の確立に向け支援することを約束しました。

フィンランド、スイス、日本、韓国
~韓国、潘事務総長の故郷へ

◇7月15日-19日 フィンランド、スイス

フィンランドに入り、ハネロン・フィンランド首相と共に、持続可能な開発に関するパネルディスカッションに出席しました。2012年にブラジルで開催される「リオ+20」に向けた重要なディスカッションとして、この討論の様子はテレビ放映されました。潘事務総長は、生態系は疲弊していて気候変動が世界の人々と経済に与える脅威は加速していると警告し、政府と人々に持続可能な開発に向けた行動を呼びかけました。

討論に先立って行われた共同記者会見で、事務総長はアフリカの角の干ばつについて深い懸念を表明。1,100万人もの人々が干ばつの影響を受けていること、また支援に必要とされる資金16億ドルのうち、これまでに集まった額は半分にしか満たないことを挙げ、フィンランド、EUをはじめ、各国の協力に期待を表明しました。

この後、スイス・ジュネーブの世界貿易機関(WTO)で、貿易分野での途上国支援のあり方を話し合う「第3回WTO貿易のための援助(AfT)」グローバル・レビュー閣僚級会合に出席し、ニューヨークへ戻りました。

◇8月7日-14日 日本、韓国

東日本大震災の大きな爪痕を残す福島県を訪れました。被災者をじかに激励し、国連をはじめ国際社会が日本を支援する気持ちを伝えたい、と潘事務総長たっての希望で実現した来日でした。

福島市内の避難所では、避難者と膝をつき合わせて言葉を交わし、日本語で激励しました。また高校を訪れ、「皆で力を合わせてがんばってください」と励まし、生徒との活発な対話が繰り広げられました。そして甚大な津波被害を受けた相馬市の海岸地区を視察し、犠牲者に黙祷を捧げました。

東京では、菅総理大臣、松本外務大臣、北沢防衛大臣らと会談。日本に対する国際社会の絆(きずな)を強調し、「日本はこの災害を克服できると確信した」と述べると共に、この震災から得た経験と教訓を国際社会と分かち合うためにも、9月に開催される「原子力の安全に関するハイレベル会合」への日本の積極的な参加に期待を表明しました。また、7月に独立を果たした南スーダンでのPKO活動への日本の貢献を強く期待しました。訪日の詳細はこちら

続いて潘事務総長の故郷、韓国へ入りました。まず、国連グローバル・コンパクトの朝食会に出席。地球規模の課題に国連と共に取り組む韓国のビジネスリーダーたちと意見交換し、さらに活発な参加を要請しました。

次に、国連アカデミック・インパクト・フォーラムでスピーチを行いました。高等教育機関と協力し、グローバルな課題を解決しようという構想は急速に広がってきており、特に貢献できる分野として、食と栄養の安全保障、持続可能な開発、寛容さを育むことの3点を挙げました。

続いて、大統領官邸の青瓦台にて李明博大統領と会談を行った潘事務総長は、アフリカの角の干ばつへの食料支援に対し感謝を述べました。

翌日は、仁川において開催された第3回模擬国連世界大会の開会式に出席。世界53カ国の国連加盟国から参加した600人の学生たちを前に、国連がめざす核兵器廃絶、気候変動への取り組み、人道支援などの地球規模の課題に積極的に取り組み、貢献してほしいと期待を述べました。

滞在最後の日、生まれ故郷である韓国中部の忠清北道地区陰城郡を訪れた潘事務総長。郡主催の歓迎式典では熱烈な歓迎を受け、「皆さんは陰城郡の住民であるだけでなく、世界の市民として世界とつながっています」と語りかけ、国連と共により良い世界をつくるために努力するよう訴えました。

潘事務総長は、この小さな農村に第二次世界大戦の終わりに生まれました。幼少時、朝鮮戦争による荒廃を目の当たりにし、貧困、飢えの辛さを体験した潘少年。学校の授業は屋外の木の下で、雨をしのぎながら受けたそうです。そんな中、貧しい人々を救い、国の再建を助け、希望を与えてくれたのが国連でした。生まれ故郷でのこの経験が、現在の潘事務総長に大きな影響を与えました。

ユ・スンテク夫人と共に、丘の上にある父親の墓にお参りした事務総長は、故郷への旅を終え、一路ニューヨークへと戻りました。

* *** *

事務総長の歴訪で振り返る激動の2011年(その④)へ続く。

その①
その②

事務総長として初訪問となるコロンビアの首都ボゴタで、サントス大統領と(2011年6月10日)© UN Photo/Evan Schneider
アルゼンチン・ブエノスアイレスから船でウルグアイの首都・モンテビデオに向かう。移動中もミーティングなどを行う貴重な時間(2011年6月14日)© UN Photo/Evan Schneider
ウルグアイ・モンテビデオにある平和維持活動訓練校の本部で、PKO要員を前に演説(2011年6月15日)© UN Photo/Evan Schneider
第79回全米市長会議年次総会に出席し演説する事務総長(2011年6月19日)© UN Photo/Eskinder Debebe
スイス・ジュネーブでキプロスのエロール・トルコ系代表(右)、フリストフィアス・キプロス共和国大統領(左)と握手を交わす(2011年7月7日)© UN Photo/Eskinder Debebe
南スーダン共和国の独立式典に参加。「南北スーダンにとって歴史的な日」と演説で語った(2011年7月9日)© UN Photo/Eskinder Debebe
福島市内の避難所で、ユ・スンテク夫人(右)と共に被災者を激励する。(2011年8月8日)© UN Photo/Evan Schneider
ソウルで催されたグローバル・コンパクト・ネットワーク・コリアのメンバーとの朝食会で(2011年8月10日)© UN Photo/Evan Schneider
仁川で開催された第3回模擬国連世界大会の開会式に出席。世界中から集まった600人余りの学生たちに手を振って応える事務総長(2011年8月11日)© UN Photo/Evan Schneider
忠清北道地区の陰城郡にて、ユ・スンテク夫人(右)と父親の墓参りに(2011年8月14日)© UN Photo/Evan Schneider