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元国連事務総長 ウ・タント

ウ・タント氏は、1961年9月にダグ・ハマーショルド事務総長が航空機事故で死亡したことを受けて国連事務総長に選出され、1961年から1971年まで第3代事務総長を務めました。

ウ・タント氏は1909年1月22日、ビルマ(現:ミャンマー)のパンタナウで生まれ、パンタナウの国立高等学校とラングーン(現:ヤンゴン)大学で学びました。

外交官職に就く前は教育と情報関連の職務に従事していました。母校であるパンタナウの国立高等学校の上級教師を務めた後、1931年に英語・ビルマ語中等教員試験を首位で合格して校長に就任しました。

第二次世界大戦前にはビルマの教科書委員会と国家教育審議会の委員を務めました。校長会実行委員会の委員も務め、またフリーランスのジャーナリストとしても活躍しました。

1942年には数カ月間、ビルマの教育改革委員会の秘書官を務めました。翌年、校長として国立高等学校に戻り、4年間務めました。

1947年、ウ・タント氏はビルマ政府の報道担当官に任命されます。1948年に放送担当官になり、翌年にはビルマ政府情報省書記官に就任しました。1953年に総理府のプロジェクト担当書記官となり、1955年にはビルマの経済社会委員会事務局長を兼務しました。

国連事務総長代行に任命された当時、ウ・タント氏は国連大使の役職でビルマの国連常駐代表を務めていました(1957~1961年)。

この期間中、同氏は国連総会各会期のビルマ代表団を率い、1959年には国連総会第14回会期における副議長の1人となりました。1961年には国連コンゴ調停委員会委員長、および国連資本開発基金委員会の議長を務めました。

外交官としてのキャリアにおいて、ウ・タント氏は幾度か首相顧問を務めました。

ウ・タント氏は1961年11月3日、ダグ・ハマーショルド前事務総長の残任期を埋めるため、安全保障理事会の推薦により、総会において全会一致で事務総長代行に任命されました。その後1962年11月30日に、総会において全会一致で1966年11月3日までを任期として事務総長に任命されました。

1966年12月2日、安全保障理事会の全会一致の推薦により(1966年、安保理決議第229号)、総会において国連事務総長に再任されました。任期は1971年12月31日まででした。

1974年11月25日、死去。