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特集:江戸時代の日本における村の指導者に学ぶ津波教育

2016年11月17日

1854年11月5日、新米の稲束に火をつけ、村民に津波の襲来を知らせる紀州国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)の指導者、濱口梧陵。(制作:Cabinet Office of Japan)

津波のリスクに対する意識啓発を図る日本の取り組みは今週末の11月5日、初の「世界津波の日」として結実し、大きな転機を迎えます。この国際デーには、津波の犠牲者を悼むことに加えて、大きな意義があります。

津波は滅多に起きないものの、極めて多くの犠牲者を出す災害です。記録を見ても、1996年から2015年までの間に、30件の津波に襲われた21カ国で、25万900人が死亡しています。中でも最も甚大な被害をもたらした2004年12月26日のインド洋津波では、外国人旅行者9,000人を含む22万人以上が死亡しました。2011年3月11日の東日本大震災による津波でも、死者と行方不明者が合計で1万8,000人を超えています。

国連国際防災戦略事務局(UNISDR)駐日事務所代表の松岡由季は、国連ニュース・センターのインタビューに答え、「3月11日や12月26日といった追悼の日でも、悲劇の日でもなく、積極的な行動によって多くの命が救われた11月5日が国際デーに選ばれた背景には、これを『未来志向』の日にしたいという想いがあります」と述べています。

この背景にあるのは、百数十年前から語り継がれてきた歴史上のある出来事です。1854年11月5日に発生したマグニチュード8.4の地震により、紀伊半島は大津波に襲われました。当時、ある村の指導者だった濱口梧陵は、自らの水田で収穫したばかりの新米の稲束に火を放ち、暗闇の中で村民を高台へと誘導、避難させました。これによって多くの命が救われたことが、記録に残されています。

日本では、この話が「稲むら(稲束)の火」として語り継がれています。

国連総会は昨年12月、日本がその他の災害多発国や、UNISDRをはじめとするパートナーとの協力で起草した決議案を、142カ国が共同提案国となって採択し、11月5日を「世界津波の日」に制定しました。

松岡代表は「『津波』という言葉は現在、英語でも一般的に使われています。このこと自体、日本人が古くから、津波対策に取り組んできたという事実をよく表しています」と述べるとともに、「日本はハード面だけでなく、ソフト面からも人々のレジリエンスを高めてきたのです」と述べています。

ご当地キャラクターの「くまモン」(前方)と「ちっちゃいおっさん」(後方)に誘導され、砂浜から高台への避難訓練をする子どもたちの姿を映した津波防災PRビデオのキャプチャー画像。(制作:Cabinet Office of Japan, Kumamon[©2010 kumamoto pref. kumamon] & OSSAN[©UPRIGHT])

松岡代表によると、日本では毎年、国や地方自治体、学校、コミュニティといった異なるレベルで、さまざまな形の避難訓練が実施されています。松岡代表は「こうした経験の蓄積は、国際社会と共有できる防災の知識やノウハウの構築に役立っています」と述べています。

濱口梧陵生誕の地である和歌山県有田郡広川町に2007年設置された「稲むらの火の館」は、こうしたノウハウを保存する役割を果たしています。

崎山光一館長は国連ニュース・センターのインタビューに応じ「『稲むらの火』を教材として活用する主な目的は、素早く避難する重要性を周知することにあります」と述べました。

崎山館長の説明によると、津波に襲われやすい地域では、護岸や堤防といった構造物の建設をはじめ、人的・物的被害を予防する措置が講じられています。崎山館長は「こうした大きく頑丈な構造物が人々に安心感を与えるのは当然ですが、現実問題として、人々がこうした施設に頼ってしまうおそれもあります」と述べ、知識の欠如によって、津波のメカニズムを知らなければ、間違った行動につながりかねないと警告しています。

崎山館長は「世界津波の日を制定するにあたって、稲むらの火の日が選ばれたという事実を受け止め、津波が起きたら直ちに避難するというメッセージを世界に発信する当館の責任を果たしていきたいと思います」と述べています。

第1回世界津波の日のテーマは「教育と避難訓練」です。

UNISDRジュネーブ本部アドボカシー・アウトリーチ・セクションチーフのジェリー・ベラスケス氏は、国連ニュース・センターのインタビューに応じ、津波が多数の死者を出す大規模災害へと発展しないようにするうえで、教育と避難訓練は鍵を握る要素だと述べました。

ベラスケス氏は「世界最先端の技術を駆使した早期警報システムでも、一般市民に情報を届け、警報が出たときに適切な行動をとれるよう働きかけなければ、何にもなりません」と述べています。

全世界で、さまざまな津波防災啓発への取り組みが行われています。

UNISDRによると、成功の秘訣は、啓発活動からできるだけ専門用語を取り除くことにあります。科学的な正確性は重要であるものの、そのねらいを達成するためには、一般市民にできるだけ明確なメッセージを伝えねばならないからです。

日本の内閣府はユニークな試みとして、ご当地キャラクターを津波啓発のための「津波防災ひろめ隊」に「任命」しました。ご当地キャラクターたちはさまざまなイベントに参加し、全国で避難訓練を指導しています。こうした訓練では「津波が来たら各自がただちに全力で逃げること」という明確なメッセージが発信されます。家族と逃げる場所を決めておくこと、そして自らの命を守るべく全力を尽くすことが大切だからです。

「家族もちゃんと逃げていることを信じて、自分は一目散で高いところを目指すっちゅうこっちゃで。避難してから家族と落ち合ったらええねん」とは、ご当地キャラクターのひとり、ちっちゃいおっさんの弁です。

9月7日から8日にかけて行われたインド洋津波避難訓練には、オーストラリア、バングラデシュ、コモロ、フランス、インド、インドネシア、イラン、ケニア、マダガスカル、マレーシア、モルディブ、モーリシャス、モザンビーク、ミャンマー、オマーン、パキスタン、セーシェル、シンガポール、南アフリカ、スリランカ、タンザニア、タイ、東ティモール、イエメンの24カ国が参加しました。

インドでは、アンダマン・ニコバル諸島、オリッサ州、アンドラ・ブラデシュ州、タミルナドゥ州、西ベンガル州、ケララ州、グジャラート州、ゴア州をはじめとする沿岸地域で、約3万5,000人が訓練に参加しました。

「IOWave16」と命名されたこの2日間にわたる避難訓練の主催者である国連教育科学文化機関(UNESCO)政府間海洋学委員会(IOC)は、2004年12月26日にインドネシアのスマトラ島沖で発生した海底地震で大津波が引き起こされたことを受け、インド洋津波警戒・減災システム(IOTWMS)立ち上げの調整も行いました。

今回の訓練は、避難と救助の作業だけでなく、メディアとの模擬インタビューも含む包括的なものとなりました。

2016年10月14日、ゲレロ州(メキシコ)シワタネホ・デ・アスエタで行われた津波避難訓練で、高台へと駆け上がるビセンテ・ゲレロ小学校の生徒約300人と教職員20人。(写真:SATREPS, Mexico)

メキシコ、チリなどを含め、津波のおそれがある諸大陸で防災訓練が実施されています。

9月28日、地中海その他の地域からルーマニアの首都ブカレストに参集した科学者と防災専門家は、津波の脅威にどのように対処すべきかにつき、一般市民の意識を高めるための取り組みをさらに本格化することを約束しました。

「啓発は最も重要な活動のひとつです」と語るのは、地中海及び北東大西洋津波早期警報・減災システムのための政府間調整グループ(ICG/NEAMTWS)で座長を務めるトルコの中東工科大学のアハメット・セブデット・ヤルシネル教授です。

アドリア海やエーゲ海、マルマラ海、黒海も含むこの海域の沿岸には、約1億3,000万人が暮らしています。夏の観光シーズンには人口が急増するため、観光客を対象とする防災も必要となっています。

イタリア市民保護局のマルツィア・サンティニさんは専門家会合において「一般市民が理解できるメッセージを発信するための取り組みが肝心です。イタリアでは、プロではなく一般市民のボランティアが、災害のリスクと、実際に災害が発生した場合に取るべき行動、リスクマネジメントの基礎に関する知識を深める方法などについて、他の市民に語りかけています」と発言しました。

一方、ギリシャには「津波タンク」が設置されています。通行人がそのハンドルを回すと、実際の津波の様子と、そのインパクトが分かるようになっています。「これによって、人々の津波に対する関心が一気に高まったので、リスクについて話す絶好の機会が生まれました」と語るのは、アテネ国立天文台地球力学研究所のアレティ・プレッサさんです。

イスラエルは4月、ギリシャ、イタリア、トルコとの協力により「ブルーウェーブ」訓練を実施しました。当局はその2週間前、津波標識(常設)を立て、訓練に対する一般市民の注意喚起を図っています。

イスラエル国家危機管理庁のアミル・ヤハブさんは「これで認識は一変しました」と語っています。

こうした措置が欠かせないのは、備えがあれば、人命が救えることを立証する実例があるからです。

UNISDR駐日事務所の松岡代表によると、2011年の東日本大震災では、岩手県釜石市の小中学生約3,000人のほぼ全員が、津波の犠牲とならずに済みました。

その日の午後、マグニチュード9.0の地震が起きると、釜石東中学校の生徒はすぐに校舎から飛び出し、高台に避難しました。この素早い避難を見て、隣接する鵜住居小学校の生徒と教員がその後を追い、最終的には多くの地域住民もこれに続きました。

避難の途中で、年長の生徒は年少の生徒を助け、一緒に安全な場所にたどり着きましたが、その間に学校と市街地は大津波に飲み込まれてゆきました。この話は「釜石の奇跡」として知られるようになったと、松岡代表は述べています。

UNISDRによると、その他世界の各地にも似たような事例があります。中でも、当時10歳だった英国人のティリー・スミスさんは2004年のインド洋津波の際、学校の地学の授業で学んだ津波の予兆の話を思い出し、タイのリゾート地に滞在していた観光客100人の命を救ったことで称賛されました。

しかし、こうした模範例とは異なり、災害時に適切な判断ができなかった事例も多くあります。

日本の報道によると、宮城県石巻市の大川小学校では、2011年の津波で児童74人と教員10人が死亡または行方不明となっています。23人の児童の遺族は、公立校を運営する宮城県と石巻市に対して、損害賠償の訴訟を起こしました。原告は、学校の裏山に避難していれば、児童が津波の犠牲にならずにすんだ可能性は高く、これを怠った学校側に過失責任があるとしています。これに対し被告側は、倒木の危険があったため、裏山は適切な避難場所でなかったと主張しています。

松岡代表は「東北地方のこのような事例は実際、世界に重要なメッセージを発信しています」と述べています。

「釜石の奇跡は実は『奇跡』ではなく、啓発と教育の成果だと言えます。あの日、効果的な避難ができたのは、学んだ知識に基づき、正確な判断ができたからです」

松岡代表は最後に次のように訴えます。

「私たちは世界津波の日を通じて、津波に対する認識を高めることにより、人命を救い、津波による壊滅的な被害を軽減することができるのです」。

原文はこちら 
FEATURE: Feudal-era Japanese village leader stands as beacon for tsunami educationUN News Centre