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国際女性の日(3月8日)制定に至る歴史とは

2017年02月20日

第8回国連総会は、ヴィジャヤ・ラクシュミ・パンディット(インド)を女性初の総会議長に選任した。写真左は、ダグ・ハマーショルド第2代国連事務総長©UN Photo/AP

はじめに

「国際女性の日」には、全世界の多くの国々で記念行事が行われます。この日は、国や民族、言語、文化、経済、政治の壁に関係なく、女性が達成してきた成果を認識する日です。「国際女性の日」は、北米とヨーロッパ全域で20世紀初頭に現れた労働運動に端を発しています。

「国際女性の日」はその頃から、先進国、途上国の双方で、女性にとって新しいグローバルな側面を担い続けてきました。国際的な女性運動の広がりは、国連が4回にわたり開催した世界女性会議に支えられ、この国際デーを、女性の権利と政治的、経済的分野への参加に対する支援を共に盛り立てていくきっかけとして役立っています。

経緯

  • 1909:米国は2月28日、初めて「全米女性の日」の記念行事を行いました。アメリカ社会党は、1908年にニューヨークで発生した縫製労働者のストライキで、女性が労働条件の改善を訴えたことを記念し、この日を指定しました。
  • 1910:社会主義インターナショナルはコペンハーゲンで会合を開き、女性の権利を求める運動に敬意を表し、女性の普通選挙権に対する支援を盛り上げるため、国際的な性格を有する「女性の日」を制定しました。この提案は、17カ国の女性100人以上が参加して開かれた会議により、全会一致で承認されましたが、参加者の中には、フィンランド議会選挙で初当選した女性3人の姿もありました。記念行事を行うべき具体的な月日は定められませんでした。
  • 1911:コペンハーゲン会合での決定を受け、オーストリア、デンマーク、ドイツ、スイスで初の「国際女性の日」記念行事が行われ(3月19日)、100万人を超える女性と男性が集会に参加しました。参加者は選挙権と公職につく権利に加え、女性が働く権利、職業訓練を受ける権利、職場での差別に終止符を打つ権利も要求しました。
  • 1913-1914:「国際女性の日」は、第1次世界大戦に反対する場にもなりました。ロシアの女性は平和運動の一環として、2月の最終日曜日に初めて、「国際女性の日」の記念行事を行いました。その他の欧州諸国では、翌年の3月8日頃に、女性が戦争に反対したり、他の活動家との連帯を表明したりするための集会を開きました。
  • 1917:戦争が続く中、ロシアの女性は再び、2月の最終日曜日(グレゴリオ暦で3月8日に当たる日)に「パンと平和」を求め、抗議とストライキを決行しました。4日後、ロシア皇帝は退位し、暫定政府は女性に選挙権を認めました。
  • 1975年:国際婦人年に当たるこの年、国連は3月8日に「国際女性の日」を記念することを始めました。
  • 1995:189カ国の政府が署名した歴史的ロードマップ「北京宣言および行動綱領」は、12の非常に重要な問題領域に焦点を定め、一人ひとりの女性と女児が、政治に参加すること、教育を受けること、所得を稼ぐこと、暴力と差別のない社会に暮らすことなどを、自らが選択できる世界というビジョンを描きました。
  • 2014:加盟国が毎年、ジェンダーの平等と女性の権利に関連する重要課題に取り組む場となっている「女性の地位委員会」は、その第58会期で「女性と女児に関するミレニアム開発目標の実施における課題と成果」を中心とする議論を行いました。国連システムと全世界から参加を認められたNGOが、8つのミレニアム開発目標(MDGs)の達成に向けた進捗状況と、残る課題に関する現状認識を明らかにしました。MDGsは、ジェンダーの平等と女性のエンパワーメントに対する関心をさらに高め、これに取り組むための資源を充実させるうえで、重要な役割を果たしました。

国連とジェンダーの平等

1945年に署名された国連憲章は、男女平等という原則を確認する初の国際的な合意です。国連はそれ以来、全世界で女性の地位を向上させるための国際的に合意された戦略、基準、プログラムおよび目標という歴史的遺産の創出に貢献してきました。

国連とその専門性をもつ国連諸機関は長年にわたり、持続可能な開発、平和、安全、そして人権の全面的尊重の達成に向け、男性と対等のパートナーとしての女性の参加を推進しています。女性のエンパワーメントは引き続き、全世界での社会的、経済的、政治的変化に対する国連の取り組みで、中心的な位置を占めています。

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原文(English)はこちらをご覧ください。