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ポスト・リオ+20:私たちが望む未来を実現させるために 国連デー2012(前編)

2012年10月31日

10月24日は「国連デー」。国連憲章が1945年のこの日に発効したことを記念する、いわば「国連の誕生日」です。世界各国の国連機関で記念行事が行われましたが、東京の国連大学本部においても「ポスト・リオ+20:私たちが望む未来を実現させるために」と題する公開フォーラムが開催されました。国連広報センター(UNIC)、国連大学、そして一般社団法人環境パートナーシップ会議(EPC)が主催し、地球環境パートナーシッププラザ(GEOC)の協力、外務省他の後援により開催されたこのフォーラムには、世界各国の方々を含む170人余りが集い、地球の持続可能な未来を切り開くための方策について意見が交わされました。

この日のプログラムはオープニング、基調講演、パネル・ディスカッションの三部からなり、山下真理 国連広報センター(UNIC)所長が司会を務めました。

オープニングでは国連大学副学長ゴヴィンダン・パライル氏が開会の挨拶を行い、今の困難な世界状況を打開するためには、リオ+20の成果を引き継ぐ形で持続可能な社会の構築に向けて努力を続ける必要がある、と述べました。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長からのビデオメッセージの後、外務大臣政務官風間直樹氏が政府の代表として登壇しました。風間氏は、日本政府も持続可能な社会の実現にコミットしていることを伝え、実現のための三本柱として、環境未来都市の普及、グリーン経済の促進、防災に主眼を置く強靭な社会づくり、を挙げました。

事務総長メッセージの全文(日英)はこちら

この日の基調スピーカーは地球の持続可能性に関するハイレベル・パネル(GSP)事務局長ヤノシュ・パストール氏でしたが、「今の世界に国連は必要か?」という問いから話に入りました。答えは「イエス」。しかし「課題に取り組む準備ができているか?」という問いに対しては、残念ながら答えは「ノー」。しかし、努力によって準備を整えることは可能である、と氏は述べました。

歴史を振り返れば、国連は1972頃から環境問題に取り組むようになり、以来、1992年のリオ会議開催、1997年の京都議定書合意、2000年のミレニアム開発目標(MDGs)設定、今年のリオ+20会議などを経て、不完全ながらも、かなりの成果を挙げている。しかし今は重要な転換的に来ている、とパストール氏は聴衆に訴えかけました。MDGsの目標達成年に設定された2015年が目前に迫っており、その課題を引き継ぐべく掲げられた「持続可能な開発目標(SDG)」がまだ十分に練られていないからです。

SDGの概念が提唱されるようになったのは2011年のはじめ、「地球の持続可能性に関するハイレベル・パネル(GSP)」の会合において、パネルの重要な成果としてSDGをまとめる方針が決まった頃です。そして、一部の国だけでなくすべての国に共通の、普遍的な目標づくりにあたっては、環境、開発、社会の三つの側面を網羅することが合意されました。同時に、その形式にあたってはMDGsにならい、数を絞って理解しやすい目標設定を目指すことでも意見が一致しました。今年6月のリオ+20では、具体的な目標のリストアップでなく、まずSDGづくりのプロセスが決まり、30カ国からなる小規模グループ(G-30)がSDGの討議を行うことで一致しました。次の重要なステップとなるのは、2013年です。国連の特別総会でこの問題が取り上げられ、各国が自らのポスト2015年枠組づくりを始めることになる見込みです。

SGDの具体的目標の設定、加盟国の参加方式の決定、経済開発や開発援助との関係の見直し、利害関係者の意見を導入など、多数の課題を短期間にこなす必要があります。それを成し遂げるためには、国連そのものも自らの組織体系を見直すなど、変わらなければならない、とパストール氏は話を結びました。

後編へ続く

【参考資料】

-ファクトシート 「リオ+20とその後:持続可能な未来に向かって」
(日本語訳)
Final_Rio+20_Factseet_Japanese_layout.pdf

-地球の持続可能性に関するハイレベル・パネル報告書
『強靭な人々、強靭な地球 選択に値する未来』(概観・日本語訳)

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総合司会を務める国連広報センターの山下真理所長©UNIC Tokyo/Hiroaki Yamaguchi
開会挨拶を行うゴヴィンダン・パライル 国連大学副学長
挨拶を行う風間直樹 外務大臣政務官
持続可能な未来の構築に関心を寄せる参加者が熱心に耳を傾けた
地球の持続可能性に関するハイレベル・パネル(GSP)事務局長のヤノシュ・パストール氏が基調講演を行った