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略歴
広報担当国連事務次長 赤阪(あかさか)清隆(きよたか) 氏

プレスリリース 07/014-J 2007年03月23日

潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は2007年2月9日、赤阪清隆氏(日本)を広報担当事務次長に任命すると発表しました。

赤阪氏は2003年8月25日から、経済協力開発機構(OECD)事務次長として、開発や環境、持続可能な開発、他の国際機関との連携などを担当しています。

赤阪氏は半生を通じ、国際機関の活動と密接にかかわってきました。1997年から2000年にかけては、外務省国際社会協力部審議官として活躍。1997年12月の地球温暖化防止京都会議では日本代表の一人として交渉に臨んだのをはじめ、各種国際会議に多く参加しています。

2000年から2001年にかけては日本の国連代表部大使を務めたほか、1988年から1991年までは世界貿易機関(WTO)の前身である関税貿易一般協定(GATT)事務局、1993年から1997年までは世界保健機関(WHO)に勤務していました。貿易紛争に関するGATTパネルのメンバーを務めたこともあります。

赤阪氏は以前から、コミュニケーション・広報分野で豊富な経験を身につけてきました。外務省では報道課首席事務官を務めた後、長年にわたって気候変動問題に関する広報官も務めました。現在もOECD事務次長として、同機関の広報活動に深くかかわっています。

赤阪氏はOECD在勤中、優れた管理能力もいかんなく発揮しました。斬新な改革や取り組みを数多く手がけ、部局間の調整改善やOECD全体の効率向上を図ってきたことでも、よく知られています。

赤阪氏は京都大学法学部を卒業後、1971年4月に外務省に入省。1972年から1974年にかけては、外務省在外研修員としてケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに学び、経済学の学士および修士号を取得しました。

共著本として『ガットとウルグアイラウンド交渉』(日本語)、The Cartagena Protocol on Biosafety(英語)があるほか、日本の学術誌や新聞に貿易、環境、持続可能な開発に関する論文も多く寄稿しています。

赤阪氏は英語とフランス語に堪能。ポルトガル語も少し話します。1948年、大阪生まれ。