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潘基文事務総長挨拶、「平和の鐘」移設式典で  ニューヨーク、2015年5月6日

2015年05月06日

本日、「平和の鐘」がこの場所に戻ってきたことを祝う式典に皆さんといっしょに参加できることを光栄に存じます。

この式典に臨むにあたり、国連の目標と理想を支持してくださる日本国民の皆さんと日本政府に感謝いたします。

「平和の鐘」は国連に寄贈された屋外設置物の中でも特に古く、また特に意義深いものです。私はこの鐘のそばを通るたびに、そして言うまでもなく毎年9月の国際平和デーにこの鐘が鳴らされるたびに、深く心を動かされます。

 私が覚えている限り、これまでにこの鐘を鳴らすことができなかった年は1回だけです。それは2001年のことでした。国連総会の開会が予定されていた9月11日、私たちは「平和の鐘」を鳴らす式典の準備を整えていました。ところが、まさにこの日に同時多発テロが起こり、私たちはこの建物から避難しなければならなくなったのでした。

当時、私は総会議長秘書室長を務めていました。総会議長やコフィー・アナン事務総長も、私も、そして他のスタッフもすべて、地下かこのビルの外に退避することを余儀なくされました。私たちが「平和の鐘」式典を開くことができなかったのはその1回だけです。

今日、この天候にもかかわらず移設式典を開催できたことは喜ばしい限りです。私はとても感動しています。この式典のために力を尽くしてくださった皆さんに感謝いたします。

国連への他の多くの寄贈品と異なり、「平和の鐘」は日本国連協会という非政府組織の厚意によってここに設置されました。それは日本がまだ国連に加盟さえしていない時のことでした。

もともと「bell of peace」とよばれたこの鐘のアイディアを提唱したのは、1951年に第6回国連総会に出席した日本国連協会の代表、中川千代治氏です。

吉川[元偉]大使からご説明がありましたとおり、本日、中川千代治氏のご遺族―ご子息様、ご令嬢様が出席してくださっています。大使は、ご遺族のお二人のことを、お子様と呼ばれました。もちろん、お二人はお子様ですが、今は大きなお子様でいらっしゃいます。

第二次世界大戦の残虐さと喪失を経験した中川氏は、世界平和を希求する人類の心のシンボルを作りたいと考えました。

中川氏はこう語りました。「できることならば、平和の中心地、ニューヨークの国連本部で鳴らされるこの鐘の音を世界中のすべての人に聞いてほしいと思います。国連にかかわる人々がみんなで力を合わせて平和を築こうという意思を新たにするために」

ここ5年間、国連本部の改修が行われていたため、「平和の鐘」は一時的にローズガーデンに移されていました。

そして今、もともと設置されていた場所、すなわち総会議場、事務局、会議棟の交点にあたる美しい庭に戻ってきました。

「平和の鐘」を囲む庭園も国連本部を特徴づける重要なスポットの1つです。その維持管理費の一部は日本によって拠出されています。

今回、「平和の鐘」を元の場所に戻すことが庭園の刷新を行う機会にもなったことを嬉しく思います。

 「平和の鐘」がこの場所から離れていた5年間、世界中のあまりにも多くの罪のない人々が銃声や爆弾の音ばかりを聞いて暮らしてきました。

今、この鐘が元の場所に戻ってきたのを機に、世界中の村落、都市、国に平和の鐘の音を復活させるよういっそう努力しましょう。

「平和の鐘」が寄贈されてから61年が経った今も、この鐘は世界中の人々が平和に暮らすことを願う人類の集合的な希望を象徴しています。

式典にご出席の皆さん、「平和の鐘」の前で発案者の言葉を思い起こし、平和のために協力しあう意思を新たにしようではありませんか。

ありがとうございました。