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ミロスラフ・ライチャーク第72回国連総会議長の略歴

プレスリリース 17-041-J 2017年09月19日

2017年5月31日、国連総会は2017年9月から2018年9月まで開催される第72会期の国連総会議長として、スロバキアのミロスラフ・ライチャーク氏を選出しました。総会議長への選出時点でライチャーク氏は、スロバキア共和国で2012年4月以来、3期目の外務・欧州問題担当大臣を務めています。ライチャーク氏は2012年4月から2016年3月にかけ、スロバキアの副首相も兼任していました。

ライチャーク氏は職業外交官として、ブリュッセル、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロの各地で、スロバキア共和国と国際社会の両方の代表を務めてきました。

1988年、当時のチェコスロバキア外務省に入省したライチャーク氏は、当初1991年から1993年にかけてモスクワで、チェコスロバキア大使補佐を務めた後、1993年にはチェコスロバキアの平和的分割を受け、モスクワに新たに設けられたスロバキア大使館で、同じ役職に就きました。

1993年中にスロバキアに帰朝したライチャーク氏は、成立後間もない母国の変革に欠かせない役割を担いました。そして、新設されたスロバキア外務省の大臣官房長として、スロバキア外交の構築と形成を積極的に支援しました。

1994年、若干31歳でスロバキアの駐日大使に任命されたライチャーク氏は、スロバキアの在外公館はもちろん、在京外交団の中でも最年少の大使となりました。ライチャーク氏は1999年から2001年にかけ、エドゥアルド・クカン・バルカン担当国連事務総長特使の補佐も務めています。

2001年から2005年にかけ、駐ユーゴスラビア連邦共和国スロバキア大使を務めたライチャーク氏は、2005年から2007年にかけ、スロバキア共和国外務省政務局長として活躍しました。

西バルカンで生じた紛争終結後の危機で重要な調停役を果たしたライチャーク氏は2006年、ハビエル・ソラナ欧州連合(EU)共通外交・安全保障政策上級代表に代わり、モンテネグロの独立を問う国民投票を交渉、組織するとともに、監視しました。

2007年、ライチャーク氏はボスニア・ヘルツェゴビナで、国際社会上級代表とEU特別代表に任命されました。その任期中、ボスニア・ヘルツェゴビナはEUとの間で、画期的な安定化・連合協定に署名しています。2009年から2010年7月まで、ライチャーク氏はスロバキア共和国外相を務めました。

ライチャーク氏は2010年から2012年にかけ、EUの外交担当部局として新設された「欧州対外行動庁」の欧州・中央アジア局長として、その立ち上げに助力しました。また、EUのウクライナ、モルドバ両国との連合協定締結にあたり、EUの交渉責任者を務めたほか、沿ドニエストル紛争解決プロセスに関する「5+2協議」でも、EU代表を務めています。

ライチャーク氏は、モスクワ国際関係大学を卒業。ブラチスラバのコメンスキー大学でも法学士号を取得しています。

既婚で娘2人。

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©UN Photo