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第61回国連総会における
コフィー・アナン国連事務総長演説
(ニューヨーク、2006年9月19日)

プレスリリース 06/061-J 2006年09月22日

議長
各国代表の方々
皆様

1997年、私がこの壇上から皆様にはじめてお話しした時、人類は3つの重大な課題に直面しているように思われました。

それは第1に、グローバリゼーションが一部の幸運な人々だけでなく、人類全体に利益を及ぼすようにすること。

第2に、冷戦後の無秩序を改め、これに代わって、国連憲章に謳われているような、まったく新しい平和と自由の世界秩序を作り上げること。

そして第3に、女性をはじめ、これまで広く踏みにじられてきた個人の権利と尊厳を保障することでした。

アフリカ出身の2人目の事務総長として、私は安全保障、開発、そして人権と法の支配に関係するこれら3つの課題がいずれも、私個人に直接かかわっているように思えました。

アフリカはまさに、グローバリゼーションの恩恵から取り残されるという重大な危険に直面していました。それは、世界経済の片隅で朽ち果てる運命に他なりませんでした。

アフリカはまた、最も長く残虐な紛争の現場にもなっていました。

そしてアフリカには、植民地支配が終わりを告げてからも数世代にわたって、地球的レベルの不公平な経済秩序により、さらに時には、身近なレベルの腐敗した支配者や軍閥指導者により、不当な搾取や圧制を強いられてきたと感じている人々が多くいました。

それ以来の10年間、多くの人々はこれら3つのグローバルな課題に立ち向かうため、苦闘を続けてきました。多くの成果もありましたが、私たちに新たな課題を突きつけるような出来事も起こりました。むしろ、古い課題が新たに形を変えたり、さらに先鋭化したりしたというほうが正確かもしれません。

経済面では、急速なグローバリゼーションと成長が続きました。

アジアをはじめ、一部の開発途上国は、この成長に大きな役割を果たしました。これら国々の数百万の人々は経済成長により、永続的な貧困という獄舎から解放されたのです。

開発政策のレベルでも議論が進展し、対立するモデルが合意された目標へと収束していきました。そして世界は、HIV/エイズを開発にとっての重大課題として認識し、これに立ち向かいはじめました。私は、この点で国連が果たした役割を誇りに思います。開発、そしてミレニアム開発目標(MDGs)は、私たちの活動すべてにおいて最優先課題となっています。

しかし、これで勘違いをしてはいけません。アジアの奇跡に続く地域はまだ出てきていません。最も活気に満ちたアジア諸国の中でさえ、その恩恵は決して公平に分配されているとは言えません。しかも、ミレニアム開発目標が2015年までに全世界で達成される見込みも立っていません。

確かに、多くの開発途上国では、よいガバナンスとは何か、そして、それがなぜ重要かに対する理解が高まってきています。しかし実際のところ、その実現には程遠い国々が多いのが現状です。

確かに、債務救済は進展し、援助や投資についても心強い見通しが見られます。しかし、特に貿易という極めて重要な分野において、「開発のためのグローバル・パートナーシップ」は掛け声ばかりで、なかなか実現していません。

親愛なる皆様、グローバリゼーションはどんな船でも浮かばせることのできる潮流ではありません。統計上はその恩恵を受けているはずの人々の間ですら、大きな不安を感じ、自分たちよりも幸運な人々が自己満足に浸っているとして、不快感を募らせる向きが多くなっています。

このように、理論上はすべての人々を結びつけるはずのグローバリゼーションが、実際には私たちの間の溝をさらに深める危険をはらんでいるのです。

戦争の惨禍という第2の課題についても、私たちはより安全になったと言い切れるでしょうか。

ここでも統計を見る限り、そう言えなくもありません。国家間の紛争は少なくなり、多くの内戦も終結しているからです。

私はこの点でも、国連が果たした役割を誇りに思います。そして、私の同胞であるアフリカの人々が、大陸全体に痕跡を残した紛争の多くを終結させる上で、大きな成果を達成したことも、誇らしく感じています。

しかしここでも、私たちは幻想を抱くべきではありません。

開発途上地域をはじめ、世界のあまりにも多くの場所で、人々は依然として、残虐な紛争にさらされています。こうした紛争では、小型武器で多くの人々が殺害されているのです。

そして、認識の差こそあれ、大量破壊兵器の拡散によって、全世界の人々が脅威にさらされています。昨年のサミット成果文書に、不拡散と軍縮に関する文言が何ら盛り込まれなかったことは、恥ずべきことと言えます。その主因は、不拡散と軍縮のどちらを優先すべきかにつき、各国が合意できなかったことにあります。この論争に終止符を打ち、両方の問題に相応の緊急性をもって取り組むべき時期は、もうとっくに来ているのです。

しかも、グローバリゼーションで恩恵を受けていながら、脅威を感じる人々がいるように、統計上は紛争から比較的安全な立場にいながら、安全を感じられない人々も多くいます。

その背景はテロにあります。テロ行為による死傷者は、他の暴力形態に比べて比較的少ないものの、多くの人々の恐怖と不安を広めます。そのことによって、信条や生活様式を同じくする人々同士が固まり、「異質」と見られる人々を疎外してゆくのです。

このようにして、国際的移住により、信教や文化を異にする数百万の人々が同胞として暮らすようになる中で、「文明の衝突」という思想の根底をなす誤解やステレオタイプがますます広まるようになります。故意か否かに関係なく、他民族の信条や聖なる象徴に対する無神経さが露呈されれば、今度はグローバルな規模で、新たな宗教戦争の扇動をたくらむ人々が、これを格好の材料として利用するのです。

しかも、この恐怖と疑いの雰囲気は、中東での暴力事件で日に日に強まっています。

アラブとイスラエルの紛争を、単なる地域紛争のひとつとして片付けておこうとする向きもあるでしょう。これは間違いです。戦場から遠く離れた人々の間に、これほど大きな象徴的、感情的衝撃を与える紛争は他にないからです。

パレスチナ人が、日々のいら立ちと屈辱にさらされながら、占領下で暮らす限り、そして、イスラエル人がバスやダンスホールで爆破テロに遭う限り、世界各地で感情的な反発が煽られることでしょう。

一方で、イスラエルの支持者たちは、敵に対しては適用されない基準で厳しい判断を受けていると感じています。特に一部の国連機関では、このようなケースがあまりにも多く見られます。

他方で、パレスチナ人に対する度を外れた武力の行使、そして、イスラエルによる占領の継続とアラブ人所有地の没収に対し、怒りをあらわにしている人々もいます。

安全保障理事会が、両者にその決議の受け入れと実施を約束させ、この紛争と40年近くにわたる占領に終止符を打つことができないでいる限り、国連に対する敬意は失われてゆくでしょう。国連の中立性も疑問視されることでしょう。イラクやアフガニスタンをはじめ、人々が私たちの支援を同じように必要とし、しかも、支援を受けてしかるべきその他の国々で、紛争を解決しようとする国連の懸命な取り組みは、抵抗に遭うことでしょう。そして、国連の勇気ある献身的なスタッフは、国連旗に守られているにもかかわらず、自分たちが決定も支援もしていない政策により生じた怒りや暴力にさらされることになるでしょう。

第3の課題は、法の支配、そして人間としての私たちの権利と尊厳にかかわるものです。これについてはどうでしょうか。ここでも大きな進展は見られています。

国際条約には、さらに多くの権利が謳われるようになりました。国連総会はまさに、権利を特に必要としている人々、すなわち障害を持つ人々の権利を法制化しようとしています。

国民によって選ばれ、国民に対してアカウンタビリティ(説明責任)を負う政府の数も増えています。

人道に対する最も悪質な罪を犯した者の中には、実際に裁きを受ける者も出てきました。

そして国連総会は昨年、首脳レベル会合で、まず各国、そして最終的には、国連を通じて国際社会が「ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪から国民を守る」責任を正式に宣言しました。

しかし、それでもです。

私たちの手元には毎日、新たな法律違反の報告が届きます。個人や少数集団が今でも蛮行の餌食となっているのです。

全世界で繰り広げられているテロとの闘いは、必要かつ正当なものではありますが、それさえも、基本的人権を奪ったり、停止したりするための口実に使われています。これがテロリストに道徳的な根拠を与え、新たな仲間を増やしやすくしていることは否めません。

残念なことに、ここでもアフリカが悲劇の舞台となっています。ダルフールでは、最悪の虐待から人々を守るという、国際社会としての私たちの決意をあざ笑うかのように、虐殺、レイプ、村の焼き打ちによって男女と子どもが家を追われる光景が相次いで繰り広げられています。

議長、結局のところ、過去10年間の出来事は解決せず、逆に、私が申し上げた3つの重要課題、つまり不公平な世界経済、世界的な無秩序、そして人権と法の支配に対する侵害をさらに先鋭化させています。その結果、国連の基盤である国際社会という概念そのものが、世界の分裂によって脅かされているのです。

ところが、こうした動きは、全世界の人間が暮らす社会がこれまでにもまして、一体化を遂げようとするさなかで生じています。ですから、私たちが直面する課題の多くは、グローバルな性質を備えています。こうした課題にはグローバルな対応が必要であり、そこではすべての人民がそれぞれの役割を果たさなければなりません。

私は国連憲章の前文を反映し、「すべての国々」ではなく、「すべての人民」という表現をあえて用いたいと思います。私にとって、国際関係が国家だけの問題ではないことは、10年前に既に明らかでした。今ではこのことがさらに明らかになっています。国際関係とは人民の間の関係なのです。そこではいわゆる「非国家アクター」が極めて重要な役割を果たすだけでなく、極めて重要な貢献を行うこともできます。あらゆる人々は真の多角的世界秩序で、それぞれの役割を果たさなければなりません。そして、その中心に座るべきは、刷新を経て活力を取り戻した国連です。

ですから私は、真の「国際連合」こそが、この分裂した世界に対する唯一の答えだと、今でも確信しています。気候変動、HIV/エイズ、公正な貿易、移住、人権、その他多くの問題はいずれも、このことをよく物語っています。私たち一人ひとりが、自分たちの村で、地域で、そして国内で、それぞれの問題に取り組むことは欠かせません。しかし、いずれの問題もグローバルな様相を呈しています。これについては、国連という最も普遍的な機構を通じて合意、調整されたグローバルな対策がどうしても必要なのです。

大切なことは、強者も弱者も、同じルールによる拘束を受け、互いを同じように尊重することです。

大切なことは、すべての人々が他者に耳を傾け、妥協し、他者の意見を考慮するのを受け入れることです。

大切なことは、人々が相反する目的ではなく、自分たちに共通の運命を決めるという共通の目的をもって団結することです。

そのためには、人々が単なるグローバル市場や、さらには一連のグローバルな規則ではなく、より大きな理念のもとに結束しなければなりません。

私たちのそれぞれが、世界のどこにいようとも、苦しむ人々の痛みと、望みを持つ人々の喜びを共有しなければなりません。

私たちのそれぞれが、人種、皮膚の色、信教にかかわらず、同胞である男女の信頼を得るとともに、自分たちも他者を信頼することを学ばなければなりません。

これこそまさに、国連創設者たちの信念に他なりません。私もそう信じます。そして、世界の大多数の人々も、そう信じたいと思っているのです。

この信念はまた、激動の過去10年間を通じ、国連の改革と新しいアイデアを突き動かしてきました。平和維持から平和構築、また、人権から開発、さらには人道援助に至るまで、皆様の国連に対する期待は時折、その資金とは裏腹に、とどまるところを知らない感がありました。しかし私は、この時期に事務局の責任者を務められたこと、そして素晴らしい献身的なスタッフに恵まれたことを幸運に思います。

私はここ数週間、中東諸国を歴訪してきましたが、そこでも国連の正当性と浸透力は実感できました。レバノンの平和を確保するために国連が果たした不可欠な役割は、すべての人々がその成功を望みさえすれば、国連がいかに大きな力を発揮できるかを、私たちに改めて知らせてくれました。

議長、各国代表の方々、親愛なる皆様、

私が国連総会に年次報告書を提出させていただくのは、これで最後になります。結びとして、この重要な10年間を通じ、私に国連事務総長としての職務を与えていただいた皆様全員に感謝いたします。

私たちはともに、いくつかの大きな岩を山の頂上まで持ち上げてきました。中には、私たちの手に余り、転げ落ちていった岩もありました。しかし、さわやかな風が吹き、全世界を見渡せるこの山は、地球上でまさに最高の場所と言えましょう。

困難や課題は多くありましたが、苦労が報われ、感動したこともありました。この重い岩は今後、私の肩の荷から降りることになりますが、私はきっと、この山がなくなって寂しく思うことでしょう。そして結局のところ、国連事務総長という、世界で最もやりがいのある仕事が、きっと恋しくなるでしょう。私たちの共通の未来に向けた期待を強く掲げつつ、私は後任に道を譲ることといたします。

ご清聴ありがとうございました。