トンゴロ:アフリカのファッション・ルネッサンス(Africa Renewal 記事・日本語訳)
2025年08月18日
ファッション・デザイナーのサラ・ディウフ氏、「メイド・イン・アフリカ」を世界のステージへ
2025年5月25日
筆者:アミナタ・ゲイエ

パークウッド・エンターテイメント提供
「トンゴロ(Tongoro)」は、そのデザインを身にまとう有名人らと同じように、もはや「説明不要」のブランドかもしれません。シンガーソングライターのビヨンセ・ノウルズ・カーター、アリシア・キーズ、スーパーモデルのナオミ・キャンベルなどがこぞってトンゴロのシグネチャー・ピースやアクセサリーを身につけた姿が写真に収められています。トンゴロは、ディズニー映画『ライオン・キング』の挿入歌であるビヨンセの「スピリット」のミュージックビデオを通じて、世界中の視聴者に知られるところとなりました。トンゴロと世界的なスーパースターであるビヨンセとのコラボレーションは、2023年のビヨンセの「ルネッサンス」ワールド・ツアーでトンゴロの特注デザインが採用されたことで、確固たるものになりました。
同ブランドのクリエイティブ面のブレーンは、創設者であるサラ・ディウフ氏です。ディウフ氏は2016年にセネガルのダカールでトンゴロを設立し、セネガル人の仕立て職人を採用し、地元の市場から素材を調達し、アフリカの文化やアイデンティティを中心に据えたストーリーテリングを展開しています。
ディウフ氏は『Africa Renewal(アフリカ・リニューアル)』とのインタビューで、トンゴロに対する自身のビジョン、アフリカ・ファッション、そして地域経済を支えることの重要性について語りました。以下は、そのインタビューの抜粋です。
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Africa Renewal:ファッションの世界に入ったきっかけは何ですか。
以前から、わたしは写真や動画に夢中で、ずっとメディアが好きでした。ファッションの世界に初めて足を踏み入れたのは、私の初めてのオンライン雑誌『Ghubar(グバル)』です。そこでは、多様性を紹介し、アフリカの物語を共有したいと考えていました。これらの物語を視覚的なものに変換するにあたり、優れたメディア(媒体)がファッションだったのです。
その頃、アフリカでは新しい世代のクリエイターやデザイナーが次々と登場し、アフリカ大陸、とりわけファッションに関する新たなナラティブ(伝え方)が生まれていました。私はそうした人たちの作品を伝えるようになり、その分野で起きていることにますます関心を寄せるようになったのです。雑誌を通じて業界との接点が生まれ、ファッションショーへの参加や、著名なファッション関係者たちとの出会いや仕事などが生まれました。業界に対する私自身の知識を深める上で大いに役立ったのです。
あなたの服に用いる伝統的なモチーフとより現代的なスタイルのバランスについて説明していただけますか。
わたしは、マリック・シディベ、セイドゥ・ケイタ、オカイ・オジェイケレ、サミュエル・フォッソなどのアフリカ人写真家たちの作品とともに、独立後のアフリカの美的感覚全体から大いに影響を受けています。ありふれた白黒写真が持つ時代を超えた魅力や、これらの写真がモノクロでありながらも喜び、静けさ、誇りを描き出しているところがとても好きです。白黒写真は、人々が着用していたプリント柄を際立ててもくれます。バティックやVlisco製の生地のさまざまな模様や、全体のデザインの中に配置された絵柄などは、非常に大胆で鮮やかです。そして、まさにそこから、私の白と黒を基調とした作品のインスピレーションを得ています。その他にもた、さまざまな要素を取り入れ、伝統とモダニズムを織り交ぜることも試みています。セネガルには、タイユ・バス(taille basse、フランス語で「ローウエスト」の意)というシルエットがあり、私のジャンプスーツのデザインのいくつかはそこに着想を得ています。ウエスト部分がどれもきつく絞られて強調され、裾がフレア状になっているのが特徴です。流れるようなデザインが好きで、これもセネガルの女性がまとうとても軽快で気品のある立ち振る舞いに倣ったものです。

「メイド・イン・アフリカ」のコンセプトについて話していただけますか。
アフリカの製品は、長らく「品質が悪い」という評判に悩まされており、それがアフリカ大陸全体のブランディングに悪影響を及ぼしてきました。まだ改善の余地はあるとはいえ、この15年で大幅に改善したと思います。そのおかげで、今では自信をもって世界市場に参入し、競争できるようになったのです。
「メイド・イン・アフリカ」を通じて私が本当に強調したかったのは、アフリカの職人技と代々受け継がれてきたノウハウです。それが、私たちが尊敬するヨーロッパの一流ファッションブランドの工房にみられる職人技と、同等の価値があることを示すことが重要なのです。
今後数年のうちに、「メイド・イン・アフリカ」のブランドは、体制面や投資、そしてより多くのブランドから適切な支援を受けられれば、「メイド・イン・フランス」「メイド・イン・イタリー」「メイド・イン・チャイナ」と同等の評価や評判を得られるだろうと思います。
私にとってそれは、世界の認識を変えるということであり、それに合わせてブランドを再構築していくということなのです。
なぜアフリカで素材を調達し、アフリカで生産し、地元の仕立て屋と協力することが重要なのでしょうか。
トンゴロを立ち上げた際に、真のアフリカ・ブランドにしたいと考えていましたが、行動を起こす前はパリに住んでいたため、どのように運営するかを明確に理解できていませんでした。しかし、ダカールに頻繁に戻ってくるようになって、(服を仕立てるときの)私たちと仕立て屋との関わり方や、オーダーメードで何かを作る際には市場で生地を買うことが習慣になっていると改めて考え、こう思ったんです。「もし一人のためにこれができるなら、もっと大きな規模でもできるのではないか」と。
生地については、すべて地元の市場で調達しています。たとえそれらの生地が、すべて輸入品であってもです。私にとってそれは、生産プロセスを循環させ、生地のサプライヤーにも収入をもたらす方法なのです。地元の経済の大半は依然としてインフォーマルなものですが、これはその地域経済に貢献する方法でもあります。「メイド・イン・アフリカ」を掲げるアフリカ・ブランドとして、トンゴロの活動が生産地に良い影響を与えることは、私にとって重要なのです。
しかし、トンゴロのようなブランドは、その過程で多くの課題に直面します。そのため、国外に生産手段を求める人々の気持ちはよく理解できます。最近、私は生産地、調達、創設者のアイデンティティについて、何がブランドを「アフリカ産」たらしめるのかについての公開議論を聞く機会がありましたが、私自身、それは、そのブランドが伝える精神や価値の中にあると考えています。地元で生産するということは、私にとって大切なことでした。どうしても礎となる最初の石を置きたかったのです。それは、少なくともそうしてみようとする人がいなければ、長期的にその産業を発展させることはできないだろうと考えたからです。

ご自身の創作過程はどのようなものですか。どのようにして作品のインスピレーションを得ていますか。
それは本当に状況によりますし、決して直線的なものではありません。本を読んでいる時に、いくつかの写真に出会うこともあります。インターネットで多くの時間を過ごすこともあり、アーカイブや昔の画像を探索するのも好きです。インスピレーションは、あらゆる物、あらゆる場所から生まれてくると思います。街を歩いていて、とても華やかな着こなしをした、とてもエレガントなセネガル女性を見かけたら、写真に収め、スタジオに戻って見返すでしょうね。
ですから、本当に状況次第なのです。私は、周囲のあらゆる物を取り入れて、今この瞬間に集中するよう努めていますし、生地関連やイノベーションなど、ファッション分野で何が起きているのかを追うとともに、消費者の視点でも、人々が何を求め、何を探し、何に胸を躍らせているのかにも注目しています。私自身のストーリー、精神的な信念、文化的な背景も、私のあらゆる活動に文化的要素を吹き込む上で役立っています。
トンゴロ・クチュールを創設したのは最近ですが、その原点は、ウォロフ語でペタウ(Petaw)と呼ばれる、子安貝の貝殻にあります。これはアフリカ大陸全域でも、ディアスポラ(在外アフリカ人)の人々の間も見ればすぐにそれと分かり、共感することができます。というのも、ペタウはアフリカおよびアフリカ系の人々の文化全体の一部だからです。そんな風にして、私はいつも人々を集め、会話のきっかけになる物語を作るように努めています。人々がブランドに自分自身を重ね合わせたり、あるいはまったく新しいものを発見したりできればと思っています。
ビヨンセ、バーナ・ボーイ、アリシア・キーズ、ナオミ・キャンベルなどの大物著名人と仕事をされていますが、中でも注目すべきは、ビヨンセの「ルネッサンス」ツアーで衣装を担当されたことです。その経験について話していただけますか。
正直なところ、いまだに信じられない気持ちです。というのも、トンゴロは当時、そのツアーで唯一のアフリカ・ブランドだったからです。今後はさらに多くのアフリカ・ブランドが同じように受け入れられるよう願っています。ビヨンセは、トンゴロのまさに当初から素晴らしいサポーターであり続けています。それはとても意味のあることで、ファッション界の巨匠と並んで取り上げられたということは、私の作品が認知され、受け入れられた瞬間であり、私にとって誇りでもあります。またそれは、「アフリカが舞台に立つ」ようなもので、大陸の非常に多くの人々が祝福してくれたと思います。素敵な瞬間でした。
そのプロセス自体はとても大変なもので、当時私は喪失感を抱えていた時期でもあり、だからこそより意義深いものとなりました。仕事をする上で、自分自身に求める倫理やビジョンがあれほど高い人たちと仕事をするためには、あらゆるレベルにおいて高い実行力が求められます。彼女の衣装を完璧にするために、5回も作り直すことになりました。まさに予想だにしていなかった形での挑戦となりましたが、自分の限界を超えて努力する意欲を与えてくれました。この素晴らしい経験に、私は生涯感謝をするでしょう。この経験から学んだのは、心から何かを望み、偉大な人たちと肩を並べ、卓越性を実現するためには、自らを追い込まなければならないということです。

なぜトンゴロのようなブランドが、アフリカの若者や起業家たちにとって重要なのでしょうか。
それは、何が可能なのかについての議論が生まれたことにあると思います。アフリカ・ブランドに関する世界の認知度や、アイデンティティ、受容、そして商業面での実現可能性について話されるようになりました。私は「アメリカン・ドリーム」を抱いて育った世代の一員です。アメリカはあらゆることが可能な国だとみなされており、多くの親世代、祖父母世代の人々がより良い生活を求めてそこに向かいました。今日、トンゴロのようなブランドが飛躍することで、アフリカン・ドリームも存在すること、そしてそれが実現可能であることを人々が理解するようになると思います。これもまたすべてを地元で行うことが私にとって重要な理由です。困難でも可能なことであり、実際に私はそれを成し遂げてきましたから。
私の後に続く多くの人々、これからの世代には、私よりもさらにすごいことを成し遂げてほしいと願っています。
アフリカ人女性として、ブランドを通じて世界に伝えたいことは何ですか。
私の母は中央アフリカとセネガル、父はコンゴとセネガルの血を引いており、私はコートジボワールで育ちました。いわば私は、西アフリカから中央アフリカの子どもだと言えるでしょう。
アフリカ人として、自分が行うあらゆることにおいて「誇り」を体現し、それを伝えようと努めています。そしてその誇りが、コミュニケーション、ストーリーテリング、イメージを通じて、私のブランドの中に共鳴するよう願っています。
あまりにも長い間、私たちは、私たち自身の物語を他人の視点を通じて語られ、声を奪われてきました。今こそ私たちのナラティブを取り戻し、胸を張って私たち自身を語るべき時です。
もちろん、誰もがそうであるように、私たちには解決すべき課題が山積しています。あらゆる国、あらゆる民族、あらゆる文化に複雑な課題があり、だからこそ団結と協力が不可欠なのだと思います。
究極的に、私のメッセージは「誇り」です。自分自身に誇りを持ち、自分たちが提供すべきものに誇りを持つということ。私たちが世界に提供できるものは、本当にたくさんあるのですから。
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原文(English)はこちらをご覧ください。