本文へスキップします。

  • プリント

ここから本文です。

キベラから世界へ:ケネディ・オデデ氏が 2025年 国連マンデラ賞を受賞(Africa Renewal 記事・日本語訳)

2025年08月14日

ケニアの社会起業家が設立した団体、インフォーマル居住地に住む400万人に奉仕

2025年7月18日
筆者:ジッポラー・ムサウ

ケネディ・オデデ氏と学校の子どもたち(オデデ氏提供)

ケネディ・オデデ氏(41歳)は、都市部の貧困層に人生を変えるサービスを提供するケニアの草の根活動「シャイニング・ホープ・フォー・コミュニティーズ(SHOFCO)」の創設者兼CEOです。そして、栄誉ある「国連ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ賞」2025年の受賞者の一人でもあります。オデデ氏は『Africa Renewal(アフリカ・リニューアル)』のジッポラー・ムサウとのインタビューで、自身の活動や、この賞が自身と彼がケニア全土にわたって支援している何百万の人々にどのような意味を持つのかについて語りました。以下は、そのインタビューの抜粋です。

 

Africa Renewal:2025年の国連ネルソン・マンデラ賞の受賞、おめでとうございます。受賞を知った時、どう思われましたか。また、今回の評価は、あなたやあなたが支援するコミュニティーにとってどのような意味を持つと思われますか。

ケネディ・オデデ氏:大変恐縮しています。受賞者が発表された時、私はボツワナのオカバンゴ・デルタの奥地を訪れていました。インターネットもなく、携帯電話の電波も通じない場所でした。その後に戻ると、携帯電話が鳴りっぱなしで、電話、メッセージ、お祝いメッセージが殺到していたのです。「何が起きているんだ?」と電話をかけ、受賞の知らせを確認したのです。

嬉しいサプライズでした。マンデラ氏は、私が深く尊敬している人物です。国連がSHOFCOのような団体を認めてくれたなんて、素晴らしいことです。マンデラ賞は5年ごとに授与される賞であり、受賞者になるのは本当に大変なことなんです。私たちにとって大きな出来事であり、アフリカ全体の他のコミュニティー団体にも、自分たちの活動に意味があるのだと希望を与えるものです。

この場をお借りし、この賞を共に受賞したカナダのブレンダ・レイノルズ氏を称えたいと思います。

あなたが奉仕するコミュニティーは、この知らせをどう受け止めましたか。

皆、とても誇らしく思っています。この知らせはあらゆるところに広まっています。インフォーマル居住地に住む人々はしばしば、自分たちの存在が認められていないと感じています。この賞はそうした人たちのためのものです。私はその後、(ケニアの)メルーカウンティとマチャコスカウンティを訪問しましたが、皆が興奮していました。

コンラッド・N・ヒルトン人道賞の授賞式でのケネディ・オデデ氏

ご自身の話に戻りましょう。アフリカ最大のスラム街の一つであるキベラで育ち、SHOFCOを設立するに至るまで、驚くべきご経歴をお持ちです。ご自身の個人的な苦難を、今やケニア全土の400万を超える人々に届く活動へと転換させたきっかけは何だったのでしょうか。

私はナイロビのキベラのスラム街で育ちました。非常に厳しい生活でした。ある時、私はホームレスになり、路上で生活し、ゴミ箱から食べるものを拾っていました。希望を失い、強い憤りを感じていました。未来なんてないように思えましたが、自分を鼓舞してくれるような、偉大な男性や女性を探し求めていました。

マンデラ氏について多くの本を読み、彼の物語に感銘を受けました。この賞を受賞したことは、ある意味で偶然の出来事のようで、彼を尊敬してきた私が、その名を冠した賞を受けたのです。私は特に、マンデラ氏が自身の闘いを諦めず、怒りに囚われなかったところが好きです。彼はいつも、自分ではなく、他の人々のために活動していたのです。

10代の頃、私はとても怒っていました。なぜ私は路上で殴られているのか、なぜ私たちは貧しいのかと、疑問に思っていました。混乱していたことで薬物にも手を出しましたが、マンデラ氏の物語が、私に希望を与えてくれたのです。マンデラ氏は、変革とは内なる自己から始まるのだということを教えてくれました。世界を変える前に、まず自分自身と向き合わなければなりませんでした。彼の著書『自由への長い道』を読んで、自分にも何かできるかもしれないと考えるようになりました。

そこで私は15歳の時に、サッカーボール一つだけを持ってSHOFCOを始めました。お金も何もないままに。私にはただ、「始めなければならない。何かしなければならない」という想いはありました。

それから私たちは、サッカーをしたり、互いに助け合ったり、街路を掃除したり、道端で短い寸劇をしたり、女児たちの安全を守ったり、ジェンダーに基づく暴力(Gender-based violence, GBV)やHIV/AIDSについて話し合ったりしました。そうして私たちは“コミュニティー”と呼べるものを築き上げたのです。

組織はどのようにして、何百万もの人々を支援するほどの大きな活動へと発展したのですか?

私は元々、コミュニティー・モビライザーとしての才がありました。トイレのない小さな部屋で、暴力に囲まれて暮らし、暴力で友人たちを失うこともありました。私は、レジリエンス(強靭性)、内なる強さ、そして自分の人生の舵を自分で取ることの大切さを強調した詩、『インビクタス』に惹かれていました。キベラのスラム街にいると、自分からは何一つ良いことが生まれないような、まるで刑務所にいるような気分になります。マンデラ氏は、身体は囚われていましたが、思考は自由でした。私は、ただ彼を尊敬しているだけでなく、自分も行動したいと思ったのです。

最初はただサッカーをするだけでしたが、その後、演劇を始めました。私たちはそれを「アンブッシュ・シアター」(ゲリラ的な劇場)と呼んでいました。HIV/AIDSやジェンダーに基づく暴力に対する人々の意識を高めようと、街頭で公演を行いました。公演が終わったら、皆で座ってひたすら話をしました。私の信条は、「不満を言うだけではダメ。それに対してどう取り組んでいるのか」でした。

私たちの考えに多くの若者たちが共鳴し、仲間に加わってくれました。薬物を使用していた若者には、コミュニティーの支援に忙しく活動してもらいました。そうしてSHOFCOは成長しました。お金はなくとも、行動するのみ、でした。

私が奨学金を得て、米国コネチカット州のウェズリアン大学で社会学を学ぶためにケニアを離れた後も、この活動は続きました。私は大学の図書館で働き、故郷に送金をして活動を継続させました。

最終的に私たちは、この種の機関としては同地域での先駆けの一つとなる「キベラ女子学校」を設立しました。今やこの学校の生徒たちは、米国のコロンビア大学やタフツ大学などの一流大学やインドの大学をはじめ、海外の大学にも進学しています。

現在、私たちはケニアの35のカウンティでSHOFCOを運営しています。約1万人の女児の就学を支援したり、政府と提携して医療や安全な水を提供したり、何百人もの若者たちを支援して「技術教育及び訓練並びに職業教育及び訓練(TVET)」カレッジを卒業させたりしています。

SHOFCOは2,000人のスタッフを雇用していますし、サッカーチームも活動を続けてリーグで好成績を収めています。

SHOFCOが建造した貯水槽を背景にキベラの街を歩くオデデ氏

数字で見るSHOFCOの影響力

  • 1万人超の女児の就学を支援
  • 設立以来、400万を超える人々に届く活動
  • 150万人の若者たちにリーダーシップ訓練を提供
  • 35のカウンティで、2,000人の職員を雇用
  • 18万人の若者たちの雇用を促進
  • インフォーマル居住地において、安全な水を供給する最大規模の事業者に
  • SHOFCO SACCOを通じて、1,000万ドルの小口融資を提供

都市部のスラム街の開発とエンパワーメントにアプローチする上で、SHOFCOはどのような独自性を持っていますか?

私たちの活動は「草の根」かもしれませんが、グローバルに展開しており、それはとても珍しいことです。SHOFCOはストリートチルドレンが始めたものです。ニューヨークやロンドンの人たちではなく、地元のコミュニティー出身の人々です。他の団体は常に資金援助を受けるために提案書を書いていますが、私たちは資金提供者のためではなく、私たち自身の問題を解決するために活動を始めました。そこが私たちが独自性を持つ点です。現在では、南アフリカ、インド、西アフリカの団体にも助言を行っています。

私たちが直面している課題の解決に、私たち自身が参加しているところに独自性があるのです。自分自身が貧困の影響を受けているからこそ、その問題を理解しているし、私たちの仲間は、その解決策を見つける仕事の一端を担っているのです。

何より重要なのは、私たちが活動を通じて人々を鼓舞し、希望を与えているということです。かつてネルソン・マンデラ氏は、「人生で大切なのは、単に生きてきたという事実ではありません。他人の人生にどのような変化をもたらしたかということです」と述べています。この言葉は、あなたやあなたの使命にどう共鳴していますか?

この言葉こそが私を突き動かしています。それはまさに、無私無欲であるということであり、アフリカの指導者たちも心に刻んでおかなければならない言葉です。大切なことは、あなたがどこの出身か、何を実現したかではなく、他者のために何をしてきたのかということです。例えば、私はスラム街の出身です。米国に留学しました。それは良いことです。ですが、私は自らのコミュニティーのために何をしてきたのでしょうか。

SHOFCOは、これまでに約400万人に届く活動を行い、7万件を超えるジェンダーに基づく暴力に関する事案の解決を支援し、150万人を超える若者たちを訓練プログラムに参加させ、約18万人の若者たちに雇用を確保してきました。私たちには2,000人のスタッフがいますが、その大半が私たちが奉仕しているコミュニティーの出身です。

あなた方はすでに多くの成果を上げていますね。団体としての次の目標は何ですか?

私たちは、ケニアの47のカウンティのうち、35のカウンティで活動していますが、これを残りのカウンティにも広げる予定です。また、南アフリカやナイジェリアといった他のアフリカ諸国で活動をするための交渉も進めています。

その活動をどのように持続可能なものにしているのですか?

現在、持続可能性に大きく焦点を当てており、私たちはすでに、収入を生み出す活動も展開しています。例えば、スラム街の多くの地域において、安全な水を供給する最大規模の事業者となっています。

また、4万人超の会員を擁する大規模な「貯蓄信用協同組合(SACCO)」(会員が資金を拠出し、会員が融資を受けられる会員制金融機関)も運営しています。

このSACCOは、SHOFCOのスタッフが設立し、その後成長を遂げ、コミュニティーの人々にも開放しました。現在までに1,000万ドルを超える融資を行っています。人々が借りて、返済し、再び借りて、事業を拡大させていく。まさに信用です。コミュニティーが所有し、コミュニティーが運営する、まさに私たち自身の銀行のような存在なのです。

また会員は、毎年末に持ち分に応じて配当を受け取ります。これは持続可能な仕組みです。資金が会員から会員へと循環し、会員は小規模事業を興しています。私たちはこうした収入を創出する活動を拡大させる予定です。

マンデラ賞の受賞は、今後のご自身の取り組みにどのように役立っていくでしょうか?

「生きた経験」は、これまであまりにも長い間、開発における解決策の一部としては無視されてきました。しかし今、最大の国際機関である国連が、「生きた経験」が重要なのだと言っているのです。

この評価は、新たなパートナーシップやプラットフォームへの扉を開きます。今や政府、慈善家、グローバル・プラットフォームが注目しています。それによってSHOFCOは成長し、より多くの人々に支援を届けられるようになるのです。

最後に、アフリカの若者たち、とりわけ困難な状況で育っている若者たちに向けて、メッセージをお願いします。

アフリカは「若い大陸」であり、人口の約70%が若者たちです。そうした人たちが、自分たちには力があるのだということを知る必要があります。このデジタル時代を生きていることは、若者たちにとって幸運なことです。テクノロジーやスキルを駆使して、人々の生活を大きく変えることができるのです。

若者たちは、自身のコミュニティーの解決策の一部になる必要があります。若者は、私たちの世代にはなかったツールを持っているのです。

指示されることを待つ時代は終わりにしましょう。もはや若者は、「明日のリーダー」ではなく、「今日のリーダー」なのですから。

* *** *

原文(English)はこちらをご覧ください。