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国連総会、「国連文明間の対話年」を宣言

プレスリリース 01/98-J 2001年11月04日

53回本会議
1998114

 決議5322

国連総会、「国連文明間の対話年」を宣言

 国連総会は、

 とりわけ、国家間の友好関係を強化し、平和に対する脅威を除去するとともに、経済的、社会的、文化的および人道的性格を有する国際問題を解決し、万人の人権と基本的自由の普遍的尊重を促進、奨励するための国際協力を醸成する集団的努力を求めるという、国連憲章に体現された目的と原則を再確認し、

 人類の多種多様な文明の成果、具現化しつつある文化的多元主義、および、創造的な人間の多様性を認識し、

 文明間の肯定的で相互に利益をもたらす交流は、不寛容、紛争および戦争から生じる障害にもかかわらず、人間の歴史を通じて継続してきたことを意識し、

 国際関係における寛容の重要性、および、理解に達し、平和に対する脅威を除去し、文明間の相互作用と交流を深める手段としての対話の顕著な役割を強調し、

 1995年が国連寛容年に指定されたことに留意するとともに、寛容と多様性の尊重は人権の普遍的促進と保護を容易にし、市民社会、社会的調和および平和にとっての健全な礎になることを認識し、

 文明の成果は人類全体にとっての着想と進歩の源を提供することにより、人類共通の遺産を構成していることを再確認し、

 第3千年紀の幕開けに、文明間の建設的な対話を通じ、理解を深めようとする国際社会の集団的な試みを歓迎し、

  1. 文明間の対話を容易にし、促進するという断固とした決意を表明する。
  2. 2001年を「国連文明間の対話年」と宣言することを決定する。
  3. 政府、国連教育科学文化機関をはじめとする国連システム、および、その他の関連国際機関と非政府組織に対し、会議やセミナーの開催、および、この問題に関する情報と学術資料の普及を通じたものを含め、文明間の対話の理念を促進するための適切な文化的、教育的および社会的プログラムを計画、実施するとともに、その活動を事務総長に連絡するよう招請する。
  4. 事務総長に対し、この点での活動に関する暫定的報告書を第54回総会に、最終報告書を第55回総会にそれぞれ提出するよう要請する。

 

1.文明間の対話の意味

 第56回国連総会では、「2001国連文明間の対話年」を記念し、そのフォローアップ行動を検討する本会議が予定されています。

 文明間の対話とは何でしょうか。世界には2つの類の文明があるといえます。一つは多様性を脅威と捉えるもの。もう一つはこれを機会と捉え、成長に切り離せない要素と考えるものです。文明間の対話年は私たちに対し、多様性を改めて考え、包含を前提とした新たな関係のシステムを模索することを促しています。ですから、文明間の対話年の目標は、可能な限り紛争を防ぐ一方で、懐の広い対話を作り上げていくことにあります。

 このため、政府、国連システム、および、その他の関係国際機関と非政府組織は199811月、国連総会から、文明間の対話の理念を促進する文化的、教育的および社会的プログラムを計画、実施するよう促されました。

 20001113日の総会決議により、第56回国連総会のうちの2日間を、国連文明間の対話年を記念し、そのフォローアップ措置を検討するための本会議に当てることが決定されました。総会はまた、加盟国とオブザーバーに対し、これら会合にできる限り高い政治レベルの代表を出席させるよう促しました。

2.根本的な国連の価値観に根ざした「文明間の対話」の思想

国連からのメッセージ
コフィー・アナン事務総長

 国連はそれ自体、対話は不和を克服することができ、多様性は普遍的な美点であり、世界の人々はその異なるアイデンティティーで分裂しているのではなく、その共通の運命で結びついているのだという信念の下に創設されました。

 その能力をいかんなく発揮すれば、国連はまさに文明間の対話の場、すなわち、このような対話が活発になり、人間の試みのあらゆる分野で結実するような話し合いの場となることができます。すべての国々の間(それぞれの文明、文化および集団の内部とその間)で日々このような対話が行われなければ、いかなる平和も続かず、いかなる繁栄も確保できません。これが国連の最初の半世紀で得られた教訓です。そして私たちは、危険を覚悟でこの教訓を無視しているのです。

 この歴史はまた、文化の無限の多様性とともに、寛容と自由という共有の価値観に基づく一つのグローバル文明が存在することも私たちに教えてくれます。それは、反対意見に対する寛容、文化的多様性の祝福、基本的で普遍的な人権の擁護、そして、あらゆる場所の人々が自分たちの統治方法について発言権を持つという信念によって定義づけられる文明です。それは、人間の文化の多様性が恐れるべきものではなく、祝福すべきものであるという信条に基づく文明です。実際、多くの戦争は、自分たちと違う者たちに対する人々の恐怖から発生しています。そして、このような恐怖は対話を通じてのみ克服できるのです。

 このように、多様性は文明間の対話の基礎であるとともに、対話を必要とさせる現実でもあります。新世紀の幕開けに当たり、私たちが守り、促進することを求められているのは、このグローバル文明なのです。

 これを成功させるためには、新たな境界線を作ることなく対話を促進し、統合を妨げずに協力を前進させることができなくてはなりません。なぜこのようなことを申し上げるかと言えば、それは、文明間の対話でさえ、障壁を取り除くのではなく、実際にこれを補強するような形で進んでしまう危険性があるからです。

 私は特に、文明や文化といった言葉が、歴史から見て恒常的なものでも、不変なものでもなく、絶えず変化、成長、発展し、相互作用を通じて新しい時代と新しい現実に適応していく、常に流動的な組織体だということを思い出すよう、私たち全員に警告したいと思います。これらはまた、特定の宗教的信念に必ずしも一致するものでもありません。キリスト教文明や、イスラム文明や、仏教文明といった言葉は、あまりにも大雑把で乱暴な表現で、必要のないところに境界線を引くことになってしまいます。

 このような幅広い一般化は、有効であったとしても、統合、移住およびグローバル化が異なる人種、文化および民族性の相互の接触をますます緊密化させている現代に当てはまらないことは明らかです。これは世界の各所で目の当たりにすることができます。事実、ある一つの文明のみに属していると主張できる人々はほとんどいないでしょう。私たちはむしろ、これまでにも増して、自分たちが多くの文化や衝撃の産物であり、その力が内外のものを融合させることから発し、排他的で内向きの文明の模索は失敗する運命にあることを理解しています。

 このことは、私たちが自らの特定的な信条や遺産に誇りを持ってはならないという意味ではありません。それは可能であり、また、そうすべきです。しかし、自分たちのものは他者のものと必然的に対立するという考え方は間違っていて、危険です。一部の人々の主張とは異なり、私たちは自分でないものを嫌わなくても、自分自身を好きになれるのです。

 それでは、文明間の対話はどのような意味で有用な理念なのでしょうか。第1に、それは文明の衝突が不可避であるという考え方に対する適切かつ必要な回答です。これによって、紛争よりも協力を進めるための有用な文脈が出来上がります。

 第2に、それは文化と文明のさらに深く、古い根源を辿り、あらゆる境界に関係なく私たちを結びつけるものを見出す助けとなるとともに、過去は敵意だけでなく、和合への手がかりを提供しうることを私たちに示してくれます。

 そして、おそらく最も重要なこととして、第3に、文明間の対話は、現代における文化と文明の役割を見据え、それによって宣伝と偽りの歴史を戦争を引き起こす本当の原因と区別する助けとなりえます。そしてこのことがまた、和平への道をなだらかなものに変えるでしょう。

 最近では、侵略と暴力しか頭にない軍司令官と指導者たちが、支持者に対し、自らを過去の残虐行為の犠牲者と同一視し、こうした過去の紛争で侵略を行ったとされる人々と同一視される集団に復讐したり、これに対して自衛したりするよう促すことが、あまりにも多くなっています。その目的で、敵対する集団が異なる、和解不可能な文明に属するのだという主張が多く用いられています。

 このようなことは、歴史を歪め、これを最も卑しい目的に用いるだけでなく、紛争の根源をなし、これを解決するために取り組まなければならない実質的な不満をわかりにくくする結果をもたらします。

 過去10年間、バルカン情勢は私たちに、一層の分裂と紛争を目的とした歴史の利用と悪用がもたらす、恐ろしく悲劇的な例を提示しました。ここでは、数世紀にわたって行われていた文明間の対話と呼べるものが、暴力的に破壊されたのです。突如として、ボスニアのイスラム教徒の人々は「トルコ人」と呼ばれるようになり、その祖先と言われる人々が500年前に行ったとされることによって、これらの人々の迫害が正当化されました。この場合、歴史、文化および宗教のはっきりとした理解があれば、共産主義から民主主義への移行が助けられ、真の意味での権利と責任の問題は、相互の尊重に基づく多元的環境の中で取り組むことができたでしょう。

 中東での紛争では、領土、国家および所有権という、それだけでも難しい問題が、3つの信仰にとっての聖地を中心とする宗教的差異によって、さらに複雑で厄介なものとなっています。本質的には国家間の紛争が、宗教紛争にもなる危険をはらんでいます。この場合、率直で建設的な対話は、いわゆる文明と宗教の問題を、政治と領土の問題から切り離す助けとなるとともに、際限のない紛争よりも公正な平和を選択することにより、究極的にはすべての信仰を尊重するような解決策への道を提供することができるでしょう。

 バルカンと中東の両方のケースで、文明と信仰、さらには、善悪および正義と必要性に対する考え方の間の真正な対話は今でも、指導者たちが和平への道を見出す手助けとなれます。私は、民族自決や安全保障や尊厳といった、深遠かつ極めて実質的な問題がここには絡んでいないのだと申し上げるつもりはありません。これらは言葉だけで解決できないものです。しかし、言葉と行為による対話、すなわち、他方の不満に対する尊重と真の認識に基づく相互の行為は、状況を一変させることができます。このことについては、私は確信を持っています。私たちは紛争の真っ最中になるまで、このような対話の開始を待つべきではありません。私たちはいつでもどこでも、機会があればこれをスタートさせるべきです。戦場から遠く離れたほうが、対話を始めやすいことも多いのですから。

 200125日、ニュージャージー州サウスオレンジのシートンホール大学院外交・国際関係研究科での事務総長演説から。

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