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令和8年度東京大学大学院入学式 に寄せる 中満泉 国連事務次長・軍縮担当上級代表の祝辞(東京、2026年4月13日)

2026年04月14日

ⒸUNIC Tokyo

新入生の皆様、東京大学大学院入学おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。

私がアメリカのジョージタウン大学院に入学したのは40年近く昔の1987年です。その年の12月には当時のアメリカ・レーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が中距離核戦力全廃条約(INF)に署名し、冷戦が終結に向かいつつあることを肌で感じ、まさに歴史の転換期にあることに若い学生として興奮を覚えたことを記憶しています。世界中から集まった様々なバックグラウンドを持つクラスメート達と、新たな国際関係とこれからの歴史がいかに進展するのかといった議論の輪に、当時はまだあまり流暢でなかった英語で参加して大いに刺激を受けたものです。そして私が国連に奉職した1989年の終わりに冷戦が正式に終結し、ポスト冷戦期が始まりました。

皆さんが大学院での研究生活に入る今、私たちは再び歴史の大きな転換期にあります。冷戦が終結した時以上の、地球人類にとっての重要な分岐点とも言えるかもしれません。

ヨーロッパや中東での戦争のニュースからも明白な、軍事大国の地政学的な競争・緊張関係が再来しただけではありません。世界は多極化し、より複雑になり、大きなパワー・シフトの只中にあります。同時に世界中のデータを保有しデジタル・インフラを支配し、実質的に社会インフラも運用するような、国家権力を超える大きなパワーを持つ民間企業が存在するようになりました。そして国際社会が長い時間をかけて、大きな悲惨な戦争の教訓をもとに作り上げてきた国際法に基づく国際秩序そのものが弱体化し、いくつかの大国の攻撃もあって根本的に揺らぎ始めています。これらの複雑で困難な環境の中で、とてつもないスピードで科学技術の進展が進み、私たちの社会の全ての側面が根本的に変わろうとしています。日常生活から教育、医療、経済や雇用・労働、そして戦争の戦い方まで。

私たちが存在する現在の世界の「デュアリティー」、二元性に、注意を払わなければなりません。一つの事象について、相反する異なる側面が存在しているということです。この相反する側面の両方を理解することは、未来に向けた分岐点にある私たち人類が、正しい選択をするために必要なことです。いくつか簡単な例を挙げてみましょう。

例えば、全世界の資産は21世紀を通じて増加を続けています。世界全体で見れば、私たちはより豊かになっているわけです。特に、世界のビリオネアの富は2020年以降で81%も増加しました。しかし富裕層上位10%が世界の富の75%を保有し、同時に世界にはいまだに7億人ほどの人々が1日を2.15ドルで暮らす極度の貧困状態にあるのです。このような格差・不平等の拡大は、例えば経済学者トマ・ピケティによれば、資本収益率が経済成長率を上まわり続けるために資産を持つものがさらに豊かになる、という経済システムの構造的な要因があるためです。

食糧生産でも似たような状況にあります。世界の穀物生産量は28億トン以上、世界のすべての人々が十分に食べられるだけの食料が生産されています。それにもかかわらず、世界人口の12人に一人が飢餓に直面しています。生産された食料の3分の1が破棄されているというフードロス問題もありますが、2022年のロシアのウクライナ侵攻をきっかけに各国で食料価格が高騰し、インフレーションが進んでいることも、世界中で低所得の人々の十分な食料確保を難しくしています。

私たちの未来をとてつもなく豊かにより良いものにしてくれるであろう、驚異的な進展を続ける科学技術にも、大きなプラスの側面と、恐ろしいマイナスの可能性があります。AIやバイオテクノロジーの進歩は、難病の治療を可能にするでしょうし、農業生産、エネルギー産業、地球環境問題や気候変動など多くの地球規模課題の解決に貢献することは間違いありません。同時に、多くの専門家がAIのいわゆる「破滅的リスク」を回避するためのガードレールが必要であると主張しています。そして、その緊急性はますます高まっています。事実、AI企業のアンソロピックやOpenAIは、先月生物化学兵器分野の専門家の募集を始めました。すでに数年前から、AIがわずか数時間で数万もの、化学兵器に転用可能な毒性の強い化合物のデザインを作成可能であることが判明しており、破滅的な悪用を防ぐために企業自身による自社技術の安全性を高める努力が必要になっているのです。化学兵器や生物兵器に関しては禁止条約がありますが、AIなどの技術の影響を防ぐには完全とは言えず、軍事・安全保障分野全般でのAI開発・利用に関する国際的な規範やガバナンスの必要性は、国連でも議論は始まっているもののいまだ整備はされていません。

私たちの立っている分岐点とは、格差と不平等が固定化し拡大していく社会経済のあり方を見直し、誰一人取り残すことなく皆が豊かさの恩恵を受けることができ、結果的に安定した繁栄する世界を構築していく道を選ぶのか、それとも極端な社会の歪みを正すことなしに、多くの人々を困難な状況に置き去りにして、どこかで大きな破綻をもたらすリスクを持つ道を選ぶのかという分岐点です。そしてシンギュラリティー(技術的特異点)が本当に起こるのか、いつやって来るのか専門外の私にはわかりませんが、私たち人間がAIに使われ支配される未来ではなく、AIのもたらす恩恵を最大限にし、人間がこれを使う未来にするための基盤を作れるのか、という分岐点でもあります。人間のみが持ちうる創造性や、私たちが時間をかけて発展させてきた倫理的な価値観や規範をもとに、いわば新たな文明を作るための分岐点もしくは出発点とも言えるのかもしれません。

皆さんは、このような重要な歴史の転換期に東京大学大学院での研究生活を始めるわけです。今年1月に亡くなったハーバード大学名誉教授で日本人初のアメリカ歴史学会会長でもあられた入江昭先生は、歴史学を現代と過去との対話であり、未来を設計するための活動でもあるとし、国境を越えた「知の共同体Community of Knowledge」の重要性を強調しました。歴史学に関わらず、玉石混交の膨大な情報が溢れる時代だからこそ、誠実で学究的な専門的研究こそが、未来に役立つ知識と知恵を生み出すのだと思います。皆さんは、そういった「知の共同体」のメンバーとなるわけです。できれば、自らの専門領域を超えて、学際的な知の好奇心を持って欲しい。異なる分野の専門家ともネットワークを築き、協働して欲しい。先に述べたテクノロジーのガバナンスの議論において、様々な科学技術分野と社会学、倫理学、国際法、哲学などいくつもの分野の知見の融合が欠かせないと私自身、実務で実感しているからです。

Dear fellow students,

You will no doubt be among those in the world who help lead and cocreate a better future for all of us.

As you begin to step into that leadership role, with joy, excitement, privilege, but also profound responsibility, allow me to offer a few reflections.

First, be brave.

Do not hesitate to take risks, or even to fail. Failure is not a verdict; it is part of the process through which real learning and growth occur, be it personal, academic, or professional. Courage also matters when the moment comes when you must stand up for your principles. There will be times when you feel compelled to voice concern, take a position, or act on issues that are fundamental to your values. For me, peace and respect for human dignity have always been such issues. If those who are educated and privileged like yourselves choose the path of “If you can’t beat them, join them,” we fail the world. Sharpen your moral compass. Let it guide you toward principled courage.

Second, be confident but never arrogant.

Believe in your abilities, yet remain open to others, especially those who see the world differently. Listen to them. Innovation and breakthroughs often emerge from curiosity and from listening to diverse perspectives. Humility is not a weakness; it is a strength that earns trust and respect. Rabindranath Tagore, the first Asian Nobel laureate in Literature, famously wrote: “We come nearest to the great when we are great in humility.” How true this is in today’s world full of gigantic egos!

Third, be selfreflective and tolerant, and be sincere in your regard for others.

Cultivate empathy for those who are less fortunate or who live in vulnerable circumstances. Much of modern history has been shaped by people who worked to correct injustice and to build a more humane world. I hope your pursuit of knowledge will contribute to this long tradition of striving to make our world fairer, safer, and more dignified for all.

今日ここに集う女子学生の皆さんに、特別なエールを送ります。皆さんは、間違いなく競争を勝ち抜き、明確な目的を持って大学院での生活を始めることでしょう。どうか、初志を貫徹してください。誰に媚びることも忖度することも遠慮することもなく、かといって無理に肩肘張ることもなく。私たち女性同士で助け合い、心ある男性たちとも同盟を組みましょう。そして、何よりも充実した日々を楽しみ幸せであってください。自分がパッションを持って目的を追求するときの苦労は、苦しいものではなく人生の充足感になることを私は知っています。心から応援しています。

皆さま、ご入学重ねておめでとうございます。どうかここでの経験が、あなた自身の人生を豊かにするだけでなく、周りの人々・脆弱な立場の人々を助け、あなたの属する社会や国、そして世界にも貢献しますように。そして私たち皆の未来を安全で豊かなものにする、歴史を創る作業に参加する旅路が、あなた自身の幸せと大きな達成感をもたらしますように。

Bonne chance, Bon courage and Bon voyage.

令和8年4月13日
国際連合事務次長・軍縮担当上級代表
中満 泉

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