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旧ポル・ポト政権幹部に有罪判決を出したカンボジア特別法廷 ― 住民参加型裁判で国民和解に貢献

カンボジアの旧ポル・ポト政権幹部を裁く特別法廷で今年8月初め、元最高幹部2人に初の有罪判決が下されました。4月末までカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia:ECCC)/国連クメール・ルージュ裁判支援機関で広報官を務めた日本人国連職員の前田優子さんによる報告を以下ご紹介します。         

                            

1970年代にカンボジアを殺戮の場と化した旧ポル・ポト政権幹部を裁く特別法廷で今月初め、元最高幹部二人に初の有罪判決が下された。多くの人々が心待ちにしていた判決が出たことで、法の裁きによる正義の確立に向けて一歩前進したことを喜ぶ法廷支援者も少なくないだろう。私もその一人で、この春まで5年間、広報官として法廷と一般の人々をつなぐ橋渡し役をして来た者として、「節目」を迎えたことをうれしく思う。

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                                                 ▲カンボジア特別法廷の様子 ©Photo: ECCC

カンボジアでは1975年4月から1979年1月にかけ、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが政権を握り、共産主義の名の下、様々な残虐行為を繰り返し、全人口の4分の1にあたる約170万から200万人を飢えや拷問、虐殺などで殺したとされる。内戦終了後の90年代後半、カンボジア政府は旧政権の指導層や重要人物を裁こうと国連に協力を要請、2006年、カンボジア特別法廷を設置した。カンボジア人と国連の推す外国人の判事や検察官、法務官らが共同で運営にあたり、これまで5人を起訴、そのうち第1事案の元政治犯収容所S−21所長ドィック(71)に対しては、2012年に上級審で有罪・終身刑を確定している。

今回の判決は、それに次ぐ第2事案に対して初級審が下したもの。故ポル・ポト元首相に次ぐ政権ナンバー2で元人民大評議会議長ヌオン・チア被告(88)と、キュー・サンファン国家主席(83)の二人が、200万人規模に及ぶ住民の強制移住などを計画・煽動したとして、「人道に対する犯罪」で有罪判決を受け、最高刑にあたる終身刑を科された。両被告は判決を不服とし、上告する方針のようだが、この判決は両被告に対する罪状の一部に対するもので、「大量虐殺罪」など残りの罪状に対する分割審理は、今秋にも開始される予定だ。

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                                 ▲ 第2事案初級審でのヌオン・チア被告  ©Photo: ECCC

法廷設置後8年を経て、ようやく旧政権中枢人物の有罪判決が出たことで、遺族や犠牲者はもちろん、カンボジア政府や国連をはじめ長年支援してきた国際社会も「正義への大きな一歩」として成果を讃えた。報道によると、夫や子供を亡くした高齢の女性は、涙にむせびながら、これで夫らの魂も休まることができると言い、またある男性は、終身刑は犯した罪に比べれば軽すぎるが、長らく待ち望んでいた正義がもたらされ、一応のめどがついたと語ったという。法廷を財政支援する日本やアメリカも声明を発表、裁判の進展を評価した。

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                          ▲判決後、抱き合って喜ぶ犠牲者たち  ©Photo: ECCC/Kimlong Meng

今回の裁判で忘れてならないのは、他の国際刑事裁判ではみることのない国民参加型の裁判が進められた点だろう。被害者や遺族ら約4,000人が民事当事者として刑事訴訟に加わり、家族の引き裂かれる状況など被害情報を提供してきた。また、222日に及ぶ公判中は、農民や僧侶、学生など延べ10万人に及ぶ人々がカンボジア全土から法廷へ足を運び、両被告が裁かれる様子を傍聴した。一日平均、450人の傍聴者。世界中どこを見回しても、これほど多くの人々が関心を寄せた裁判は他に例がない。

これは、2009年、第1事案の公判が佳境に入った時期に広報部が中心になって開始した無料送迎バス事業など、積極的なアウトリーチ活動の成果とも言える。広報部では、難解な裁判を身近に感じてもらおうと、50人以上の傍聴希望者のある村々に無料送迎バスを出し、毎回数百人の村人に審理を傍聴してもらった。また、長期間、公判のない時期にも週2回、無料送迎バスによるスタディーツアーを開催、数百人ずつ法廷と殺戮現場である虐殺博物館やキリングフィールドなどを見学してもらい、裁判への理解を深めてもらった。見学中、涙ながらに自己の体験を語る参加者も、後を絶たなかった。これらバス事業を通して法廷を訪れた人は延べ20万人を超える。

これは、数あるアウトリーチ活動の中でも中核をなすもので、法廷が殺戮現場となった国内にあるという地の利を生かした事業だ。何千キロと離れたハーグで戦争犯罪を問うルワンダユーゴスラビアのケースでは、不可能な活動だろう。

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    ▲プノンペンアウトリーチ活動を行う筆者の前田優子さん(中央)  ©Photo: ECCC

このほか、毎週のように地方で青空映写会を開き、広報部制作のビデオを上映したり、毎月、高校や大学へ出前講義に出かけるなど、法廷の取り組みを知ってもらう活動も続けた。また、独自のラジオ番組も週1回放送し、法廷スタッフがリスナーからの質問に直接答える機会も設けた。公判を生中継するビデオストリーミングと合わせ、広く国民に開かれた裁判所にするための活動の一環だ。

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                            ▲ 広報部が実施するフォーラムに参加する人々  ©Photo: ECCC

その成果あってか、研究機関による意識調査によれば、4人中3人のカンボジア人が特別法廷は国民和解を促進し、犠牲者や遺族に正義をもたらすと回答、民事当事者に至っては9割以上が国の再建に役立つと答えた。

アウトリーチ活動を通じて、私はクメール・ルージュ時代を生き抜いた人々はもちろん、1980年代以降に生まれた多くの若者にも出会った。「同じクメール人なのに、どうして殺し合いなんかするの?」と若者が問えば、遺族の方は「なぜ、あんなことが起こったのか私にも分からない。真実を知るため、思い出したくもない辛い過去をあえて証言している」と答える。ポト派政権崩壊から35年経った今も、辛く悲しい過去はまだ終わっていない。「次の世代には、2度と同じ過ちを繰り返してほしくない」と祈る遺族らにとって、元政権幹部の刑事責任を一部ながらも明らかにした今回の判決は、過去と決別するための大きな節目となったに違いない。

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                                ▲ 共同検察官による記者会見  ©Photo: ECCC/Kimlong Meng

 

<筆者紹介>

カンボジア特別法廷/国連クメール・ルージュ裁判支援機関の元広報官でジャーナリスト。

1988年に神戸新聞社に入社して以来、米国ミシガン州内の夕刊紙キャデラック・ニュース社やカンボジアの英字紙カンボジア・デイリー紙で記者・デスクを歴任。2005年より国連PKOに関わり、広報官として西アフリカのリベリア・ミッションに参加したあと、今年4月末までカンボジアポル・ポト派裁判の広報官を務めた。兵庫県出身。