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「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(3) 清田明宏さん 

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第3回は、清田(せいた)明宏さん(国連パレスチナ難民救済事業機関保健局長)からの寄稿です。

 

誰も置き去りにしない新型コロナウイルス対策支援を
パレスチナ難民の現場からの報告―

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2010年に国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWA)の保健局長に就任。それ以前は、結核予防会・結核研究所に勤務後、国際協力機構(JICA)でイエメン結核対策プロジェクトに従事した後、世界保健機関(WHO)にて中近東の結核対策、三大感染症の責任者として3,100人の保健医療スタッフをまとめた。2015年第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞受賞。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業 ©︎ Akihiro Seita

 

世界を席巻する新型コロナウイルス 、総計560万人のパレスチナ難民が避難しているガザ、ヨルダン側西岸、ヨルダン、レバノン、シリアでも感染が広がっている。5月14日現在で、これら国々の患者の総計は1,883 人、その内63人がパレスチナ難民だ。数としては多くないかもしれない。しかしその一人一人の苦悩は深い。

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UNRWAの活動地域を示す地図

4月中旬、レバノン西部のパレスチナ難民キャンプで一人の新型コロナウイルス の患者が見つかった。40代の女性、肺炎の症状で難民キャンプの近くの病院に入院、感染を疑われPCR検査を実施、陽性であった。治療のためにレバノン政府が認定する新型コロナウイルス 専門病院への転院が必要となった。至急その病院に連絡、救急車を手配し、転院が行われた。現在は治療を終え、無事に帰宅された、と聞いている。本当によかった。

 

ただ、この転院を巡り、大きな問題が生じた。専門病院での治療費を誰が払うかだ。レバノンでの新型コロナウイルス の治療は高額だ。集中治療室(ICU)が1日1,000ドル(約107,000円)、人工呼吸器を使えば1日1,500ドル(約160,000円)に、一般病棟でも一日500ドル(約53,000円)だ。もしICUに1週間、一般病棟に2週間入院となると、費用は14,000ドル(約150万円)になる。

 

レバノンに約50万人のパレスチナ難民がいるが、彼らの7割は一人月208ドル(約22,000円)以下で暮らす貧困層だ。彼らレバノンの公的医療保険を持てないので、もし3週間の入院となれば、その費用は150万円になり、全て自費となる。貧しい彼らにとって、それは不可能だ。公的資金を持つレバノン政府も極度の財政危機に見舞われ、債務残高が国内総生産の170%、今年3月には債務不履行(デフォルト)に陥っていた。レバノンの総人口は約700万人だが、そのうち100万人以上いるシリア難民や約50万人いるパレスチナ難民の治療に財政が回らない、とのことだった。

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レバノンの難民キャンプの様子(2019年2月撮影)© Akihiro Seita

最終的には、私が仕事する国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWA)が治療費を支払うことで転院が実現した。UNRWAパレスチナ難民の支援をする国連機関なので、本来の業務といえばそうだが、我々も恒常的な資金難に見舞われている。しかし、もし我々が負担できなければ、患者さんが転院できない、治療を受けられない事態になる。それは絶対に避けねばならない。

 

新型コロナウイルス の対策の基本は、感染者の発見と隔離・治療だ。それには経済・社会状況にかかわらず全ての人が利用できる医療制度が必須だ。そうでなければ、患者さんは医療機関を受診しない。その結果、患者さんの命の問題となり、それとともに地域で感染が広がる。この状況はパレスチナ難民の様な社会的弱者にとって深刻だ。医療制度全体の底力が問われている。

 

新型コロナウイルス による苦悩が深いのは患者さんだけではない。住民全体だ。私が住むヨルダンでは、驚かれるかもしれないが、新型コロナウイルス の対策は今のところ比較的うまく行っている。5月14日現在の総感染者数は582名。ヨルダンの人口は約1,000万なので、感染者の率で言うと日本の半分以下だ。ヨルダン政府は感染が広がった3月からロックダウンをかけ、外出禁止、公的機関や空港の閉鎖、帰国者の強制隔離、他県への移動禁止、店舗の閉鎖等を行った。感染者が出た地域の封鎖と接触者検査も行い、感染拡大を抑えている。

 

ただこの対策が社会経済に与える影響は甚大だ。短期労働者が職を失い、商業施設で働く従業員も給料が止まった。ヨルダン政府は社会経済支援を進めているが、状況は厳しい。それをある日実感した。

 

ヨルダンにはUNRWAの診療所が25あるが(UNRWA全体では144)、その一つを訪問した。ヨルダンでは病院以外の診療所が、受診者間での感染を防ぐため3月末から閉鎖されていたが、ようやく最近予防接種が再開された。その視察のためだ。完全予約制で患者数も少ない。医療従事者も完全防御だ。本当によく仕事をしている。頭が下がる。

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今月、診療所で予防接種を受ける子ども(2020年5月撮影)© Akihiro Seita

診療所で19歳の母親に会った。近くのパレスチナ難民キャンプに住む、9ヶ月の子供を持つ母親だ。予防接種再開を喜んでいたが、生活は、と聞くと、表情が一変、非常に大変だと、答える。聞くと、ご主人は工事現場で働く日雇い労働者。通常は日当25ヨルダン・ディナール(約3,700円)だが、今回の対策の影響で工事が止まり、過去3ヶ月収入はゼロ。ご主人の兄弟の支援で生き延びている、とのことだ。

 

パレスチナ難民の生活基盤は非常に脆弱だ。社会経済変化の影響を直接受ける。新型コロナウイルス の対策にはロックダウンがある程度だが、それにより生じた社会経済上の影響を最初に、そして甚大に受けるのが彼らだ。失業保険の様な社会保障制度の恩恵を受けられる可能性も低い。対策の過程で彼らの生活が奪われる。包括的であるべき社会全体の底力が問われている。

 

もちろん、対策を進める中で生まれた素晴らしい話も多くある。新型コロナウイルス はある意味、社会に新たな機会を提供している。国境・制度・人種、その全てを超えて協力する科学者・医学者の事例はよく知られている。素晴らしい事例が地域レベルでも起こっている。

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薬局で患者用の薬剤を詰めている薬剤師(2020年4月撮影)© Akihiro Seita

ヨルダンでは、前述の様に病院以外の診療所が3月末から1ヶ月閉鎖された。UNRWAの25の診療所もだ。ただ、UNRWAでは約8万人の糖尿病・高血圧の患者さんの治療をヨルダンではしている。患者さんにとって、安定した薬剤提供が止まれば死活問題になる。そのため患者さんの自宅へ薬剤を直接配布することにした。そのため政府から、薬剤師と医師の出勤の許可を特別に取り、彼らに診療所で、薬剤を患者用の封筒を作り、入れてもらった。インシュリン、糖尿病薬、降圧剤、コレステロール剤等、薬剤の種類は多い。一人分の封筒を作るのに数分かかる大変な作業だが、黙々と進めている。

 

そして、封筒の配布はパレスチナ難民のボランティアが行う。彼らは自主的に診療所に集まっている。配布の前に患者さん一人一人に電話をし、住所を確認。そして自分たちの車で配る。感染を防ぐためマスク等の防具をつけて。4月末までには7万人以上に配り終わっている。ものすごい活動だ。この様な事例が各地で起こっている。地域の底力、実はすごい。

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診療所の待合所で薬剤を配布する患者に電話しているボランティア(2020年4月撮影)© Akihiro Seita

新型コロナウイルス とその対策は、我々に、我々の社会がどの様なものであるかを問いかけている。近代最大の感染症、そして、公衆衛生史上、恐らく人類を守る最大の戦いである新型コロナウイルス 対策、我々の社会の脆弱な部分が白日の元に晒される。そしてそれは常に、パレスチナ難民の様な社会的弱者を最初に、だ。

 

医療保険があれば受けられるはずの治療が受けられない。失業保険があれば守れるはずの生活が守れない。そして、難民キャンプの生活環境は劣悪で、いわゆる“3密”、ソーシャルディスタンスが取れない。一度感染者が出ると、難民キャンプ内で感染が急激に広がる。社会全体が危険に晒される。

 

その危険性は日本にもある。不安定な雇用形態にある人々、足腰の弱い中小企業への打撃が大きい。社会の問題は社会的弱者に集約されるが、新型コロナウイルス の様に近代社会最大の衝撃に晒された場合、それが明白になっている。社会的弱者を置き去りにしない、社会保障・医療政策等、包括的対策が必要となる。

 

国際協力も重要だ。ウイルス は、人間社会にあるすべての境界を簡単に超える。国境、地域、人種、社会、全く関係なく拡がる。国際的な開発アジェンダである、持続可能な開発目標(SDGs)は「誰も置き去りにしない」をその普遍的目標にしている。今回の新型コロナウイルス 対策では、それが如実になった。

 

世界中の全ての人が感染から守られて初めて、対策は成功となる。日本も安全となる。その際、決して忘れてはならないのは、パレスチナ難民の様な社会・経済的弱者の存在だ。強引な言い回しだが、パレスチナ難民を含め難民への対策支援、日本国内の対策に繋がっている。誰も置き去りにしない新型コロナウイルス の対策の支援が火急の課題だ。

  

ヨルダン・アンマンより 

清田 明宏