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旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)閉所式での事務総長挨拶(ハーグ、2017年12月21日)

プレスリリース 17-076-J 2017年12月29日

(オランダのウィレム・アレクサンダー国王)陛下、裁判所長、来賓の方々、皆様、

きょう、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の閉所式に参加できることを光栄に思います。

また、この美しく歴史的な「騎士の館」に私たちを迎えていただいた陛下とオランダ政府に謝意を表明したいと思います。

また、これまで24年間にわたる素晴らしいパートナーシップにより、裁判所によるその重要な任務の遂行を可能にするとともに、その他多くの国際裁判所や国際法廷を継続的に支援しているオランダとハーグ市にも感謝いたします。

1993年の旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の創設は、画期的な出来事でした。

当時、ニュルンベルクと東京での戦争犯罪裁判から半世紀近くが経過していました。

1948年に採択されたジェノサイド条約は、1951年に発効したものの、このような犯罪について個人の責任を問えるような国際刑事裁判所は、まだ設置されていませんでした。

安全保障理事会は、国連初の刑事裁判所の創設を全会一致で可決し、これが平和の回復と維持に資するという「信念」を示すことにより、国際刑事司法と国連の中心的な任務の間に密接な関連性があることを明らかにしました。私は、この認識が現在も変わっていないことを、心から望んでいます。

この裁判所の創設は、国際的な関心を呼ぶ最も深刻な犯罪の責任者による行為を裁くべきであるという固い決意を、国際社会が新たにしていることを如実に示しました。

裁判所は1万日を超える審理を行い、5,000人近くから証言を聴取しました。

90人がジェノサイドや戦争犯罪、人道に対する罪で有罪判決を受けました。

こうした数字に加え、裁判所は被害者にも発言権を与えました。女性と女児を含め、残虐な暴力や悲劇的な喪失を経験した人々は、法廷でそれぞれのストーリーを語り、その経験を記録に残し、自分たちに対して犯罪を働いた者が裁きを受ける姿を目にする機会を得ました。そのこと自体が、癒しのプロセスにも貢献しています。

こうした恐怖の記憶を呼び起こすためには、とてつもない勇気が必要です。

私は、確実に裁きを下すことができるよう、裁判所に足を運んだあらゆる人々の勇気に、敬意を表します。

こうした証人がいたからこそ、裁判所は、その最も重要な遺産のひとつを伝えることができているのです。それは、サラエボやフォチャ、ブコバル、スバレカ、スレブレニツァその他で起きたことを書き記した大量の保存記録に他なりません。

こうした記録があることで、何が起きたかを世界が忘れないこと、歴史が書き換えられないこと、そして、被害者の声が今後、数十年間にわたって伝えられることを確保できるのです。

皆様、

旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所は、現代の国際刑事司法体系を構築するパイオニアとしての役割を果たしてきました。

裁判所は、1993年当時の予測を超えて、犯罪者の責任追及に対する国際的な期待値を高め、深刻な国際犯罪が生じている状況に関する私たちの議論の仕方と取り組み方を大きく変えました。

現在、国連安全保障理事会が残虐行為の実行犯の裁きを求めることは、常識となっています。

各国首脳による声明や報道記事、国内裁判所による取り組み、そして世論一般においても、同じような要求が行われています。

犯罪者の責任追及は、共通意識として私たちに根付いてきています。そして、この裁判所の設置以来、ルワンダ国際刑事裁判所やシエラレオネ特別法廷、カンボジア特別法廷、レバノン特別法廷、そしてもちろん、国際刑事裁判所など、裁きを確保するための機構が数多く設置されるようになりました。

事実、旧ユーゴスラビアとルワンダに関する国連裁判所がなければ、現時点で国際刑事司法制度の中心的機関となっている常設の国際刑事裁判所は生まれなかったかもしれません。

国内のレベルを見ても、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の活動は、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内戦犯法廷設置のきっかけとなっています。この法廷は2005年以来、国際的基準に基づく戦争犯罪裁判を行っています。

国内当局への捜査書類の引き渡し、国内裁判所への事案の付託、そして1990年代の紛争で生じた犯罪の訴追を可能にするための証拠や支援の継続的提供は、裁判所の重要な遺産といえます。

また、裁判所は、国内レベルで国際犯罪を訴追し、裁こうとする動きも後押ししています。国連は引き続き、国内当局や市民社会によるこうした取り組みを支援していきます。

これらは賞賛すべき動向ではありますが、私たちは、刑事司法の確立が長期的な取り組みであることも知っています。関心と決意を失ってはなりません。

私は、国際社会の支援があれば、国際刑事司法は発展を続け、残虐行為の起きた国が、国内の裁判所で訴追を開始または継続するケースも増えてくるものと確信しています。

しかし、将来的に必要なのは不処罰との闘いだけではありません。真実の追求と和解も必要となります。

1993年、スペインの作家フアン・ゴイティソーロは「記憶殺し」の存在を指摘しました。これは、サラエボ図書館を破壊することなどにより、過去を消してしまうという行為を指します。この裁判所は、文化財に対する攻撃を国際法上の犯罪とするための取り組みも、先頭に立って進めてきました。

私はまた、裁判所の手続きを被害者や被災コミュニティー、国内当局により近づけるための「アウトリーチ・プログラム」も、高く評価したいと思います。

2009年、私は難民高等弁務官として、ポトチャリにあるスレブレニツァ虐殺記念碑を訪れ、犠牲者を追悼しました。スレブレニツァで起きたこのジェノサイドは、これからも世界の良心に暗い影を落とし続けることでしょう。

国連を含む国際社会全体が、この虐殺に何らかの責任を負っていることを認識せざるを得なかったのと同様、旧ユーゴスラビアの各コミュニティーも、この裁判所の遺産を土台として、信頼と全面的な和解に向けた取り組みをさらに深めなければなりません。過去の悲劇の否定できない真実と事実を受け入れることは、よりよい共通の未来の構築に欠かせないからです。

皆様、

旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所は、加盟国や国際機関、市民社会の継続的な支援がなければ、その作業を完了できなかったことでしょう。裁判所は今、その活動を終えようとしていますが、私たちにはすべきことがまだ多く残っています。国際社会は引き続き、重大犯罪の責任者の訴追を要求し、被害者にとっての正義を実現しなければなりません。

後代への遺産(legs)をテーマとするきょうの閉所式に、非常に深い意味がある理由も、ここにあります。その語源であるラテン語legatusには「大使」または「特使」という意味があるからです。

私たちは今後、記憶の大使として、旧ユーゴスラビアで起きたような悲劇を決して忘れてはならないことを伝えてゆかねばなりません。

また、私たちは全員、人権、法の支配、そして正義の大使にもならなければなりません。

私はこの意味で、この裁判所に仕え、その本質的な使命を前進させた人々すべてに敬意を表します。こうした人々の熱意は、世界に貴重な遺産をもたらしました。私たちには、それを守ってゆく義務があるのです。

ありがとうございました。

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原文(English)はこちらをご覧ください。