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新千年紀に向かってー明日の国連

2000年01月19日

2000年1月19日、フレシェット副事務総長は国連大学主催の国際会議「新千年紀の幕開けー国連とグローバル・ガバナンスの在り方を問う」で基調講演を行なった。

以下は、この講演原稿(非公式訳)である。

基調講演
「新千年紀に向かって-明日の国連」
2000年1月19日
東京

上田秀明外務省国際社会協力部長、
ファン・ヒンケル国連大学学長、
タクール国連大学副学長、
著名なるパネリスト、ゲスト、同僚、友人、その他ご列席の皆様、

 本日、新しい千年紀最初の大きな国際会議の1つに皆様とともに出席できましたことをたいへん嬉しく思っています。国連大学は、人類の歴史の新しい1章を始めるのにふさわしい場です。この大学の使命は知識を共有することです。知識が技術や石油と同じように非常に大きな資産である世界において、この大学は、世界の友愛という人類最良の伝統の発展に寄与しているということができましょう。

 この会議の主催者である国連大学の皆様、ならびに日本の文部省、外務省、朝日新聞社、国連開発計画をはじめ、この会議の実現にご協力くださった皆様に厚くお礼を申し上げます。また、この会議のために貴重な論文や意見や時間を捧げてくださった方々にも感謝いたします。

 しかし、今ここで私たちが取り組もうとしているのは、不確実な企てです。かつて、哲学者のカール・ポッパーは、「私たちは明日何を知ることができるかを予測することさえできない」と言いました。20世紀の歴史の中では、しばしば予期せぬ出来事が起こったり、予測が外れたりしました。未来に目を向けても、私たちの行く手にどのような進歩や危機が待ち受けているのかわかりません。人類の歴史はいつも驚きに満ちているのです。

 とはいえ、将来を見つめることがいかに困難であっても、あるいは危険をさえ伴うものであっても、それを避けるわけにはいきません。人口増加、エネルギー消費、経済成長、健康と教育のレベル、技術的な躍進――こうした傾向の一部は既知の資料に基づいて推定することができますから、少なくとも、10年後、20年後の世界がどのようになっているかを想像することはできます。長期的な思考や計画は人間の得意分野とは言えませんが、私たちは未来に身をおいてみなければなりません。そうしなければ、私たちは進歩の機会を失い、迫りくる惨禍を防ぎ得ず、不正な戦いの準備をすることになってしまうでしょう。

 近い将来を熟視すると、新しい世紀における人類の生活を形づくる2つの動向が見えてきます。その1つは、人間1人1人の幸福に対する関心です。これは決して目新しいものではありません。「自由、平等、友愛」も、「生命、自由、幸福の追求」も、つまるところは個人の幸せを目指しているのではないでしょうか。しかし、この関心がはっきりと浮かび上がってきたのは最近のことです。第2の動向はグローバリゼーションです。これも昔から私たちに馴染み深いものです。人類は何世紀も前から世界中で交流をしてきました。しかし、今日のグローバリゼーションは、その速さ、影響の大きさ、そしてそれを推進しているメカニズムの面でこれまでとは異なっています。

 この2つの動向は密接に関係し合っています。どちらも――グローバリゼーションは上から、個人の重視は下から――国民国家に強い圧力をかけます。そして、そこには、国と個人の主権についての私たちの理解を著しく変化させる可能性が内包されています。この2つの動向が互いに影響を与え合い、また影響を受け合います。

 グローバリゼーションの主な推進力の1つである情報技術も、人類全体の、女性の、あるいは子どもの運命と福祉に関する世界的な認識を高めるのに役立っています。どこか遠くの戦闘地帯から居心地のよい茶の間に、飢えた子どもたちの映像が送られます。豊かな国の首都から貧しい国の掘っ建て小屋の並ぶ町に、派手な大量消費の映像が送られます。どちらの映像も双方向に流れる憂慮と驚きを生み出します。権利の革命は、グローバリゼーションに拍車をかけます。グローバリゼーションが進んでいるのは商取引や金融や投資の領域だけではありません。平等、寛容、自由といった価値観も全世界に広がりつつあります。そうした価値観は、今、世界人権宣言が起草された1948年よりももっと広く世界中で認識されているのです。

 人間1人1人の尊厳、自由、権利、幸福への関心は、そのときどきによって強弱の波はあったものの長い歴史を歩んできました。しかし、ここ半世紀の動きの中で最も注目すべきであるのは、こうした関心が国のレベルで強まったばかりでなく、国際的な話し合いの場で顕著になったということです。それは、「われら人民」と題された国連憲章や世界人権宣言の発布、女性の権利、拷問の禁止、少数者の権利、子どもの権利、その他多数の問題を扱う様々な条約や規約やメカニズムの確立など、一連の画期的な出来事が契機となって発展してきました。

 つまり、国際的な法と慣行の確固とした枠組みが作られてきたのです。中には、こうしたことは「紙の上で」達成されたものにすぎず、書物の中の法と日常の現実の間には大きな隔たりがあるという人もいます。しかし、国連は、人権の尊重を監視・促進するため、テーマ別・国別の特別報告者など、大きな権限をもつ仕組みをたくさん作り出してきました。中でも、20世紀最後の10年に見られた最も劇的な発展の1つということができるのは、人権の著しい侵害を防止するために、国際社会が積極的に部隊を配置するなどの行動を取るようになったということです。ルワンダや旧ユーゴスラビアで行われた大量虐殺や人道に反する犯罪を調査するために国際刑事裁判所(International Criminal Tribunals)が設けられたこと、あるいは国際刑事裁判所(International Criminal Court)の規程が採択されたことなども、人権の問題に国際社会がいっそう深い関心を寄せるようになった証です。

 1人1人の人間への関心が後戻りすることはないだろうと私は思います。これは国内や国際社会での人々の生活に大きな変化をもたらしています。自分の権利を認識している市民は、意見を聞いてもらいたい、話し合いに参加したいと考えています。つまり、自分たちの将来に自分たちで責任をもちたいのです。コフィー・アナン事務総長は、国家とは人民の公僕であり、人民に対して責任を負っているのであって、その逆ではないことが今や広く理解されていると述べています。

 しかしながら、政府や国際組織の活動に市民社会がいっそう深く関与する上での問題点も明らかになっています。市民社会団体の情熱は明白です。力もあります。地雷禁止のキャンペーン、債務免除の促進、国際刑事裁判所設立のためのローマ条約の採択などにおいて果たした彼らの役割を見てください。過去10年、地球サミットやその他の重要な世界会議の結果にも、非常に大きな影響を及ぼしました。しかし、そうした団体の参加の仕組みはまだまだ未発達です。政府はしばしばNGOが代表としての正当性をもたないのではないかと疑問を投げかけますし、NGOは政府が名ばかりの透明性を掲げようとしているに過ぎないのではないかと疑います。

 グローバリゼーションも後戻りすることのない動きです。グローバリゼーションは、一般に、金融と経済におけるかつてないほどの相互依存と成長の可能性をもたらす技術と通信の進歩を指すと理解されています。理論的には、市場が統合されると、投資が流れやすくなり、競争が強化され、価格が下がり、世界中の生活水準が向上するといわれています。現在、必ずしも理論通りに機能してはいないものの、グローバリゼーションは生活の現実となっています。

 私たちはすべて、同じ地球経済の消費者です。すばやい通信と、資本、商品、人間の自由な移動は、国境を越えた相互関係のネットワークを作り出しています。このプロセスは、私たちにいっそう多くの選択肢と新しい繁栄の可能性をもたらしています。これによって、私たちは、世界の多様性をこれまでよりはっきりと理解できるようになってきました。しかし、グローバリゼーションは、不確実性も生み出しています。勝者がいれば敗者もいます。富める人と貧しい人、富める国と貧しい国の間にあった大きな差がますます広がっているのです。

 世界中の非常に多くの人々が、進歩の要因としてではなく、破壊的な力としてグローバリゼーションを経験しています。また、多数の人々がその利益から完全に締め出されています。例えば、世界の人口の半数は、電話をかけたこともなければ受けたこともありません。こうした人々にとって、科学や医学や技術の大きな進歩は、別の星での出来事のようなものです。その一方で、犯罪組織が抜け道の多くなった国境や強力な新技術を不正な目的のために利用しています。

 今月上旬のある日、『ニューヨーク・タイムズ』の1面に載った2つの記事は、私たちが生きている世界の急速な変化と私たちが立ち向かわなければならない様々な新しい動きを例示しています。その1つは、東欧のどこかのコンピュータの前に座っている犯罪者がアメリカの人々の財布を狙うクレジットカード詐欺の話でした。もう1つは、効果や副作用の確認がなされていないものや、価値の疑わしいものを含め、様々な薬剤をインターネットで注文することにより、いかにして健康に関する国の法律を回避できるかというものでした。各国が技術の変化や次々に編み出される人間の悪巧みに追いついていくことができないでいるのは明らかです。

 このように、グローバリゼーションは、避け難い世界市場の必要性と世界の人々の社会経済的なニーズとを調和させるという難題を私たちに突き付けています。私たちは、世界の新たな分裂、冷戦後の世界の有害な「主義」――人民主義、国家主義、民族優越主義、狂信主義、暴力主義(テロリズム)など――への逆行と依存の脅威を最小限にしながら、可能性を最大限に実現するという難しい課題に取り組まなければならないのです。

 これが新しい千年紀に足を踏み入れた私たちの仕事の背景です。グローバリゼーションと個人の幸福への関心は、今日の決定的な力であり、生活のますます多くの側面に影響を与えるようになっています。同時に、それは、私たちの世界におけるもう1つの重要な特徴を示しています。教育から環境まで、あるいは軍縮から開発や差別撤廃まで、私たちが直面するほとんどすべての現象や問題に、強い、しばしば圧倒的といえるほどの国際的な側面があるということです。これらは国境を越えた問題であり、どんな国でも単独でそれらを制御したり、それらに立ち向かったりすることはできません。ですから、世界的なレベルで何らかの統率や協力が必要です。問題は、私たちがこうした挑戦に対応できる適切な制度や手段をもっているか、すなわち効果的なグローバル・ガバナンスに必要なメカニズムを備えているかということです。

 グローバル・ガバナンスの手段が十分であるかどうかを考えるとき、私たちはその数の多さに気づきます。20世紀の後半、気候変動、国際犯罪、子どもの権利、その他様々な問題の国際的な統制を強めるために、多数の新しい条約が締結されました。またUNEP、APEC、ASEAN、WTO、ありとあらゆる人間の活動に及ぶ非政府組織など、アルファベットで表される国際組織が数え切れないほど作られました。

 新しい世紀の挑戦に立ち向かうには、こうした会議や組織の稠密なネットワークが次の3つの重要な基準を満たさなければならないと私は考えています。

 第1に正当性(legitimacy)の基準です。国際的なレベルでの決定が私たちの日常生活に影響を与えることが多くなればなるほど、世界の国や人々は決定の際にそれぞれの関心や希望が考慮されるよう確認する必要があります。私たちの政府間制度は、必ずしも今日の現実を反映していません。例えば、国連安全保障理事会が新しい世紀にその権限を保とうとするならば、それを拡大することが避け難いとほとんどすべての人が感じています。また、国際組織は、しばしば、開放性に対する今日の要求や望みを十分に実現できていません。安全保障理事会にしても、世界貿易機関やブレトンウッズ機構にしてもそうでしょう。実際、先頃シアトルで加盟諸国とNGOの両方が不満を噴出させた批判の1つはこの点でした。この批判にはもっともな面があります。今後、意思決定がもっと透明になされなければなりません。報酬や特権としてではなく、基本的な権利として、また活動の賢明な方法として、人々に開放された透明な意思決定が必要なのです。

 国際組織でなされる決定の正当性は、政府が官僚の上層部だけではなく市民社会に到達するよう常に努力をするならば、いっそう強化されるでしょう。これからも国が基礎となった制度が支配的であり続けるのは疑いありませんが、政府や国際機関は、市民団体を取り込んでいくためにこれまで以上の努力をすることが不可欠です。一方、市民団体も、透明性と説明責任の面で高い基準を満たせるよう、態勢を整える必要があります。

 国際的なガバナンスの枠組みの適切性を判断する上で私が提案する第2の基準は、統合力(coherence)、すなわち、私たちが解決しなければならない複雑で相互に絡み合った問題に有効に対処できるかということです。私たちは、もろい平和を持続させたり崩壊に追いやったりする政治的、経済的、社会的な要素について、かなり理解を深めてきました。持続可能な人間の開発を達成する上で作用する複雑な相互関係についても、ある程度わかってきました。問題は、国際的な機関がその行動や決定の中にそうした要素を統合させていくことができるかどうかという点です。

私たちの国際機関のネットワークは、非常に分裂した状態にあります。あまりにも多くの場合、それぞれの問題がばらばらに扱われ、最悪の場合、それぞれの機関がお互いの領域を侵害しあい、大きな混乱や官僚的な競争をもたらし、政治的な膠着状態に陥ります。

 多くの人が国連とその専門機関のシステムを全面的に構築し直すことを夢見ていますが、これはあまりにも野心的な目標であるように思われます。しかし、各機関の間の統合力を高め、必要とされる大きな権限をそうした機関に与えることは不可欠でしょう。これが事務総長の改革プログラムの核心です。私たちは、既存の制度による制約の中で、いっそう統合性を高め、過去に厳しい批判を受けてきた重複を大幅に減らすことが可能であることを実証していると思います。

 第3の基準は、正当性と統合力の上に築かれる有効性(effectiveness)です。これは、適正な機関の存在、時宜を得た決定、目標を達成する手段の十分性に関わるものです。アジアを中心に多くの開発途上国の経済に重大な損害を与えた昨年の金融危機は、国際的な金融ガバナンスに著しい欠陥があることを明らかにしました。また、国連の平和維持活動について知っている人ならば誰でも、十分な装備を整えた部隊、資格をもつ警察官、財源のいずれの面でも、安全保障理事会によって定められた意欲的な目標を達成するには、国連に利用できる手段が少なすぎることをご存知だと思います。90年代のODAの大幅な減少は、途上国の貧困の問題に豊かな国々が本気で取り組もうとしているのかという問題を浮かび上がらせました。結局のところ、グローバル・ガバナンスの手段の有効性は、国とその指導者の政治的な意志――自分たちが結んだ約束を尊重する意思、自分たちが署名した協定を実行する意思、自分たちが設立した組織に資源面で支援する意志――にかかっています。そして、加盟国とその人々に対してできる限りのサービスを提供しようというこうした組織の国際スタッフの熱意にかかっているのです。

 最後に、この会議に出席する喜びを改めてお伝えして、私の話をしめくくりたいと思います。皆様の研究や意見は、国際社会がグローバル時代に対処するための規則や手段や制度を築くことに関わっているすべての人々にとって、たいへん貴重なものになるにちがいありません。ありがとうございました。