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ジュネーブ条約

1999年08月12日

ジュネーブ条約は国連にとって
指針、着想、勇気の源泉

アナン国連事務総長演説、ジュネーブ条約50周年記念式典

 皆様とともに、ジュネーブ条約50周年記念式典に参加できましたことを、喜ばしく、かつ光栄に思います。きょうの会合、そして、過去50年間にわたる国際人道法の成文化における進歩は、これらの条約が武力紛争に対して引き続き重大な影響を及ぼしていることを如実に物語っています。

 国連憲章は私達の経験の反映として、また、世界人権宣言は私達の理想の表現として捉えることができますが、その一方で、ジュネーブ条約は半世紀にわたり、戦争の最中においても、人道原則の最小限の尊重を確保しようとする人類の決意を表すものとなっています。

 しかし、戦争、ジェノサイドおよび甚大な惨禍をみた今世紀最後の10年間を終えようとする中で、私達はこれら条約が遵守されていることを祝うために集まったわけではありません。過去10年間の紛争において、一般市民に被害が及ばなかったなどと言うことはできません。私達は、今後50年間に、戦争における一般市民の苦痛を和らげようとする私達の決意とコミットメントを弱めることができると思うべきではありませんし、また、そのように思うことは不可能です。

 事実、1990年代の民族紛争は、ジェノサイドや民族浄化において、まさに一般市民を標的とするという、忌まわしい慣行によって特徴づけられてきました。

 問題は武力紛争において一般市民を保護するということではなく、武力紛争から一般市民を守るということにあります。民族全体の故郷からの追放、略式に行われる専断的な処刑、手足の切断、レイプ、強制追放、食糧と医薬品を得る権利の否定などのあからさまな国際人道法違反は、戦争の影響としてではなく、戦争の本質として発生しているのです。

 紛争が懸念される場合、私達はその防止に努めなければなりません。紛争が実際に起こった場合、私達はその終結に努めなければなりません。そして、紛争を終結させることができた場合、私達はその再発の防止に努めなければなりません。ジュネーブ条約は、これら国連の神聖なる責務に、国際人道法の遵守という義務を付け加えたのです。

 戦争犯罪に関する説明責任と個人の犯罪責任という概念を明確にすることにより、旧ユーゴスラビアおよびルワンダ国際刑事裁判所は、ジュネーブ条約に新たな息吹と新たな妥当性を注ぎ込みました。

 しかし、それだけではありません。これらの刑事裁判所は、ボスニアであるか、ルワンダ、カンボジア、コソボ、あるいはシエラレオネであるかに拘わらず、一般市民が標的とされる紛争には常に、人道法違反者と被害者がいるということを私達に想起させ続けています。国際刑事裁判所の創設は、地球的な正義を確保するというコミットメントのさらなる証左であり、私は、その設立規約が迅速かつ普遍的に批准されることを期待しています。

 国連が新たな世紀を迎えようとする中で、国際人道法の遵守を確保し、不処罰の文化を終焉させようというコミットメントは、平和と安全を推進する私達の努力において、中心的な位置を占めるものとなるでしょう。その中で、私達はジュネーブ条約の原則の中に、指針と着想と勇気を見出し続けることでしょう。