●事務局
国連が雇用する人々は、すべて事務局の職員です。そのトップに立つ事務総長は、国連の日常的作業を担当する国際公務員の補佐を受けます。事務局は、国連のその他の機関に対するサービス提供と、これら機関が策定したプログラムおよび政策の管理を担当しています。
事務局の職員は、様々な問題について背景となる情報を収集・作成することによって、各国政府代表団が、事実を調査し、勧告を行えるようにしています。また事務局は、国連による決定の実施も援助しています。
国連システム(つまり、ニューヨークの事務局とその地域事務所、および、専門機関と計画)は、全体として、世界中で5万人以上の人々を雇用しています。そのうち4,800人はニューヨークの国連本部で働いています。こうした職員の中には、エコノミスト、法律家、編集者、図書館司書、翻訳者、そして、「縁の下の力持ち」として働く様々な分野の専門家がいます。すべての地域が代表されるように、国連は、できるだけ多くの国々から有能な職員を採用しています。原則として、専門職員は試験によって採用されます。国連の人事事務所は、あらゆる有能な職員候補者の登録簿を作成しているため、資格のある者なら誰でも、事務局による採用審査の対象となることができます。
1946年にロンドンで開催された第1回国連総会では、国連本部を米国に置くことが決定されましたが、具体的な場所の選択を担当していた委員会が最初に考えていたのはニューヨークではありませんでした。委員会は、フィラデルフィア、ボストン、サンフランシスコなどを候補にあげていたのです。ニューヨークが選ばれた後でも、委員会は、市内よりも北の場所を考えていました。最終的に現在の場所が選ばれたのは、土壇場になって、ジョン・ロックフェラー2世が、市内1番街の土地の購入用に850万ドルを寄付したからです。その後さらに、ニューヨーク市が、財産の寄付を行いました。
国連本部用に選ばれた敷地は、食肉処理場、町工場、電車車庫などがあった荒れ果てた土地でした。片側の1番街ではトラックが激しい音を立てて行き交い、もう一方のイースト・リバー・ドライブ(後にフランクリン・ルーズベルトの名前をとってFDRドライブへと改称)では、乗用車が猛スピードで走っていました。国連本部ビルが空高くそびえ立つようになってからは、この場所の眺めも一変しています。
当初、設計者たちは、8,500万ドルをかけて45階建てのビルを建てようとしていました。しかし、当時のトリグブ・リー事務総長の指示で、建設費用は2,000万ドル削減され、ビルも39階建てに変更されました。アメリカ政府は、建設費用として、6,500万ドルを無利子で貸し付けました。この貸付金の返済は、1982年に完了しています。
1949年10月24日、トリグブ・リー事務総長は、国連本部ビルの定礎式を行いました。それから19ヶ月後の1951年8月21日、事務局職員は新たな職場への引越しを開始しました。
国連で用いられる公式の言語は、アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の6つです。作業言語は、英語とフランス語です。
各国代表は、どの公用語でも発言できますが、発言内容はその他の公用語に同時通訳されます。また、ほとんどの国連文書は、6つの公用語すべてで発行されています。場合によっては、公用語でない言語で発言を行うことができます。この場合、発言を行う代表は、いずれかの公用語での通訳、あるいは、発言の翻訳を提供しなければなりません。国連事務局の職員は、英語かフランス語を使って仕事をします。つまり事務局で働く者は、英語かフランス語のどちらか(あるいは両方)に堪能でなければなりません。