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国連人口基金(UNFPA)親善大使 有森 裕子 さん

第5回は、マラソンでバルセロナ、アトランタと五輪2大会連続メダル獲得後、国連人口基金(UNFPA)親善大使に就任された有森裕子さんです。一貫した厳しさと優しさに心揺さぶられるインタビューを、皆さんも共にお楽しみください。

un_interview_photoプロフィール

1992年バルセロナオリンピックで銀メダルを獲得、日本の女子マラソンランナーとして初めてのメダリストとなる。続くアトランタでも銅メダルに輝く快挙を成し遂げる。アトランタのレース後に語った「初めて自分で自分をほめたいと思います」という言葉は、今も多くの人に語り継がれている。2002年、国連人口基金(UNFPA)親善大使に就任し、現在国際陸上競技連盟(IAAF)女性委員会委員、スペシャルオリンピックス日本理事長、NPOハート・オブ・ゴールド代表理事などを務める。

 

― 有森さんはどのようなきっかけで、国連人口基金の親善大使に就任されたのですか。

既に2002年の就任以前に、自分のNPOでカンボジアで活動していました。対人地雷で被災した人たちの自立支援のために現地でマラソン大会をやっていたのですが、そこでもやはりエイズの問題に触れることが多く、エイズ孤児もいっぱいいました。UNFPAとは、そういうところからも接点があったのですが、実は最初の依頼をお受けした時には辞退させて頂きました。自分のNPOで手一杯でしたし、名前だけというのもいやでした。正直言って、出産経験のない私に務まるのか自信がありませんでしたし、いい加減な形で引き受けたくなかったのです。

un_interview_photo01それから半年くらい経った頃に、またお誘いを頂きました。UNFPAはカンボジアでも活動していますし、エイズ問題にも関わっています。そこから始めていけばいいので、という風に再度提案してくださいました。その時に思ったのは、確かにカンボジアという国をある角度からは知っているけど、知らない面もいっぱいあるということです。親善大使の活動に関わることで、カンボジアをより理解することが出来るし、また自分たちがやっているNPOの活動にも役立つのなら、いい意味で自分の視野を広げる活動になると思いました。そう思い直し、お引き受けすることにしました。

― 親善大使としてのご活動の中で、最も印象深かった場所はどこでしたか。

un_interview_photo02やはりインドは衝撃的でしたね。諸問題をまざまざと見せつけられた感じでした。インドには、カンボジアとタイでエイズの問題に関するプロジェクトを視察した後、2004年に訪問しました。人口問題といいますと、インドや中国がまず頭に浮かびます。ただインドへ実際に行ってみると、人口問題以上に深刻だったのは、ジェンダーに関する問題です。私が特に関心を持ったのは、バーニング・ブライドという問題でした。これは、ダウリーと呼ばれる新婦側が嫁ぎ先に払う持参金の不足や不履行などを理由に、夫やその家族によって女性が焼き殺されるという南アジアの悪習です。ほとんどが事故として扱われることもあり、表立ってニュースとして出てきません。実際にそういう目にあった人も口に出しては言えないですし、私も被害者には会えませんでした。私たちが会ったのは、被害女性をケアしているカウンセラーでした。実はインドを訪問する前に、アメリカにいるインド人にこのことについて聞き衝撃を受けてもいました。しかし彼女は、この問題についてはっきりと語ろうとはしなかったですし、それを変えていくのは難しいと思う、とも言っていました。

「自分が正しいと思うことは、世界中の人にとっても正しいというわけではない」

― 国際協力の活動の中で、社会的な慣習や文化の違いが関わってくるというのは、本当に難しい問題ですよね。どこまで尊重して、どこまで干渉することができ、どこまでの改善を目指せば良いのか。

まあ、難しいのは当然のことでしょうね。やはり歩んできた歴史も宗教も違うので。さらに受けてきた教育も、見てきた現実も違いますし。正しいということを一つにまとめ合わせようなどということは、当たり前ですけれど難しいことなんです。カンボジアで活動している時に、既にそう感じていましたが、インドでより明確になったのは、自分が正しいと思うことは世界中の人にとっても正しいというわけでない、ということです。善いか悪いかの判断基準は一つではないという前提で、人と接しなければいけない。特に違う国であったり、違う文化の人間であればなおさらです。

― とはいえ、一般的に国際協力と言われるものは、問題を改善していくために、知らないことを伝え、善い価値観を実現していく活動である、と思うのですが。

でも、ある地域のある慣習をその地域の人々が問題だと思っているかどうかは、外部の人にはわからないじゃないですか。外から見ると問題だと感じられても、そこに生きている人たちはそう思っていないということもあります。だからまず私たちが知らなくてはいけないことは、その土地でその人たちがどう考えているか、ということなんです。それを知ること、見ること、感じることがまず大事なんです。重要なのは、相手がどうかということを知ることなんです。人のことに関わっていくわけですから、そこには入り方というものがあると思うんですね。それはどの組織であっても、どういう立場の人であっても、人が人の人生の内部に関わろうとするときに、やっぱりそこへの踏み込み方というのは重要だと思うんです。自分たちにとって正しいという理由で、相手の感情を無視して遠慮なく入ってもいい、ということではないと思うんですよ。

― それは配慮の問題ということでしょうか。例えばこのバーニング・ブライドの問題であれば、明らかに改善されるべき、あってはならないことですよね。ただその場合でも、強引に踏み込むのではなく、尊重することや背景を学ぶこと、その上で活動するというようなことですか。

大切なのは、例えばある慣習が間違っているのではないか、ということに気付いてもらうことです。そう納得しない限り、誰もやめませんから。ある行為が間違っていると納得もしていないのに、外から来た人間にそれはいけないことだと言われて、すぐにやめることなんてないでしょうし、逆に反発するでしょう。それどころか、隠れてでもやるようになるかもしれません。私たちの役割とは、ちょっと違うなとか、おかしいなと思う、そういう意識をその地域の人々の間に作っていくことなんです。それに人々が気付いて、最終的に自分たちの意思でやめていくという方向に、第三者が関与しなくても変わって行くこと。それを促すことだと思うんですね。それにはものすごく時間がかかるし、大変なことですよ。けれども何かを強制しても、何も変わらないんです。

「完璧じゃない世界中の一人一人が、それでもお互いにどうしようかと考えて、それぞれがその困難を理解して、こうして生きたいね、ということをいくつ増やしていけるか」

un_interview_photo03― その場合、国際機関や親善大使の活動の任務として達成されるべき目標とは、どのようなものでしょうか。

そういう意識の違いを踏まえた上で、自分の出来る範囲を知るということが大切です。これは国連機関や親善大使としての活動だけではなく、私はすべての人との関わり合いで大切なのではないかと思います。基本的に人間関係においても、このような善悪の判断には困難がつきまといます。一番身近な家族であっても、そこにはマナーもルールも必要です。「全部お前のことはわかってるよ」という様にできるとは限りません。一人一人それぞれ独立した人間が一緒に生きていくということは、同意を求めるのではなくて、お互いに理解しようと心掛け、その理解をどれだけ大事にするか、相手の価値観をどれだけ尊敬していくのか、ということが大切になります。それが国であろうと、組織であろうと、同じことです。私はパーフェクトな人間でもないですし、神様でもない。けれどもそういう風に、完璧じゃない世界中の一人一人が、それでもお互いにどうしようかと考えて、それぞれがその困難を理解して、こうして生きたいね、ということをいくつ増やしていけるか。そういうことが最も大切だと、私は考えています。

― 親善大使としての活動や、カンボジアでのマラソンの活動をされる前から、やはり「人のために」ということを常に意識し、心掛けていたのでしょうか。

いえいえ、私は基本的にはずっと自分のために生きていますから。何故このような活動をするのかと聞かれても、「さあ始めるぞ」と転身したわけではないんです。とにかく自分の人生を自分のために必死にやってきたんです、自分なりに。もちろんいろんな人に助けられながら、いろんなことに気付きながら、いろんなことを経験しながら、自分のできることを通して必死に自分の人生を考えてきました。その中でできることを通して私が今まで気付いてきたことは、何か自分にできるものを持てたら、それを最大限活かせる生き方をしたい、ということです。これも自分のためにです。それが結果的に人のためになればいいんですよ。

― スポーツは、人のそのような成長に良い役割を果たし、また良い場所になると言えますか。

スポーツはやはり、自分で決めて自分でやり終えたことに対して結果が残るので、喜びと自信を与えてくれます。こうして身に付いた本物の自信が、まさに自分のものになっていく。これは非常にわかりやすいことですし、年代も関係ない。例えば走ることに関して言えば、たとえ人が応援をしてくれても、走る脚というのは自分の脚なんです。自分の脚でスタートして、ゴールラインを踏むのも自分の脚。走り終えたときに感じるのは、自分は頑張ったということなんです。自分が頑張ったことを一番わかっているのは、自分自身なんです。ある人がそれを実際に経験することができたら、その人は自信を持ちますよ。人間自身が力を持ち、そしてその力が生きることにつながるんです。非常にわかりやすい結果を生み出すんです。ゴールしたという事実、その形を実際に結果として目にするわけですから。

スポーツはウソの無い表現です。そこにはツクリがない。オリンピックが最たるものです。人間の真なる一瞬が創られる、最高の芸術、最高の感動だと思います。私たちは何に感動するのかと言いますと、本人が感動しているということに対してなんですね。その感動があるから、それが周りに伝わって、強い感動になるんです。周りに感動を与えたい、と思ってやっているんじゃないんです。自分が感動したいからやっているんですよ。

人と人との間に感動が生まれるためには、まず自分が何かを生みたいと思わない限り、自分にその感情が無い限り、自分にその人生が無い限り、その重みが相手に伝わることはないんです。

「自分に与えられた命に対して、人生に対して、ちゃんと真正面から真剣に時間と思いを費やして生きること」

un_interview_photo04― 有森さんはスポーツと社会貢献の関係をどのように考えますか。例えば、スポーツは勝利という自分のために、社会貢献は他の人や社会のために行なわれるものだと思います。ですので、勝つことの意味がわからなくなったとしても、それまでの頑張りが「社会のため」に活かされていくのでは、と僕は考えます。

注意してほしいことは、やはり人間は頑張らなければいけないということ、勝たなければいけないときは勝たなければいけないということです。そこを最大限苦しんで、やり遂げて初めて、そうでなくてもいいかなと思う気持ちが出てくるはずなんですね。だから、十分に勝利の経験をした後に、それ以外のことを求めるのであればいいと思います。しかし、その経験をしないで「勝つことに何の意味があるんだろう」と問う場合、それは率直に言って、「逃げ」なのではないかと私は思います。必死にくらいついて、死ぬほどの思いをして、その上で本当にどうなんだろうと最後の最後まで追及した言葉ではないと私は思っています。私が何故ここまで「自分のことを考えろ」と強調するのかと言えば、死ぬほどの思いで追求しないで、そこから避けてきた世界で見つかるものというのは、基本的には本物ではないと思っているからです。

やはり自分の「気付き」を自分の人生に与えてやらないと。他人の人生に入っていって気付くことってそんなにないですよね。徹底的に自分の姿を見つめないと。もし本当に相手を尊敬するなら、人が他人に対してするということではなく、お互いに自分の人生を必死に考えるということが最低限必要なことだと思っています。自分に与えられた命に対して、人生に対して、ちゃんと真正面から、真剣に時間と思いを費やして生きること。これが命を大事にすることであり、私が最大限、そして最低限、人それぞれが、自分に対して、そして自分を通して人に対してしなくてはいけないことだと思っています。

― 深く心に響き、意識を変えていくような力強いお話、本当にありがとうございました。最後に、同じく社会貢献・国際協力を志す若者、日本の方々へメッセージをいただけますか。

un_interview_photo05今言ったことそのものですね。とにかく自分の人生を、自分の志を通して、最大限に見つめてください。まず、自分の人生をしっかり生きてください。

そして、社会貢献や国際協力というのは、人の人生に入っていくことですからそう簡単なことではない、ということを忘れないでいて下さい。人の人生に関わることはとっても重いことなので、その重みを十分に、自分の人生を通じて理解してください。

(インタビュアー:山中 翔大郎/写真:佐山 好一)

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