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日本ユニセフ協会大使 日野原 重明 先生

今回ご紹介するのは、2007年に日本ユニセフ協会大使に任命され、医師としても著名な日野原重明先生です。今年98歳になられる先生の医師としての経験や、次世代を担う子供たちへの愛情が感じられる、心温まるインタビューです。年齢を感じさせない先生のパワフルなお言葉に、老若男女を問わず、元気づけられること間違いなしです。

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© 日本ユニセフ協会

1911年(明治44年)山口県生まれ。1937年京都帝大医学部卒業。1941年聖路加国際病院の内科医となり、内科医長、院長等を歴任。現在、聖路加国際病院名誉院長・同理事長、聖路加看護大学名誉学長をはじめ、国内外の医学会の会長・顧問等数々の要職を勤める。トマス・ジェファーソン大学名誉博士(人文科学)、マックマスター大学名誉博士。その他の栄誉に、1993年勲二等瑞宝章、2005年文化勲章受章。2007年4月9日、日本ユニセフ協会大使に就任。
長年にわたり全国で講演活動を行い、また数々の著作を執筆。中でも、2001年12月に出版した『生きかた上手』は、120万部以上の売り上げを記録するミリオンセラーとなった。医師としての立場・医療という領域を超え、いのちの大切さ、平和の尊さを、特に次代を担う子どもたちに向けて各地の小学校で「いのちの授業」を展開中。多くの人々からの支持を得ている。

 

― 日野原先生は日本ユニセフ協会大使として、これまでどのような活動をされてきましたか。

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© 日本ユニセフ協会

私は、2007年の8月にメキシコでユニセフ活動の一部を視察しました。そこではメキシコシティにあるユニセフ事務所を訪れて、メキシコの貧しい子供たちや、病気にかかってもお金がなくて治療を受けられない子供たちに対して、ユニセフがどのような支援をしているかということを見てきました。今は2~3週に一回、私が小学校に行って10歳くらいの若い子供たちに向けて「いのちの授業」をしています。今年で4年目なのですが、子供との会話も多いですよ。日本だけでなく、外国に行ったときも現地の小学校を訪れて子供たちに授業をしてきたので、子供も大人も老人も、私はみんなが抱えている心や身体の問題を解決するお手伝いをしてきたんですね。また、講演会などで話をするときには、出席している皆さんにユニセフ募金に参加するよう、呼びかけも行っています。

「年齢ということではなしにね、気持ちの問題。」

― 日野原先生は子供が大好きで、子供たちと話すのが楽しくてたまらないと伺っております。先生が今の子供たちに伝えたいメッセージは何ですか。

私が10歳の子供を中心に授業をしてきて感じることは、10歳の子供はもう子供ではないということ。彼らは常に成長しています。10歳というのは、20歳の半分ということで「二分の一成人式」と呼ぶ人もいるくらいなんですよ。だから、一般の人々や、両親や学校の先生が「子供だ、子供だ。」と言っている10歳くらいの子供でも、実はちゃんと分かりやすい言葉で話をすれば、本当に深いところまで理解できる‘感性’を彼らはすでに持っているんですね。このような思いで私はいつも子供の前に行きます。

un_interview_photo02自身はあと2年で100歳になる老人ですが、授業のときは常に姿勢を正して、足を高く挙げたりハイジャンプをするパフォーマンスも行っています。他にも、授業の前に必ず子供たちに校歌を歌ってもらうのですが、僕は音楽が趣味なので楽譜を見せてもらえばだいたい棒が振れるため、僕の指揮で合唱をするんですよ。それで僕も一緒になってコーラスを歌うもんだから、子供たちとすごく一体感が生まれてすぐ授業に入れるのです。すると子供たちは、もう年をとったおじいさん、いや、みんなにとっては曾おじいさんかな(笑)とは思わずに、一緒に遊べる普通の大人だなと感じてくれるみたいなんです。

授業前は、みんなに「何歳まで生きたい?」と聞くとたいてい「自分のおじいちゃんが70歳だから、同じくらい生きられればいいや。」と答えるんですが、僕の元気なパフォーマンスを見るとね、そんな子供でも「やっぱり120歳か130歳までがいい。」って言うんです。だから、僕が子供たちにいわゆる‘老人’という印象を与えないことで、逆に彼らは長生きしても元気でいられるんだと分かって、僕が彼らのいいモデルになるのだと思います。だから45分の授業でも私語なんか全然なくて、僕の質問にもちゃんと答えてくれます。

年齢ということではなしにね、気持ちの問題。僕が気持ちを若くしてかっこよく振舞うとね、そのかっこよさが子供たちに夢を与える。そして僕は子供たちに喜んでもらえることで、逆に彼らから若さをもらう。それが僕から子供たちに伝えたいメッセージですね。

「分かったような顔をしないで、『私はそれは知りません。』って率直に言うことが、逆に親しい友達になれるということが段々分かってきたんです。」

― 先生は以前、医学連新聞の中で「日本にだけいたらだめなのよ。海外に行けば、国際的に自分の地位が分かるから。」と仰っています。日本が海外から学ぶべき姿勢や習慣は何ですか。

私が初めて外国に留学したのは39歳の時です。アメリカに一年間留学したのですが、実はそれまでは一度も海外に出たことがありませんでした。今と違って、そういう時代でもなかったんですね。そこで感じたことは、やはり文化の違い、そして言葉の壁ですね。

例えば、外国では結婚したときに夫婦がそれぞれ違う国の出身ということはよく聞きますね。だから言葉も英語だけじゃなくて、スペイン語やフランス語なんかも話せる人が結構いたりするんです。タクシー・ドライバーでも、三つや四つの言葉を使ってお客さんと話ができる。でも、当時の日本人というのは本当に日本語しか通じないし、やはり日本人を見つけるとすぐに日本人同士でかたまってしまうんですね。

ことに当時の日本の英語教育ってのはね、今もそうかもしれないけど、文法から始めたんです。発音なんかはもう全然問題にしなかったから、ヒアリングはからっきしダメ。ヒアリングができないから会話が成り立たないわけです。でも日本人は話ができないのに、相手が説明すると‘Oh, I see.’とか、‘Is that so?’とか言って、分からなくてもそう答えてしまうでしょう。あとユーモアを交えたジョークを言ってもね、本当は分かってないのに笑う。特に日本人は、周りに合わせて笑う傾向が強いと思いますね。僕がアメリカに留学中のある日、学生が100人くらいいる大学の講義で先生が授業の最初に何か言ったら、途端にみんながワァーって笑ったんです。それで僕もね、本当は分からなかったんだけど、一緒になって笑ったの。そしたら隣の人に「あなた今のジョーク分かったの?」って聞かれしまって、どうしようもないから正直に「いや、分からない。」って答えたら、「じゃあ、どうして笑ったの?」って逆に言われてね。そのときに、あぁこれが日本人的な行動なのかなと思って、それからは隣の人に「あれは何のことを言ってるの?」とすぐに聞いたり、とにかく何でも質問するようになったんです。分かったような顔をしないで、「私はそれは知りません。」って率直に言うことが、逆に親しい友達になれるということが段々分かってきたんです。

un_interview_photo03それと日本は本当になんでも逆でね、例えば僕がアメリカに留学した時に日本から贈り物を持って行ったんですが、相手に渡すときに「あまり大したものではないですが。」と言って手渡したんです。そしたら、向こうとしては日本からの珍しい品だから、「どうしてそんなこと言うの?」と逆に聞かれてしまったんですね。でも日本で贈り物をするときは、‘粗末な品’ということで「粗品」と書くでしょう。相手にとってはもらって嬉しいものなんだから、本来ならば「あなたに喜んでもらえると思ってこのギフトを持ってきました。」と言うべきなんですよね。ところが日本では、「つまらないものですが。」と言うことが習慣化してしまっている。だからね、そういう慣例的な言葉遣いが、向こうの人にとっては時に非常に偏狭で、病的に謙遜しすぎているように聞こえることもあると思います。僕らの時代は、自分を卑下することが礼儀である、という風に教わってきたから。でも向こうはね、フランクでいることが本当に仲良くなる秘訣なんですよ。

「人のことを配慮することができないほど、心まで‘一人っ子’になってしまったように、僕には見えるんです。」

― 現代社会はますますIT化が進み、昨今では「情報化社会」とも言われています。一方で、心の豊かさが失われつつあると指摘する人もいますが、先生がお若かった頃の時代と現代とでは、人々の間で何が変化したと感じますか。

私が若かった頃、つまり第二次大戦が始まる前後は、巷でお米をはじめ食べるものがなくなり、肉などももちろんなくなって、食糧不足のためにみんな低カロリーでも必死で生活しました。戦時中のように食べ物がない時には、人々は、やむを得ないからご馳走は我慢してせめてお粥でも食べて苦境をしのごう、という気持ちになるんですね。そして食べものがない人には、「私の分も少しあげるから、皆で一緒に耐えていきましょう。」と言って、自分の食料を困っている人たちに分けたりしていました。そのため、人々の心の中に‘共に耐える’というような気持ちがあったんですね。

ところが戦後になると何でも買えるし、求めたら手に入る。ことに今は一人っ子の時代でしょう。今の日本は一家族に子供が2人以下という、世界でも稀に見る少子化。でも当時、僕の家には6人の兄弟がいたんです。だから何かもらった時には、それを6人で分けるしかなかった。分けるのが当たり前だと思っていたんです。ところが今はたった一人しかいないから、これは僕のもんだと当然のように思うでしょう。そして余ったら捨ててしまう。やはり人に感謝する気持ちというのは、貧しいときのほうがより深く感じるものだと思います。

un_interview_photo04例えば、戦争中なんか特に砂糖がなくなって、それこそ角砂糖をもらうだけでもとっても嬉しいと感じる。今でも覚えているのは、第二次大戦中、アメリカ大使館に往診したときのことです。ある時、僕が病気にかかった大使を見舞いに行かなければならなかったんですが、大使の家に到着すると奥さんが僕にコーヒーを入れてくれて、お皿に角砂糖が3つ置いてあったんですね。ところが砂糖なんか当時の日本ではめったに手に入らないでしょう。角砂糖の配給なんかもない。そこで奥さんがキッチンに行っている間にね、3つの角砂糖のうち2つをポケットに入れて、僕はひとつだけコーヒーに入れて飲んだんです。その後、その2つの角砂糖を家に持ち帰ったんですが、そのときは本当に大変だった。当時のJR(「省線」と当時は呼んでいました。)は今と同じで車両の中に人がぎゅうぎゅう詰めで、うっかりしてると角砂糖なんか簡単に壊れてしまう。だからずっと手のひらに持っていたんです。そして壊さないように壊さないように家へ持ち帰って、うちで家族4人で分けて食べたんです。みんなで本当に喜んで食べました。

このように当時は、貧しいという現実を一緒に分かち合わなければならない環境にあったわけですが、一人っ子社会になるとどうしても「これは俺のものだ。」とか「余ったから捨ててしまえ。」という風潮が高まってしまう。そして次第にその欲求が高くなって、感謝の気持ちが薄れてしまうんだと思います。それだから私は、豊かになりすぎると逆に幸せなことが当たり前に思ってしまって、例えば難民のことなんかも考えなくなったりするんだと思う。もし本当に難民を助けたいのであれば、もっと一般の人たちに難民の情報を知らせて、自分が節約してでも彼らに何かを送ってあげようとする気持ちが起こるものでしょう。でもそういった‘分け与える’という感覚が、今の世代にはなくなってきたんじゃないかな。人のことを配慮することができないほど、心まで‘一人っ子’になってしまったように、僕には見えるんです。

それが非常に良くないと思う。日本もユニセフから戦後たくさんの援助を受けたでしょう。もらったのであればその何倍かにして、出来れば10倍、20倍にして、その分を例えば今の難民に返すという気持ちが起きなくちゃいけない。でも今は自分が豊かになったらもうこれでいいという、そこが良くないと思いますね。

― 昨今ではうつ病や引きこもりなど、心の問題を持つ人々が増えています。現代人の抱えるこのような問題に、私たちはどのように対処すればいいのでしょうか。

僕はね、もう医者になってから72年間、病気を抱えている人との対話を続けて、病む人の心を察しながらコミュニケーションを取るという専門職をずっとやってきました。よく考えてみると、病気でなくても人間は、大人も子供も関係なく心の中に何かしらの問題を抱えているんです。でも、何か解決して欲しい問題があったとしても、やはり人の前でそれを言うことをはばかって―ことに日本人はそうですが―自分の中でコントロールしようと思うけれど出来ない。それがストレスとなって健康状態が悪くなることがよくあるんですね。

「心身医学」とも言うのですが、精神と身体とは一つのものであって、身体だけにアプローチをしても解決できない問題はたくさんある。だから患者の心の中にある問題に入り込んで会話をし、問題があればそれに対する上手なカウンセリングをしながら、医学的に対処できそうな部分は具体的に何をすべきかを患者と話し合うわけです。その解決方法は、今の時代であろうと、たとえ人種や国籍が変わろうと、僕は人間として共通なものがあると信じています。その共通なものを常に考えながら、僕は病む人の心を理解するように今まで努めてきました。僕は牧師や神父ではないんですけれども、心の問題というのは、そういう病む人の心に入り込んで、患者と一緒に問題を解決するということが一番重要だと思うんです。

「目には見えないけれど世界には恵まれない人々がたくさんいる。このことをしっかりと理解して、戦後日本が助けられたように、今私たちがその恩返しをしなくてはいけない。」

― 日本ユニセフ協会大使として、そして現役の医師として、先生の今後の目標や抱負をお聞かせ下さい。

今、世界で毎年5歳未満の子供が約880万人も亡くなっています。このような現状を日本の子どもや大人にもっと知らせて、私たちには何ができるのかということを地球規模で考えなければなりません。自分の分は節約してでも、このような気の毒な子どもたちのために何かしてあげたいと思う気持ちが、今の我々には必要だと思います。学校に行きたくても行けない子どもたち、教科書を買いたくても買えない子どもたちのために、例えば募金に参加することだってできるじゃないですか。そういう気持ちを持つことが現代の人々には求められているのではないでしょうか。目には見えないけれど世界には恵まれない人々がたくさんいる。このことをしっかりと理解して、戦後日本が助けられたように、今私たちがその恩返しをしなくてはいけない。

un_interview_photo05困っている人を助ける方法はいくらでもあります。小学校で募金活動をしたり、バザーをやってそれを必要な人々に送ってあげたり、そういう風な運動をもっと広めていって欲しい。そして友達に会ったら、「僕はこういう取り組みをしているけど、君もやってみない?」という風に誘って、活動の輪を広げていく。僕も講演会のときには、ユニセフ募金の呼びかけをこれからもしていくつもりです。世界で困っている人の数が少しでも減るように、みなさんもこれらの問題についてもっともっと考えてみてください。

(インタビュアー:高松 公彦/写真:山口 裕朗)

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