• プリント

ネパール出典「国連の基礎知識」

10年に及ぶ武力紛争は2006年11月に終わりを迎えた。政党の与党連合と1996年以来この南アジアの国で武力闘争を続けてきたマオイスト反政府勢力が包括的和平合意に署名したからであった。合意は、マオイストと緩やかな調整の下に行われた大衆運動がネパールの独裁的な王政を終わらせた6カ月後に実現した。こうした劇的な変化とその後において、国連は重要な役割を果たした。ネパールの要請を受けて、国連は、人権状況を改善し、かつ平和を確立できるようにネパールを支援した。ネパールにおける国連の活動が表に出てきたのは、国連人権高等弁務官がネパールにかなり大きな事務所を設置した2005年のことであった。同事務所は、停戦の行為規範が載せる人権のコミットメントや和平合意が規定する人権規定を監視することで重要な役割を果たした。その報告や声明を通して、同事務所は、自制を行使し、意図的に市民をターゲットとしないようネパール治安部隊やマオイストに積極的に要請した。

国連は数年にわたってネパールでの敵対行為を終わらせ、交渉による政治的解決を図る目的で政治的な努力を続けてきた。2006年、政府から国連援助の要請を受けて、事務総長は事前評価ミッションをネパールへ派遣した。8月、政府とマオイストは同一の書簡を事務総長に送り、停戦の行為規範実施と制憲議会選挙を監視し、マオイスト戦闘員とその武器を指定された野営地へ限定することを監視、検証する文民要員を展開させるよう要請した。また、ネパール軍が兵舎に残り、武器を使用しないように監視することも求めた。同じ年、事務総長ネパール個人代表は、制憲議会選挙の組織、武器と兵士の管理、和平プロセスにおける国連の役割に関するコンセンサスの達成など、主要な要素について共通の土台を見出せるように尽力した。

政府は国連援助に対する双方の側の要請を再度行い、安全保障理事会は決議1740(2004)を採択し、国連ネパール・ミッション(United Nations Mission in Nepal: UNMIN)を設立した。UNMINはいろいろな分野で積極的に活動した。その武器監視要員はマオイストの武器と戦闘員の登録を監視した。UNMINの選挙専門家は、ネパール選挙委員会を支援し、制憲選挙の計画、準備、実施について技術的支援を提供した。UNMINから独立した小さな国連選挙監視チームは、選挙プロセスのあらゆる技術的側面についての見直しを行い、選挙の実施についての報告を行った。他方、UNMINの民生担当官は、ミッションがカトマンズ以外の地域社会を参加させ、かつ平和的な選挙が行われるようにするための環境作りに努めた。

理事会は、2008年の平和的な選挙についてネパール国民を賞賛し、国民の意思と法の支配を尊重するようすべての当事者に要請した。制憲議会が初めて開かれ、ネパールを共和国と宣言し、双方の側を取り組んだ政権が発足した。これを受けて、事務総長は「国連平和構築基金」からネパールに対する1,000万ドルの支援を承認した。しかし、事務総長は2009年、ネパール訪問に続き、情勢は不安定であるとの評価を行った。その通りであった。政治的なこう着状態が続いた。しかし、政府、マオイスト、それに国連が2009年に署名した行動計画の中核をなしていた子どもと判断されたおよそ3,000人の元マオイストの除隊が行われた。これに続き、ネパールの野党グループは、2010年9月にいわゆる「4項目合意」に達した。それは2011年1月14日までに和平プロセスの残りの作業を終わらせるというものであった。彼らは、その日までに元マオイスト戦闘員の再統合と社会復帰を終わらせることに合意した。それを受けて、理事会は、決議1939(2010)を採択して、UNMINの期限を2011年1月15日まで延長した。その日を持って任務は終了した。