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ブーゲンビル/パプア・ニューギニア出典「国連の基礎知識」

1998年初め、ブーゲンビル島の独立問題に関して10年に及ぶ武力紛争が続いていることを受け、パプアニューギニア政府とブーゲンビルの指導者との間にリンカーン和平合意が成立した。これは和平プロセスの枠組みを決めたもので、その合意のもとに、オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、バヌアツの監視員で構成される地域休戦監視チームが、「和平監視グループ」となった。リンカーン和平合意に従って、パプアニューギニア政府は、合意に対する安全保障理事会の支持と小規模の国連監視団の派遣を求め、それが実現した。その年、国連ブーゲンビル政治事務所(United Nations Political Office in Bougainville: UNPOB)が活動を開始した。これは南太平洋における最初の国連政治ミッションであった。

UNPOBが便宜を図り、議長を務めた会談が2年以上も続いた後の2001年、当事者は武器の廃棄計画、自治、住民投票を決めたブーゲンビル和平協定に署名した。UNPOBは先導して武器廃棄計画の監視を行った。廃棄計画の第二段階が終了し、UNPOBがそれを確認した。これによって、ブーゲンビル憲法の起草とブーゲンビル自治政府の選挙準備のための道が開かれた。2004年、ブーゲンビルの安定が増したことから、国連はUNPOBに代えてより小規模なミッション、国連ブーゲンビル監視団(United Nations Observer Mission in Bougainville: UNOMB)を設立した。パプアニューギニアのブーゲンビル州で最初の自治政府のための選挙が翌年行われた。2005年6月、大統領、下院も含め、新たな自治州政府が成立した。UNOMBの任務も完了した。

ブーゲンビルでの内戦はあまり知られていないが、残忍なものであった。1980年代から1990年代にかけておよそ1万5,000人がその犠牲となった。国連の活動は成功したが、それまで交渉、調停、紛争の解決に関わってきた。また、国連は、およそ2,000丁の武器を回収して廃棄し、当事者が選挙前の期限に合意するよう奨励し、選挙の実施を可能にした。