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国連とその不満—学識的見解から

デイビッド・M・マローン

多くの人にとって、70歳の誕生日は、過去の成果を振り返るとともに、願わくは将来の心配から少しばかり解放される時です。が、国連はそのような贅沢ができません。

国連創設70周年は、素晴らしい金字塔であるものの、加盟国の不満や、期待を裏切られたという各方面からの批判によって、その輝きに陰りがあります。

この短い論考で、真実と臆見をはっきりと分けることはできません。本稿はむしろ、国連の主要な活動分野(開発、平和と安全、人権)における実績の主要素を紹介し、国連がさらに70年存続するために取り組まねばならない、その世界的権威に対する挑戦を明らかにすることを目的としています。

その中には、将来のリーダーシップと国連の仕組み、そしてその管理文化の問題が含まれます。

開発

脱植民地化の時代に、国連は、宗主国によって貧困に追い込まれ、失政に苦しんだ新興独立国を支援しなければなりませんでした。植民地化というトラウマの遺産は、独立後の第1世代の政権の一部では誇大な権力欲や泥棒政治として現れ、最も多くの場合は、健全な行政の軽視をはびこらせました。このことは多くの恐ろしい結果を招きました。

開発分野において国連の存在を際立たせているのは、プログラムの策定というささやかな取り組みではありません。とは言え、例外が2つあります。第1に、国連児童基金(UNICEF)や世界食糧計画をはじめ、専門技術と活動面の厚みを備えた専門性の高い組織は、それぞれの分野でリーダーシップを発揮しています。そして第2に、脆弱な紛争被災国では、国連とその機関を通じて提供される開発援助が、決定的に重要な役割を演じています。

しかし、国連による開発への最大の貢献は、やはり、アイデアのレベルにあると言えるかもしれません。天然痘をターゲットした撲滅キャンペーンや、人間開発という概念の台頭がその好例です。周到に練られたワシントン・コンセンサス批判は、財政・金融面の取り組みと同様に社会政策やプログラムにも重みを与える必要性があることを明確にしましたが、この見解は今では、国際金融機関の間でも広く共有されるようになりました。その結果、UNICEFを発端とする「人間の顔をした調整(adjustment with a human face)」という定式が生まれたのです。

こうして苦心の末に国連が獲得したアイデアの領域におけるリーダーシップも、ある意味で危うくなっています。2012年のリオ+20会議で発足した持続可能な開発目標(SDGs)に向けた作業は、嘆かわしいほどに膨張した成果を生み、2015年9月のサミットで加盟国が正式に採択した目標とターゲットのリスト(達成可能な行動計画というより、カタログに近いもの)にこれが盛り込まれました。世界中の議会や政府は、自分たちが169もの開発ターゲットの達成を約束したことを知って愕然としていることでしょう。

この結果は、国連での開発に関する政府間討議の、情けないほどに対立的な空気を反映しています。アフリカやアジアでは数十億人が貧困を脱し、ラテンアメリカの社会政策面でのイノベーションが全世界に波及する中で、ニューヨークの代表団は大胆なアイデアを示す代わりに、政治的不満の表明に終始しました。この討議を聞いただけでは、近年、南半球で見事な開発成果が達成されてきたことを想像することはできないでしょう。また、2008年以降、多くの先進工業国を苦しめている金融・経済危機の深刻さも見えてこないでしょう。

中身のない決議や無駄な演説、管理不可能なプロセスを控え、より建設的なアプローチをとることが求められています。各政府がSDGsの中から、いくつか追求すべき優先課題を見つけ、その結果として市民社会に活力を与えることができれば、まだ手遅れではないかもしれません。

平和と安全

「戦争の惨害」から世界を救うために創設された国連の存在そのものが、核戦争という大惨事の回避に貢献したと言えます。第2次世界大戦以来、超大国間の最も深刻な一触即発の事態となった1962年のキューバ・ミサイル危機の際、国連安全保障理事会は緩衝材の役割を果たし、ソ連と米国の双方に自制を促しました。今ではほとんど忘れられていることですが、当時のウ・タント事務総長による外交工作が、米国のジョン・F・ケネディ大統領とソ連のニキータ・フルシチョフ首相の双方に対し、相手国に突きつけた最大限の要求から一歩引き下がるための「梯子」を準備し、危機の収拾に貢献しました。国連はまた、超大国の利害が対立する地域紛争の際、直接対決を避けるための有益な話し合いの場にもなりました。

冷戦の終結後は、国連に無限に近い可能性があるように見えました。現在の不満の種はここにあるのかもしれません。積極主義へと転じた安全保障理事会の強い要請により、国連は準備が不十分な状況で任務を与えられました。国連は時折、英雄的な「即興」でこれに対応しましたが、本当に成功したケースは多くありませんでした。冷戦終結に続く高揚感の中で、全般的な善意の空気に包まれて、紛争終結に向けた意欲に燃えた安全保障理事会の過剰な活動は、ニュースとしても多く取り上げられました。

しかし、国連安全保障理事会は、届かないところにまで手を広げようとすることがあまりにも多くありました。国連に十分な資源がなく、あるいはボスニアには現実的な戦略がなかったことが要因となった1995年のスレブレニツァの虐殺は、今でも国連の汚点となっています。直感的な予想に反して、2003年に安全保障理事会が米英によるイラク侵攻計画を承認しなかったことは、グローバルな世論を正確に反映していたものの、両国による攻撃を阻止することはできませんでした。これによって、イラクと周辺地域には悲惨な影響が生じました。国連は戦火の中で非難の対象となり、安全保障理事会が取った態度は賞賛されるどころか、混乱の中で忘れ去られてしまったのです。理不尽なことかもしれませんが、国連の評判が今でも完全に回復していないことは事実です。

国際的な安全保障における国連の妥当性は、目下、ジェノサイドや全面的内戦の予防にどれだけ役に立つかによって評価されることが多くなっています。よって、(安全保障理事会決議第2254号を遅まきに2015年12月に採択するまでの)国連のシリア危機に対する長期間の不作為は、その全体的な信頼を深刻に脅かすものであり、安全保障理事会の内部でも真剣に内省すべき問題と言えます。

人権

1948年12月に国連総会が採択した世界人権宣言は、その範囲と野望の点で、それ以前、そしてそれ以降のどの文書と比べても大胆なものであり、当時としては脅威的な突破口となりました。当時の冷戦状態を考えるといささか信じがたいことですが、国連は1966年、市民的・政治的分野と、経済的・社会的分野の主要な権利を扱う2件の画期的条約の合意に成功し、これ(「市民的、政治的権利に関する国際規約」と「経済的、社会的、文化的権利に関する人権規約」)はいずれも1976年に発効しました。また、拷問の禁止(1984年の「国連拷問禁止条約」)から、女性差別の撤廃(1979年の「女性に対するあらゆる形態の差別撤廃に関する条約」)に至るまで、具体的な人権に関する条約も数多く成立しました。

国連は1994年、人権活動に対する支援を強化する取り組みの一環として、初の人権高等弁務官を任命しました。それ以来、最近任命されたザイド・ラード・アル・フセイン氏(2人の有能な女性高等弁務官である、ナバネセム・ピレイ氏と、ルイーズ・アルブール氏の後任)を含め、高等弁務官が力強さと威厳をもって、グローバルな人権擁護活動に力を貸しています。人権の前進は、一部地域では残念な動向が見られるものの、国連の最も顕著な成果の一つになっています。潘基文事務総長は同性パートナーの権利を含む個人の権利も重視しており、積極的な死刑反対の活動とともに、現事務総長が後世に残す最大の遺産となる可能性があります。

管理

国連の管理体制は、あらかたの大組織と比較して、良くも悪くもありません。グローバルな展開に起因する課題を抱えてはいますが、それは多くのグローバルな官民の組織も同じことです。

時折マイクロマネージメント(過干渉)に偏りがちですが、それより質の管理を優先することが必要です。70年の経験を積んだ国連でありながら、この提言の意味が十分に理解されていません。加盟国がもっと信頼を寄せない限り、国連の職員はその潜在的能力を十分に発揮することができません。

国連が最も大きな成功を収めているのは、現実的なマネージメント法を採用した場合です。つまり、細かい規則による拘束を逃れる昔からの「回避策」を採ることで、職員はしばしば、現地の困難な状況の中で、時にはわずかな可能性に賭けながら、優れた成果を達成しています。管理方法の真価が最も厳しく問われるのは、平和ミッションを含め、極めて過酷な地域に展開されることの多い国連の広範なフィールド活動です。平和維持活動では約12万の兵力が展開されていますが、これはカナダ軍の規模の2倍に相当します。国連本部と現地のスタッフはしばしば「即興」の対応を要求されます。必要性に迫られながら、すべての状況に適したルールがないなか、創造性を発揮して、時には危険を冒し、勇敢であることが必要です。幸いなことに、こうした資質はいずれも国連には不足していません。

また、一般的なイメージに反し、国連職員の報酬は特に手厚くありません。とは言え、国連の仕組み上、多くの職員に支払われる「特別優遇措置」が存在します。そのため、必要以上に長く留まる職員もおり、組織が部分的に硬直する危険があります。現地の生活費と生活条件に基づく総合的な報酬設定の方が今の時代に適しており、職員の流動性を高める効果も期待できます。

潘基文(パン・ギムン)事務総長が人事問題の諸側面、特に、快適な本部に配属された国連職員が難易度の高い現地ポストへの異動を嫌うという問題に取り組もうとしていることは評価できます。しかし、壮絶な戦いの末に、まだ部分的な成果しか上がっていないという事実は、国連の変革への抵抗がいかに根強いかを物語っています。

リーダーシップ

潘基文事務総長が2期目の任期を(2016年末に)終えようとしている中で、加盟国による後任選びはにわかに熱を帯びてきました。性別が注目点となり、女性を支持する向きも多くなっています。2017年1月1日の任期開始の前に、十分な余裕をもって後任を選ぶことで、選挙運動から綿密な計画へと意識をシフトさせることが理想と言えます。

事務総長は2つの重要な関係に絶えず注意を向ける必要があります。第1に、事務総長は加盟国と密接な関係を築く必要があります。加盟国は国連の主役ではあっても、事務総長の管理能力、そして時には指導能力に信頼を置く必要があります。その信頼を得るのは難しく、失うのは簡単です。一度途絶えてしまった加盟国の支持を全面的に回復できることは、まずありません。そして第2は、国連職員との関係です。冷笑されることもしばしばありますが、多くの人々が極めて献身的かつ効果的に国連に奉仕しており、仕事と生活のバランスを崩すことが多く、時には身体や健康を大きな危険にさらすことを求められます。国連職員は事務総長に対し、リーダーシップだけでなく、後押しを求めています。共に働く者の気持に働きかける能力は事務総長によって大きく異なり、中には奉仕ばかりを求めるケースも見られます。大きな犠牲を払うことや、危険を冒すことを求める場合、この方法では行き詰まります。

職員の信頼を失った事務総長は成功の公算が低く、加盟国の信頼と尊敬を失った事務総長には、失敗への道しか残されません。

構造の変化

事務総長の選任プロセスをめぐる加盟国間の協議は、一般的に、安全保障理事会と理事国に役割が集中しすぎでいると考えられており、このことは、理事国と加盟国全体の間の溝が深まりつつあることを反映しています。拒否権を持つ常任理事国5カ国(いわゆるP5)とその他加盟国という2つのカテゴリーが存在する現状を維持したいという常任理事国の希望をよそに、力の均衡は1945年から大きくシフトしているのです。

真の強国は、拒否権に依存せずとも、指導権を主張することはもちろん、重要な国益を守ることもできるはずです。積極的な外交活動で同じ成果が上がるのに対し、イライラが募って行使される拒否権は安易な出口戦略にすぎず、外交に恒久的な傷跡を残すことになります。米国は2003年、イラク問題に関する安全保障理事会の多数派の意見に耳を傾けて、自国と他国に大きな犠牲をもたらした無謀な軍事行動を控えていた方が、得るものが多かったはずです。

国連加盟国間の関係が、現時点で時折見られる以上の機能不全に陥れば、国連はいくつかの不可欠な任務を果たせなくなるだけでなく、重要な決定は他の多国間機関で下されることになるでしょう。P5とその他の加盟国は、今日の戦略地政学的、経済的現状を反映すべく、国連のあり方を変える必要性に正面から取り組まねばなりません。果たしてこの任務を遂行できるでしょうか。

次期事務総長は、国連に活力を与え、その機動性を保つという重大なリーダーシップの課題に直面することになりますが、国連の将来を決定づける重大な要因は、依然として常任理事国5カ国です。その5カ国が有意義な変革の緊急性に応じる意志があるかどうか、それはわかりません。

国連創設70周年について考える時、楽観すべき点もいくつかあります。特に楽観視の根拠となる分野の1つに、気候変動の問題があります。気候変動対策へのグローバルなアプローチを考案するプロセスには、多方面から不満の声が上がっています。まずまずの成果を上げた京都議定書の最初の約束期間が過ぎると、拘束力を持つ規定(米国はそれを批准せず、私の母国を含むいくつかの加盟国は規定を守りませんでした)に対する支持は弱まりました。京都議定書に基づく「クリーン開発メカニズム」に反映される炭素排出権の価格が暴落する中で、国連で際限なく続く気候変動交渉は暗礁に乗り上げました。

しかし2014年の暮れになって中国と米国が、自らの指導権を示すために拒否権に訴えることをせずに、排出量削減に向けた有意義な(強制的ではなく)自発的な削減目標を提示することを二国間で合意したことで、雰囲気は一気に明るくなりました。このイニシアティブにより、2015年12月にパリで開催された国連気候変動会議に至る交渉に向けた期待は高まり、他の国々も続々と約束草案を提出しました。

こうした現実主義がさらに広く実践されることを、世界の人々は大いに期待しています。

著者について

デイビッド・M・マローン氏は国連大学学長および国連事務次長を務めています。 カナダの元国連大使であるマローン氏は、外交官としての実務経験を有するとともに、大学とシンクタンクの両者で活動しています。国連安全保障理事会、開発、インドに関する研究書を多く著しており、近著に『The UN Security Council in the 21st Century (21世紀の国連安全保障理事会)』(共編、2015年、リン・リーナー出版社)、『The Oxford Handbook of Indian Foreign Policy(インド外交についてのオックスフォード・ハンドブック)』(共編、2015年、オックスフォード大学出版局)などがあります。また、『Law and Practice of the UN(国際連合の法と実践) 』第2版(共編、大学院用教科書)がオックスフォード大学出版局より2016年に出版予定です。

注:この原稿(日本語)は、2016年1月12日付のアップデートを含んだものです。